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帝都から届いた書状の束を前に、
ルシアンは黙々と筆を走らせていた。
昼を過ぎ、
窓の外にはやわらかな陽が差している。
しかし執務室の空気は張りつめていた。
彼の机の前には、
部下の文官たちが数名立ち並び、
緊張した面持ちで次の指示を待っている。
「この予算案は再計算しろ。
余剰金の報告が遅れている。
帝都の監査を待たせるな。」
低く、鋭い声。
誰も逆らえない。
ルシアン公爵――それがこの国の若き権威の名。
ペンの先が止まる。
一瞬、風が窓を揺らした。
――その瞬間だった。
ふと、脳裏に浮かんだのは
今朝見た少女の姿。
まだ仕立て中の布を抱えて、
頬を染め、
「早く見せたい」と目を輝かせていたあの表情。
胸の奥に
小さな灯がともるように温かくなった。
知らず知らずのうちに、
口元が緩む。
ほんのわずか――
それでも確かに、“笑っていた”。
「……え?」
机の向こうで、
文官たちが一斉に顔を見合わせた。
その異変に、エリアスが眉をひそめる。
「……ルシアン様?」
声をかけられ、我に返る。
ルシアンは慌てて咳払いし、
眉間に皺を寄せてペンを握り直した。
「なにを突っ立っている。
次の報告書を持ってこい。」
「は、はいっ!」
文官たちは慌てて部屋を出ていく。
ドアが閉まると、エリアスが
呆れたようにルシアンの机に寄りかかった。
「……珍しいな。
お前が執務中に顔を緩ませるなんて。」
「……緩んでなどいない。」
「いや、緩んでた。
あの文官たちの顔、見たか?
“公爵が笑った”って一生の話題だぞ。」
エリアスの口元に皮肉な笑み。
ルシアンは書類を整えながら、
少しだけ視線を落とす。
「……気のせいだ。」
「気のせいならいいが。
――それにしても、“あの子”の話をした翌日だぞ?」
ルシアンの手が一瞬止まる。
だが、顔を上げずに淡々と返す。
「仕事中だ。茶化すな。」
「はいはい、公爵閣下。」
エリアスは笑いながら部屋を出ていく。
ドアが閉まったあと、
ルシアンはしばらく机の上の書類を見つめていた。
……気のせい、か。
そう呟きながら、
微かに唇の端を上げる。
その笑みは、
誰にも見せたことのないほど――
やわらかかった。
窓の外では、
昼の光が庭の花々を照らしている。
その中には、
新しい服を着ようと胸を高鳴らせている少女の姿が、
確かに浮かんでいた。