テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
その日も空は、あたたかな春の光に包まれていた。
遠くに見える、あの広い草原には最近生まれた双子の守護者が住んでいるらしい。
ここは小さな町の外れ、石畳の小道を抜けたところにある小さな庭付きの家。そこで暮らす少女──チミーは、ひなたぼっこをしながら、となりの家から漂ってくる甘い香りに鼻をくすぐられていた。
「……あ、今日はきっとフィナンシェだ!」
彼が作る焼き菓子の中でも、チミーはこのフィナンシェが一番好きだった。
甘すぎず、でもやさしい。まるで彼自身みたいな味。
きっと彼は出来たての美味しいフィナンシェを持ってきてくれるだろう。そう思うとじっとしていられなくてずっと庭をぐるぐる駆け回った。
数分後、予想通り彼が現れた。片手に、焼きたての小さな包みを持って。
「できたて。まだ少し熱いけど……よかったら」
「うん!ありがとう!」
チミーは笑顔で受け取ると、一口かじる。外はサクッと香ばしく、中はしっとりと甘くてやさしい味がした。
「やっぱり、すごいね。お店出せるよ!というより、お店出して!!絶対毎日行くから!」
「はは……それは無理かな。でも、チミーが美味しいって言ってくれるのが僕にとって一番嬉しいことだよ」
彼はいつも通り控えめに笑った。
でも──チミーには分かっていた。
この笑顔が、日に日に薄れていっていることに。
───
町の人たちは、彼を「変わっている」と言った。
あの静かな目が怖い。空気が重い。何を考えてるか分からない。
──そんな、理由にもならない理由で、陰口を叩き、嫌がらせをし、距離を置いた。
みんな誰かを殴り、暴言を吐き、ストレスを発散するための理由が欲しいだけなんだ。
子どもたちは彼を避け、大人たちは見て見ぬふりをした。
チミーだけが、彼のそばにいた。
「……また、何かされたの?」
ある日、彼の手首に薄い傷があるのを見つけたとき、チミーは泣きそうな顔でそう聞いた。
彼は言葉を濁し、笑って「包丁でちょっと切っちゃった」とだけ言った。
嘘だって、すぐにわかった。わかってもそれを言葉にすることなんて出来なかった。
───
そして、ある日。
朝になっても、彼は姿を見せなかった。
お菓子を作っているわけでもなく、町へ行っても彼を見た人はいなかった。
昼になっても、夕方になっても、彼は戻ってこなかった。
夜、彼の家をこっそり訪ねたチミーは、机の上に置かれた小さな包みと、折りたたまれた紙切れを見つけた。
包みの中には、丁寧に焼かれたフィナンシェが三つ。ほんのり温かさが残っていた。
紙には、彼の文字が綴られていた。
チミーへ
キミの笑顔は、僕の一番の救いでした。
本当はもっとたくさんのお菓子を作って、ずっとキミの笑顔を見ていたかった。
でも、僕はもう疲れてしまった。
キミには、僕みたいになってほしくない。
だから、お願い。
笑って、生きて。優しいままでいてください。
最後のフィナンシェ、上手く焼けたか分からないけど、食べてくれたら嬉しい。
……ありがとう。
――キミの親友より
チミーは静かに包みを開き、震える手でフィナンシェを一つ口に運んだ。
焼きたてではないけれど、温かかった。
温かくて優しい味で美味しい。
涙が止まらなかった。嗚咽が漏れても、フィナンシェの味は変わらなかった。
あの日、心の奥でチミーは何かを決めた。
──もう、誰も壊れてほしくない。
いじめられても、無視されても、それでも誰かにやさしくあろうとする人がいる。
その人が二度と壊れないように、私はそばにいて、守ってあげたい。
……キミからの最後のお願い、私はずっと守り続けるよ。
それが、私にできる「やさしさ」。
───
あの時ナイトメアと出会ったのは運命だと思った。彼の静かだけど優しい目、笑顔だけど何かを押し殺したような表情。その全てがあの日の彼の面影だった。
だから、彼女は決めた。
もう一度、誰かの“最後の手紙”を見なくていいように。
──私はこの手で、守る。
そう心に誓っていた。
これが私の話……私の後悔の話