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これはちょうど10年前、私が元旦那との離婚を心に決めた頃の話。
過去のエピソード『木箱』でも触れているが、元旦那はギャンブル癖と女癖が最凶で、最終的には未成年に手を出して不倫したことで私が娘を連れて出て行った経緯がある。
その、出て行くまでに起きた不思議な話である。
ただ結構生々しい離婚体験なので、苦手な人は読まないで欲しい。
ギャンブル癖に疲弊したあの日、私は里帰りと称して本家に娘を連れて帰った。
うちの親族は元旦那が大嫌いだったので、愚痴を言えば即「別れろ」と言うのは目に見えていたが、元義実家がカタギではなかったので、別れも一筋縄にはいかなかった。
まだ当時は20歳になったばかりで、母子を守る制度などの知識がなかった私は、本家の仏壇の前で相当疲れた顔をしていたと思う。
『木箱』のエピソードの少し後なので、もう自殺願望はなかった。むしろこれからをどうするか、娘と2人で生活するにはどう物事を動かす必要があるのか非常に頭を抱えていた。
本家の身内には相談したくないが、その日は守護が不在で愚痴を吐き出したくても吐き出せない。
代わりにふと、母の所持している仏壇を開いた。
祖父母の所持する仏壇には変な蜘蛛屍人みたいなものが棲みついていたのもあって開くのを躊躇っていたが、母や叔母の所持する仏壇を開くといつも上層なのか分からないが何処かに繋がり、公務員のような霊が窓口対応みたいなことをしてくれていたので、学生時代に対人関係で悩んだ時はたまに吐き出していたのを思い出したからだ。
仏壇を開くと、いつも少し繋がるまでに時間がかかるのだが、その日は一瞬で繋がり、なんだかいつもと違う変わった雰囲気を感じた。
以前は人の霊と分かるものが窓口対応をしていたのだが、その日目の前にいたのは、人のシルエットはしているものの、白金に輝いていてシルエット以外何も分からない謎の人物だった。
普段仏壇を開いてもこんな白金のシルエットの人物なんて出てきたことがない。
霊界のシステムなんて知らないので、この日は担当が違うのかな~と軽く考えて、それにしても眩しいなと思いつつも、誰でもいいから話を聞いて欲しかった私は深く考えもせず盛大に愚痴を言い始めた。
白金のシルエットはずっと動くことなく、ただ黙って聞いている様子だった。
初めこそただ愚痴を言って終わるつもりだったのだが、吐き出しているうちに段々と元旦那の存在と自身への不甲斐なさに腹が立ってきた。
半ばキレながらも「この状況を打破したい」「でも義実家がカタギではないことで身動きが取れず、私が下手に動くと親権など不利になる」「あんな環境に娘を残しては出て行けない」など、現状と思いの丈をぶちまける。
ぶちまけている途中でふと、上手く言い表せないが、何か点と点が繋がったような感覚に陥った。ただ閃いただけかもしれない。
「どうしても私に非がなく10ー0で旦那に非があって、親権もスムーズに私が取る形で離婚したい」
この言葉を言った時、白金のシルエットが微かに頷いた気配があった。
「何があるか分からないから、私と娘の身の安全の保証も欲しい」
またひとつ白金のシルエットが頷いた。ちょっとだけ笑っているような雰囲気があった。
今まで過去の愚痴だったのに、急に嘆いているのがアホらしくなった様子で「なんだってあんなクズ野郎の為に私が全部我慢せにゃならんのだ」と言う気持ちに変化したのが伝わったのかもしれない。
「お金が絡む事情なら義実家の身内が上手くカバーしてしまうから、誰がどう見ても絶対言い逃れできない形で旦那にだけ非がある状況が欲しい」
急な悪巧みに、白金のシルエットが両手で頬杖をつく形に変わった。なんだかちょっとだけ面白がっているようにも感じた。
「周囲で使えるものは全て使って欲しい。私は下手に動けないから、あえて流れに身を全て任せる。どういう流れになってもショックは絶対に受けない」
本当は自力で動くべきなのは分かっていたが、普通の家庭ならまだしも、カタギではない家庭環境で20歳になりたての自分にできることの方が少ない。
なんで頼む側なのに敬語じゃないのか、自分でも覚えていないが腹を括った時の癖なのかもしれない。本当に頼む側なのに、終始命じるような口調で淡々と言っていた。
「絶対に年内には10ー0の非で娘を連れて離婚する!!もう6月だから時間がない。早く状況を打破する機会が欲しい」
あんな高圧的な態度を取っても、白金のシルエットは別に気分を害した様子はない。むしろどんどん面白がっているような気配がした。
今思えば、普段の公務員のような霊達に願う際は「お願いします」と頭を下げない限りあまり聞く耳も持たない様子だったから、違和感はあった。
藁にもすがる思いと怒りが混ざっていてそれどころではなかったが、考えてみたら明らかに普段と違う分類の相手に話していたと思う。
「全てそちらに任せる。機会をくれたらちゃんと気付いて流れにちゃんと乗る。時が来たら動く。それと、旦那と離婚したら次は本当に金銭も女絡みも信頼度の高い人と巡り合わせて!!人を見る目はどうにか養うから!」
この辺で白金のシルエットがなんだかちょっと縦に揺れてた気がする。肩を震わせていたのかもしれない。
「私の願いは100%叶う!そうでしょ!!」
最後にそう言い切って、お願いしますの一言もなしに勢いよく仏壇を閉めた。
心に溜めてたものを散々吐き出した私は、凄くスッキリした気持ちですぐに娘を連れて本家を出た。
外の空気が清々しく感じたのを覚えている。結構単純な人間なので、もう一生分の愚痴を吐き出した気になって義実家に帰った。
旦那は不在で、きっとまた義実家の人達から借金をしてスロットでも打っているのだろう。
今まではそう考えると「どうしよう、また借金が」と気持ちが沈み希死念慮に襲われていたのだが、不思議なくらい気持ちが晴れていて「んな借金なんて知るか!どうせ年内には離婚するんだ!旦那にしか被害がないんだし、どうでもいいや!!」とさえ思った。
おそらくその頃から、私の旦那に対する態度が少しずつ変わったのかもしれない。どんどん冷たくなったんだと思う。
6月の末には最初の変化があった。
義母が旦那と借金のことで口論をしたのだ。
私は旦那の借金返済に宛てたいからと、無理を言って娘を義母に託して、かなり強引にパートを始めた。
最初は義実家の全員が反対だった。しかし根を曲げずに「これ以上の負債は困るので!!」と面接を受けに行ったら、その日に受かった。
生後半年の娘を嫌いな義母に預けるのは嫌だったが、状況の打破には少しの間必要だと思った。
義母は孫である娘がそれはもう大事で、ずっと肌身離さず面倒を見る人だったので、ちゃらんぽらんな旦那に預けるよりは身の安全が保たれる。そこだけは義母に感謝していた。
そこは旦那が当時人の伝で入社した職場だった。
私は昼間の時間帯に、旦那は夜勤で同じ店舗に勤務することが決まった。
最初の1ヶ月は娘には申し訳ないが、週6でシフトを入れた。不思議なことに普段あれだけ私の顔が見えないと大泣きする娘が、勤務中だけは泣かずにケロッとしていたらしい。
その1ヶ月の間に更なる変化があった。
私の教育担当として一緒のシフトに入っていたのは、私より歳下で当時17歳の女の子だった。
彼女はフルタイムだったようで、昼夜関係なくシフトに入っていたが、しばらくは私の教育担当があるので昼間の勤務がメインだったようだ。
見た目がまさにギャルで、私とは正反対だった。別にギャルでも清楚でも仕事は仕事なのでどうでも良かったのだが、ふと旦那の元カノが彼女と似たような体型のギャルだったのを思い出す。
その仕事上先輩のギャルが、勤め始めてから2週間くらいの時に何気ない会話の中でふと言った。
「アタシV系のバンド大好きで~」
「V系かぁ、カッコイイですもんね!」
「雪さんの旦那さん、V系の顔立ちしてますよね~!!いいな~、アタシもあんな旦那さん欲しい!」
その時また、見えない点と点が繋がったような感覚がした。
私は昔から人の悪意と好意に敏感なので、その「いいな」がプラスの意味かマイナスな意味かすぐ理解した。
そのギャルは、当初からかなり私を下に見ている。それにはずっと気付いていた。
年齢なんて関係なく、良くも悪くも女は女だ。
この手の女は自分より劣ると認識した相手があまりにも幸せそうだと、気分を害す。
分かっていてあえて、私はギャルに旦那の良いところだけを沢山教えた。きっとうざいほどに惚気話をしたと思う。性格は良くないと自分で分かっている。
少なくとも「とてつもなく愛妻家」「か弱い私を守ってくれる存在」この辺の印象は植え付けただろう。実際は真逆だが、愚痴は一切漏らさなかった。
ギャルは家庭環境が複雑で、自分は親や姉妹に愛されていないと思い込んでいる子だった。
余計に私の「そんな愛情の深い旦那が大好きなんです」という内心反吐の出る一言が、彼女の導火線に火をつけたのかもしれない。
でも間違ってはいない。旦那の女を口説く手口のひとつに、「俺は大事な女を絶対に守るから」という文言がある。女どころか自分の財布の紐もズボンについてる社会の窓も守れてないのに、本当によく言う。
ギャルとは仕事の連絡を取れるようにという名目でLINEを交換した。個人的には、彼女のアイコンを知っておきたかったのだ。
LINEのやり取りでも、ギャルから旦那の話題を振られて、快く良いところばかりを惚気けた。悪いところなんて後からゆっくり知ればいい。
勤務して3週間目には、人手不足でギャルが夜勤になった。LINEは繋がっていたので他愛もない世間話は続けていた。
家に帰って僅かな時間に旦那と会話をする時、次第に旦那の口からギャルの名前が頻繁に出るようになった。
ある時、寝ている旦那の枕元でLINEの通知が鳴った。見覚えのあるアイコンだった。
「Kさん(旦那)はいつ空いてますか?」という内容がそこにある。
心の中で瞬時にガッツポーズをした。こんな上手くいくことあるの?っていうくらい、全てが順調だった。
ある時、突然娘が私の勤務中に火がついたように号泣するようになったと義母から聞かされた。
正直もう、種は撒いた。あとは見守るだけで事が進む。そんな確信があって、私は店長に相談し、シフトの量をかなり減らした。昼間の人員は潤っていたので、特に支障はなかったらしい。
あの1ヶ月間、まだ生後半年の娘も頑張ってくれたんだなと思った。もう、これ以上の頑張りは必要ない。私は娘との時間を増やした。
私は週に数回、時短で勤務を続けながらもギャルと旦那の様子を伺っていた。
正直給料なんざどうでもいい。どうせ稼いでも旦那が勝手に盗んでパチスロに使ってしまう。金なんてあってないようなものだ。
同じ職場に在籍することで、2人の動きが追える。それで十分だった。
8月、またひとつ大きく事が動き始めた。
相変わらず嘘つきな旦那が、パチスロに行くのを辞めたのだ。
「仕事に行ってくる」と称して今までパチスロに遊びに行っていたが、ついにギャルを連れてドライブに行くようになった。
詰めが甘いのか馬鹿なのか分からないが、車にギャルの私物がちょこちょこ残されていた。
そもそも嘘をついてもシフトは全員の分が記載されているのだから、一目瞭然なのである。
行き先が変わったのに気付いた私は、ひたすら黙っていた。その頃には旦那とギャルのLINEの中に「愛してるよ」という言葉が浮上していた。
ショックはなかった。本当にショックのショの字もなかった。ただ、歓喜の武者震いだけはした。
「まだ問い詰めるなよ」と言ったのは、サポートを続けてくれていた守護のノイだった。
「まだ問い詰めるには決定打がない」とS兄も腕を組んだまま頷く。
彼等もずっと傍にいたが、事が動くまで八方塞がりな状況を見ていたので、自ら動けとは言わなかったのである。時が来たら動け、とは常時言われていた。
LINEの中身を証拠として写真を撮るだけで旦那やギャルを責めることはしなかった。まだ足りない。問い詰めるのは今ではない。知らないフリを続けよう。
もう、演者の気分だった。職場や家では一切暗い顔をせず、旦那にじわじわと塩対応を続ける。
すると相手にされなくなった旦那はますますギャルとの火遊びにのめり込む。
本当に「他人を手のひらで転がす」とはまさにこれだろうと実感した。でも、あまり良い気分ではなかった。捨てたい旦那に対しては後ろめたさはないけれど、巻き込んだギャルには申し訳なさがあった。
9月に入った頃だったと思う。
あと一押しだけど、10ー0で離婚に踏み込む決定打がない。ドライブばかりで足取りが掴めないことに頭を抱えた。体の関係を持っているのはLINEの内容から確実だが、車で行為に及んでいるようで、もっと最悪な決定打が欲しかった。
私は娘を連れて再び本家に戻った。昼間は本家で娘とゆっくり休み、猫と戯れた。
夕方になって、母の所持する仏壇を開いたら、あの白金のシルエットではなくいつもの公務員のような男の霊がそこにいた。
「あれ?神々しいシルエットの奴は?あれ上司だったの?」と問いかけると、男の霊は首を傾げていた。
深追いせず近況を語っている最中、私の携帯が鳴った。
義実家に住んでいる義理の妹からだった。
旦那の素行の悪さのせいで、あまり仲良くなかった義理の妹がわざわざ電話をかけてくるなんて相当珍しい。
「ねえ雪ちゃん、今大丈夫?周りに誰かいる?」
開口一番に義妹が声を抑えて聞いてきた。
部屋には1人だったので「1人です」と答えると、義妹はかなり声を抑えながらもただならぬ様子で言った。
「義兄が浮気してるみたいなの」
それは知っているとは流石に言えないので、大袈裟に「えっ……!?」と言葉を飲み込んだ。
義妹はその日仕事を早退したらしく、帰宅時に近所のコンビニの駐車場で偶然にも旦那が知らない若い金髪の女の子を助手席に乗せている所を目撃したらしい。
「……帰ったら……確認します」
あまりの衝撃に喪失した様子を装って電話を切ると、ノイとS兄が私の肩を掴んだ。
「よし、時は来た。今夜一旦詰めよう」
「帰ったら、最低限の荷物と娘の必需品だけリュックに入れておけ」
いよいよか、と緊張が走った。
「今夜は大喧嘩だ!!」とS兄が私の背中を強く叩く。テンションが上がっていて衝撃が痛かった。
「オーバーなくらい大喧嘩しろよ、一生分キレようぜ」
ノイも状況打破を楽しんでいるようだった。2人に鼓舞されて帰った義実家で、その夜とんでもない大喧嘩をした。
問い詰められて不利になると思った旦那は、ここぞとばかりにモラハラを発揮。「浮気を疑ったからって、他人のLINEを勝手に見るお前が100%悪い!!」と責任転嫁。
旦那は頭に血が上り過ぎて気付いていないのか、周囲に全然目もくれずに頭ごなしに怒鳴っている。あまりにも酷い大声での喧嘩に、義実家の人達がドアに張り付くようにして様子を伺っていた。
とりあえず私も泣いたり怒ったり、できるだけ感情を顕にしてみた。
3時間ほどの怒鳴り合いの末に、義母がおろおろと部屋に乱入してきた。
まず旦那に対して金と女のトラブルの件を何度やるのかと怒り、その後私に「雪ちゃんごめんねぇ、許してやって。こんな馬鹿息子で申し訳ない。だけど妻は我慢も大事なのよ。私も嫁いだ時はね」と説き伏せようとした時、背後にいたノイが私にスっと憑依した。
私の表面に出て急に泣き止むと、義母を睨んだ。
「すみませんお義母さん。私なりに頑張ったんですけどね。妻であることに疲れました。もう無理です」
淡々と抑揚もなしに真顔で告げると、ノイは娘を担ぐ。その仕草はちょっと私っぽくないぞと思ったが仕方ない。ノイは私がまとめておいた荷物を背負って冷ややかに「今日はもう帰りませんから」と告げて、誰の静止も聞かずにタクシーを拾った。
タクシーの中でノイは私から出て後部座席に座り、ちゃっかり助手席に座ったS兄と拳をくっつけて「あー!スッキリした!」と軽い打ち上げモードに突入していた。
しかし、あんな程度の喧嘩で離婚は厳しいのではないか。
義妹はさておき、義実家の人達は世間体を異常なまでに気にする。離婚して嫁が出て行ったなんて、義母が周囲に言える訳もない。
義母と旦那から鬼のように電話が鳴るのを見て、「うるせえなぁ」とノイが手に半憑依し、さりげなく一時的に着信拒否にしていた。
その日の夜分遅く、義妹からまた電話がきた。
「遅くにごめんね……雪ちゃんはもう離婚する方で気持ちが固まっているのかな?」
義妹は元々旦那が相当嫌いだ。
「正直なところね、私は離婚した方が幸せだと思うよ。この家から追い出したいとかじゃなくてね、義兄には尽くしても本当に意味がないから」
言葉を選ぶように呟いていたので、私も溜め息混じりに言った。
「単刀直入に言って構いません。離婚する気で準備するつもりです」
はっきり告げると、義妹から安心したような雰囲気が伝わってきた。
「それなら良かった。雪ちゃんまだ若いんだから、この先もっと絶対良い人がいる。このままうちに残ったらお義母さんの介護で楽しい時間なんてなくなるよ。私はお義母さんと不仲だから絶対面倒見ないってもうはっきり言ってるし、そうなると雪ちゃんに負荷がいくでしょ?そこだけずっと心配してたから。今まで冷たく当たってごめんね。居場所に困ったら離婚考えるかなって思って……」
義妹はとても良い人だった。普段も冷たさの中に愛情があった。それは分かってる。義妹は義弟が大好きだが、それ以外の人間には冷たい。でもそれは、あの家で自分の幸せを守るための態度だったんだろうなと思う。
というか多分、義弟が実家に住むと言うから仕方なくあの家に住んでいる感じが否めない人だった。義母のことも嫌っている様子が時々垣間見えたから。
「離婚するなら私は協力するよ。でも、私が協力してることは夫(義弟)には秘密にしてね」
「ありがとうございます。秘密にすること、約束します。……年内……できれば、娘の誕生日までには離婚成立させたいです」
そんな女同士の約束をして、数日後。
日付が変わる頃、再度義妹から近況報告の電話がきた。
「ごめん起きてる?あのね、今ちょっと大きな動きがあって……」
かなり押し殺すような声で続けた。
「前に見た助手席に座ってた女の子、あの子雪ちゃんの寝室にいるんだ今。Kさんと2人で」
聞いていたノイが隣でS兄とガッツポーズをしている。
「しかもね、ごめん、気分を害すかもしれないけど……どう考えてもあれ、性行為してる」
義妹もチャンスだと言わんばかりに半ば興奮気味だった。
「どうする?私今、このままテレビ通話しながら寝室に突撃できるんだけど……!!」
危うくノイとハイタッチしそうになった。
ちょっと待ってて下さいと伝えて、母の携帯を横取りしてムービーを起動し、義妹からのテレビ通話の画面を録画した。
母にその瞬間を見られるのは如何なものかと思い、私は本家の仏間に閉じ篭った。
「準備できました」と告げると、義妹が「それじゃあ行くよ……」と言って、テレビ通話で外画面のまま寝室に近付く。
こちらは消音にして準備万端だ。
寝室の傍に来るともう既に生々しい喘ぎ声が聞こえてきていて、もはや隠す気もないのか馬鹿なのかちょっと理解不能だが、堂々と性行為しているのが分かる。
義妹が強めに寝室をノックした瞬間、まるで賑やかだったのに襖を開けたら誰もいなかった心霊現象の如く喘ぎ声が止み、すっかり静まり返ってしまった。
「開けちゃっていいかな?」と電話に向かって義妹が囁くので、迷わずGOサインを出す。
「ねえKさーーーーーー」
躊躇なく義妹がドアを開くと、全裸の旦那だけが布団で乳首を隠していた。いや、隠す場所、普通は下だろと白々しく思いながら、顔面蒼白で狼狽えている旦那を見て溜め息が出た。
ドアは途中までしか開かなかった。
「え、何これちょっと、開かないんですけど」と言いながら義妹がドアを掴んだ時、テレビ通話のカメラがドアの内側を写した。
全裸のギャルが可哀想にも隠すタオルすらなく、顔面蒼白で立っていた。
「おい、いきなり開けんなよ!!!」
「Kさん!!なんで雪ちゃん出て行ってる間に浮気してるんですか!!!離婚の危機ですよ!?分かってます!?ほんっとに有り得ない!!!」
顔面蒼白でブチ切れる旦那の声と反論する義妹の声が聞こえる。
可哀想なことに義妹の手の角度のせいか、ずっと全裸のギャルが画面に写っている。ギャルは思考回路が停止したように呆然とした後、メソメソと泣き始めた。
もうなんか、コントを見ている気分だった。視界の端で今にも小躍りしそうなS兄がいる。
ギャルには本当にこんな茶番に巻き込んで申し訳ないと思って気分が沈んだ。
その後、簡潔に言えば悲惨な家族会議が始まった。
義妹が録音してくれていて、内容もこっそり聞かせてもらったが、酷いものだった。
やはり義母は大泣きしながら「離婚なんてさせるものか」と世間体に影響を与えまいと躍起になり、義弟は「俺がどうにか説得するけど雪ちゃんは決めたことは曲げないぞ」と頭を抱えながらも旦那を殺す勢いでボコボコにし、それをどうやらギャルの前でやったらしく、ギャルは大泣きしながら帰って行った。
後日、義弟の携帯から「浮気なんてあの兄貴が出来るわけないでしょ~」とやんわり説き伏せの電話が来たが、私が「気持ちは変わりませんので離婚します」と伝えると、溜め息混じりに「分かった」と言って「ちょっと変わるね」と旦那に携帯を渡した。
きっと説き伏せてもダメだったら旦那に変わるという予定だったのだろう。
旦那は何故か知らないが虫の息だった。震える声で「雪ごめん……俺が間違ってた……帰って来て……」と言っている。
しばらく無言で聞いていると、旦那は半泣きしながら「S(ギャル)が俺を嵌めようとしてるんだ……聞いて……あのね、Sが向こうの両親に泣きついて、俺を性犯罪者だって言い始めてね……俺、警察に捕まっちゃうよ……」などと言い始めて思わず消音ボタンを押してしまった。
めちゃくちゃ笑ってしまった。ノイもS兄も手を叩いて爆笑している。ひとしきり笑ったら、消音を解除する。
「S、最初は親に愛されてないって言ってて、可哀想で相談に乗ってたんだ……でも聞いて、俺性行為なんてしてないんだ……!だけどSが両親にあることないこと言ってね……明日、両親とSに土下座謝罪しに来いって言われたんだ……だからさ、雪も一緒に謝ろう……?」
その辺で消音を解除していることを忘れて「ぶはっ!!」と吹き出してしまった。
弱々しい私よ、さらば。
もう純粋に、旦那のキチガイさに呆れてしまった。浮気を疑って拗ねて怒る演技も、もう必要ないや。
「え、待って?何?今なんて言った?一緒に謝ろう!?なんで!?なんで一緒に!?」
「だって雪は俺の妻だよ……?俺だけじゃ信頼度が足りないじゃん……許してもらえるか分かんないし……だから一緒に行って、雪も俺の隣で土下座謝罪しよう!」
「知らんわそんなの。どこまで馬鹿なの?」
「えっ……なんでそんなに冷たいの……?なあ、ほんっとに……俺が下に出てりゃ冷たくしやがって……!大体お前が俺に冷たくするからこんなことになってんだろうが!!」
典型的なモラハラは情に訴えても意味ないと悟ると、手のひら返したようにブチ切れるものだ。
いつもは聞き上手な感じで受け止めていたが、その必要もない。
「冷たくないけど。私の本性見抜けなかったのそっちでしょ、知らんってそんなん。てかその言い方だと浮気したのバレるけどいいの?」
淡々と返すと旦那は押し黙った。少ししてまた声が震え始める。
「……違う……俺、無理矢理性行為なんてしてないんだって……なんで信じてくれないんだよ……向こうから誘ってきたんだよ……」
「へえ、LINEの中ではどう見てもお前から誘ってるけどね。私あれ全部写メ撮ってるから、今読み上げようか?」
「えっ?は?」
「えっとね、8月21日……お前からのLINEで『早くあんな地味な妻と別れて一緒になりたい』……その後Sちゃんの『早く別れちゃおうよ、縛られるKくんが可哀想』に対して『S愛してる。愛してるのはお前だけ』……ぶっふ……愛してるのは……wwwお前だけッ……wwwごめん……っ!!なにその不倫ドラマにありがちな文言ウケるwwwww」
本当に性格が悪いのは自分でも分かっているけど、あまり文面に取り入れないようにしていた「www」が表現にぴったりなくらい爆笑してしまった。
こんなに、こんなに願いがそのまま直球に届くことってあるんだな、と内心思った。
嘲笑ったことが相当気に食わなかったようで、旦那は手のひら返しで烈火の如くブチ切れ始めた。
プライバシーの侵害だの、ギャルのことまで悪く言うお前は最低だの、配慮のない妻だの、あとはなんだったか流石に覚えていないが言葉の限り酷い文言で罵ってきた。
それに対して、半憑依していたノイが私の口でボソッと「知性が低過ぎて会話が疲れるな」と言ったことで大爆発し、そのまま殺しに来るんじゃないかと思うほどにキレていた。
途中で義弟が「もういいって……落ち着けお前!いいじゃねえか、あんなキチガイ女捨ててしまえ!」と言っているのが聞こえた。
何とでも言えばいい。キチガイだと思ってくれた方が今回は助かる。綺麗に別れてさせてくれたら本当に何でもいい。
義弟に携帯を奪われた様子で、どちらかが殴りかかったような音が最後に聞こえた後、電話は切れた。
非常に疲れたけど、スッキリした。あの仏壇の神々しい奴にお礼を言わなきゃ。対価は食べ物でいいかな?……そういえば、荷物はどう持ち出そうか……などと考えながら、気付けば寝落ちていた。一応まだ授乳もしている時期である。
後日、最後の話し合いの為に義実家に戻ると、旦那に性行為を求められたので拒否しながらどさくさに紛れて股間を蹴ってしまった。そこだけは唯一少しだけ申し訳ないと思っている。
義母は孫を手放したくないと大号泣するわ、旦那は泣くことと怒ることしか脳がないのかひたすら喚くわ、冷静に話ができたのは義弟と義妹だった。
今までのお礼と迷惑をかけたことへの謝罪、旦那に養育費は払えず義弟に負担が行くのが分かっているので、養育費は一切もらわない、その代わり旦那は娘には一切会わせない、など色々と約束事を交わした。
荷物をまとめて娘を担ぎ、最後に寝室から出る時、旦那が急に廊下を立ち塞いだ。
「お前に娘は任せられない!!俺の方がひと回りも歳上だ!まだガキみたいなお前が育児なんて出来るわけがない!育ててやるから娘は置いてお前だけ出て行け!!情けとして養育費は要らんからな!俺は優しいから」
「…………は?」
そのひと回りも歳上が性犯罪して捕まりかけて、一体何を言ってんのか分からん。
大体お前、新生児の娘の股を過剰に触ってニヤニヤしてたじゃん。しかもそのまま自分の竿まで触って大興奮していたの、私知ってるからね。
このままここに娘を置いて出て行ったら、この子の人生が狂うじゃん。普通に有り得ない。
当然のように断るが、旦那は深い溜め息をついて私の腕から娘を奪ったかと思うと、急に私の脇の下に手を入れて新生児をあやすように高い高いしてきた。
本当に本当に、行動も言動も理解できない。
その姿勢のまま、壁に押し付けるようにして「雪、愛してるよ、やっぱり俺達やり直そう。お前はまだ20になったばかりでガキだから、善し悪しが分からないんだな。俺は許すよ、お前のこと」と優しく言われた。
もう本当にキチガイと言われても何でもいいのだけど、怒りと呆れで頭が真っ白になって「えいっ!」と悪戯っぽく笑いながら両手の親指を旦那の目にぎゅっと押し込んだ。
言葉って必要あったっけ?
突然の攻撃に「ぎゃあ!」と叫んだ旦那の手が離れ、廊下に落ちた私は娘を再度担いで全ての荷物を背負い、謝ることもなく急ぎ足で「今までお世話になりましたー!」と言い残し外に出た。
それっきり、義実家に戻ることはなかった。離婚届は後日義弟が持ってきてくれて、願い通りに娘の誕生日直前に離婚が成立した。
『元』旦那はその後、何故か精神を病んで入院し、そこから脅迫文を書いて送ってきたので警察に持っていくと見事に受理され、最後は接触禁止になった。
あれ以来、近況報告と御礼を言いたくて何度か本家で仏壇を開けてみたが、あの白金のシルエットに遭遇することはなかった。
本当にトントン拍子で進んだあの出来事。ちょうど10年経った今になって、私の離婚体験に近しい内容の韓ドラを日本版にリメイクしたドラマを観て思い出した。
あの体験も韓ドラにありそうな展開だったけれど、ノンフィクションであんなに物事が願い通りに進むことなんてあるだろうか。
当時はあの白金のシルエットが何かの神様だと思っていたのだが、ドラマを観ていた時に自身の体験を回想してふと気付いた。
……うちの百鬼(守護)の中に、あの時の白金のシルエットがいる、と……。
どうにもそれに近い気配の奴が1人いる。お狐様(神社の稲荷)の中に。
それでこれを執筆する前日、ふと寝る前に今の夫に聞いてみた。
「……という、まあこんな過去があるんだけどさ、あの時の白金の奴、絶対この中にいるよね」
百鬼一同、全員明後日の方向に視線を逸らす。
「んでさ、絶対私の周囲で何かやったよね?あんな綺麗に進むと思えないもん」
夫も一緒に明後日の方向を見るから、やっぱりと確信し「誰だったの?」と聞くが、全員押し黙る。誰も答えない。
普通に私からすると助けてもらったので、御礼を直接言えるじゃんと純粋にそう思って聞いているのだが、答えると何か不都合でもあるのだろうか。
しつこく聞けば、それまで黙っていた夫が頭から布団に潜りながら言った。
「もう!いいじゃん誰でも!10年も前に何したかなんて、俺そんなに細かく覚えてない!!」
……?
…………???
………………あれ?