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執務室の扉を叩く、控えめな音が響いた。
「どうぞ」
ルシアンが顔を上げると、
扉の隙間から光が差し込み、
その中に一人の少女が立っていた。
――イチだった。
朝の光が、
彼女の淡いピンクシルバーの髪にやわらかく反射している。
髪はセリーヌの手によって丁寧に結われ、
いつもより少し高い位置で揺れるリボン。
胸元には、
昨日彼が贈った髪飾りが
静かに光を受けていた。
新しい服は、
セリーヌが仕立てたという淡いクリーム色のワンピース。
シンプルでありながら上品で、
袖口には繊細な刺繍が光る。
イチは小さく歩み寄り、
ルシアンの前に立った。
「……」
言葉はない。
けれど、
その瞳がまっすぐに問いかけてくる。
――どう、似合う?
ルシアンは一瞬、息を呑んだ。
目の前の光景が、
現実なのか夢なのか分からなくなる。
彼はこれまで多くの令嬢たちを見てきた。
社交の場でも、舞踏会でも。
だが――こんな“美しさ”を感じたのは初めてだった。
それは装飾や品格ではなく、
生まれたての光のような、
触れれば壊れそうな透明な存在。
無意識のうちに、
ルシアンの手が机の上で止まっていた。
胸の奥がじんわりと熱を帯びる。
イチは首をかしげる。
――反応がない。
小さく眉を寄せ、
彼の机の前まで歩いてくる。
「……」
言葉はなくても、
“感想を聞かせて”という気配が伝わってくる。
ルシアンはようやく息を吸い込み、
少し咳払いをして顔をそらした。
「……ああ。
よく、似合ってる。……驚いたよ。」
イチの瞳がぱっと輝く。
その小さな変化を見て、
ルシアンの頬がわずかに熱を持った。
「セリーヌの仕立てか?」
イチはこくりと頷き、
両手でスカートの裾をつまんで
軽くくるりと回ってみせた。
ふわりと布が揺れ、
光がその動きに合わせて跳ねる。
ルシアンはもう、完全に目を奪われていた。
胸の奥で、
何かが確かに弾ける音がした。
「……動くたびに、光をまとうみたいだな」
その言葉は、
本人も無意識に口をついて出た。
イチはその意味を理解していない。
けれど、
ルシアンの声の響きだけがやさしくて、
なんだか嬉しくなった。
彼女は静かに微笑み――
その笑みを見て、ルシアンは息を詰まらせる。
(……笑った、今……)
胸の奥が強く脈打つ。
一瞬だけ、
自分が仕事中であることを完全に忘れた。
だが、
ノック音がその空気を破った。
「ルシアン様、陛下への書状の件で――」
扉の向こうからの声に、
彼ははっとして姿勢を正す。
「……すぐ行く。」
イチの方を振り返ると、
まだ彼女はその場に立っていた。
どこか名残惜しげな瞳。
ルシアンは
少し柔らかく笑みを浮かべ、
小声で言った。
「――似合ってる、本当に。」
イチは小さくうなずいた。
そしてルシアンが部屋を出たあと、
彼の机の上にあった小さな羽ペンを見つめて、
ふと微笑んだ。
それが“誰かの言葉を聞いて、笑った”
初めての瞬間だった。