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窓から見える空が、茜色から紫色へ変わり始めていた。

慶太は布団から上半身を起こし、隣で安らかな寝息を立てている沙羅の顔を見つめる。

頬がほんのりピンク色に染まり、口づけを交わした唇は紅を引いたように艶やかだ。顔に掛かった髪をそっと除けた。


出来れば、このまま寝かせてあげたいが、夕食の時間が近づいている。


「沙羅、そろそろ起きて」


「う、うーん」


肩を揺さぶってみたものの、沙羅はむにゃむにゃと目が明かない様子でごろんと寝返りを打ち、背を向けてしまった。

細いうなじが無防備にさらされる。


「沙羅、起きないといたずらするよ」


そう言っても、目覚めない沙羅の襟足へ慶太は唇を寄せた。チュッと少し強めに吸い付き所有痕を残す。

普通に服を着ていれば見えないが、襟ぐりが大き目のダボッとした服なら、見えるかも知れないと言う微妙な位置。それも背中寄りだから、本人が鏡で見ても気づかないような場所だ。


日焼けのしていない白い肌に赤く残る所有痕を確認するように、慶太の指が触れる。


この独占欲は自分でも質が悪いと思いつつ、口元が緩む。


沙羅が思っているほど、良い人間じゃない。そんな事は慶太自身が自覚していた。

付き合っていた高校生の頃、親から良質の愛情たっぷり受けて育った沙羅は、打算や駆け引きなどをせずに優しさに満ちた真っ直ぐな気持ちを向けてくれた。

それは、親から愛情など受けたことの無い、慶太にとって安らぎや幸せを感じさせた。

そして今も、一緒に居るだけで満たされた気持ちになる。


誰かが言っていたのを思い出す「ロマンチックな愛は地球上で最も中毒性のあることのひとつで、心に取り憑いて離れない」

その言葉通り、中毒者のように沙羅を欲してやまない衝動に駆られている。



「沙羅、起きて」


「うん……ごめん。今、起きる」


まだ、寝たりないのか。沙羅は目を擦りながら、のっそりと上半身を起こした。

そんな沙羅を見て慶太がクスリと笑う。


「いい眺め」


それもそのはず、情事の後、直ぐに眠ってしまった沙羅は生まれたままの姿だ。油断して起き上がった沙羅の胸は無防備に晒されている。


きゃあ、と慌てて布団を引き上げ隠したが、|時《とき》既に遅しの状態だ。


「見た?」


「うん、バッチリ!」


「もうっ!」


「いまさらだよね」


沙羅は顔を赤くしてモゴモゴと口籠った。

慶太はクスクス笑いながら、脱ぎ捨ててあった浴衣を引き寄せ、それを羽織り立ち上がる。


もうひとつの浴衣も手に取り、襟足につけた所有痕を隠すように沙羅の肩に掛けた。


「お風呂、入っておいで、もうすぐ夕飯の時間だよ」


「もうそんな時間なんだ」


楽しい時間は、早く過ぎて行く。

それは、慶太との別れの時間が刻々と近づいていると言う意味でもあり、沙羅は寂しく思う。


「お部屋食だから、ゆっくり食べれるはずだ。お酒は何がいい?」


「うーん、果実酒の炭酸割りがあれば嬉しいなぁ」


「わかった。頼んでおくよ」


「ありがとう。お風呂入って来るね」


はだけた浴衣の前を合わせ、お風呂に向かう。

シェードは、忘れずにしっかり閉めた。

いくら肌を合わせた仲とはいえ、恥ずかしいから。


檜木の湯船に身を沈めると、お湯の気持ち良さにホゥっと息をつき、露天風呂の贅沢気分を堪能する。

見上げた空は赤紫色から深紫色のグラデーションが掛かり、その中にひと粒の宝石を落としたような一番星が輝き始めていた。


頬にあたる風が涼しく感じられる。

まだ、身体に感触が残っている。

慶太に甘やかされて、心が満たされていた。


「食事どうだった?」


「美味しすぎて、最高でした。盛り付けも綺麗で、ホント幸せ」


「そう、良かった。料理長にも伝えておくよ」


濃紺の生地に大輪の|芍薬《シャクヤク》が描かれた浴衣姿の沙羅が、ふふっ、と笑う。

穏やかな夜風を肌に感じ、宵闇の中、虫の音を聞きながら公園の遊歩道をゆっくりと歩いた。


「この時間になると涼しくなって、酔い覚ましの散歩にちょうどいい温度だな」


階段を上がると、ライトアップされた「あやとりはし 」の|袂《たもと》に辿り着く。

紅紫色をしたユニークなS字型のモダンな橋。


漆黒の中、光に照らされ紫色に浮かび上がる橋は幻想的で、このまま歩いていけば、どこか知らない世界に続いているようだ。


「わー。すごい! SF映画のセットに入り込んだみたい」


沙羅は、感嘆の声を上げ、スマホの写真アプリで幻想的景色を撮影した。


「写真撮ろうか?」


「お願い!」


是非にと慶太にスマホを預け、幻想的な橋をバックに写真に納まる。


「後で、俺のスマホにも写真送って」


「いいよ」


「それじゃあ、もっと撮らないと」


そう言って、慶太は沙羅の肩を抱き寄せた。

きゃっ、と驚く沙羅をよそに自撮りモードでシャッターを切る。


「もうっ、いきなりなんだから! 絶対、変な顔になった」


「どんな顔でも沙羅はかわいいよ」


慶太は、沙羅のスマホの画面を開いて操作する。


「そんなことない。変なのは、絶対に変! 今のは、消去しなきゃ!」


スマホを取り返そうと沙羅は手を伸ばすが、サッ、サッ、とその手を慶太が躱し取り戻せない。

そして、ニヤリと悪い笑みを浮かべる。


「もう、自分のスマホに送信したから、沙羅のスマホのデータを消去しても遅いよ」


「うそ!」


「残念」


「ひどーい」


顔を見合わせ、あはは、と笑い合う。

まるで、失われてしまった恋人時代をやり直すようにはしゃいでいる。

もしもあの時、慶太の母親・高良聡子に会わなければ、幸せな時間が続いていたのだろうか。

ふと、沙羅は考えてしまう。


そして、聡子に言われた「慶太には、然るべき所から妻を迎えるつもりなの。シンデレラを夢見てもあなたに傷が付くだけよ」という言葉が呪縛のようによみがえる。



別にシンデレラを夢見ていたわけじゃない。

ただ、慶太を好きになっただけだった。


「急に暗い顔をして、どうしたの?」


心配そうな慶太の声で、沙羅は自分がうつむいていた事に気付く。


「えっ? あっ、いえ、あの、慶太が未だに独身なのが不思議だなぁって。だって、慶太凄く優しいもの。女性が放って置かないでしょう」


慶太の母親に脅されて進路を変えたなどと言えずに、沙羅は咄嗟に誤魔化したつもりだが、自分でも何を言っているのか……かなり苦しい内容だ。


沙羅の問い掛けに反応したのか、慶太は橋の欄干に手を掛け、暗闇を見つめる。

その横顔は、何処か寂しそうに思えた。


「簡単に言えば、結婚したいと思える人に出会えなかったからかな。特にTAKARAグループの看板目当ての人とは、結婚したくないと思うよ。お金が絡むと人の汚い本性が浮き彫りになるから、ちょっと、人間不信があるかも」


確かに……。と沙羅は思った。

両親が事故で逝去した際にお金に群がる親類に嫌というほど泣かされた記憶がある。

慶太は暗闇を見つめたまま、細く息を吐き言葉を続けた。


「それに、結婚イコール幸せの図式が描けなくて……うちの両親、父が旅館の跡取り、母が呉服屋の娘で、政略結婚だったんだ。その結果、事業としては躍進をしたけど、家庭の中身は空っぽで、父も母も自宅の他に別宅があった。父は結婚前から続いている愛人……いや、本命が居て、母は自分のプライドを保つための男と。とにかく、そんな両親だったんだよ」


慶太の独白に、沙羅は驚きを隠せずに両手で口を覆う。


「特に母は、自己顕示欲が強い人で、自分の価値を高める事にしか興味がなかったんだ。政略結婚で辛い思いしているクセに、母にとって都合の良い相手を俺にも押し付けようとして……。まあ、俺は母の薦めるお相手は願い下げだったから、道具にもならなかったけどね。結局、母が晩年病に倒れても、父は心配ひとつしないで、本当に夫婦としては形さえも成してなかったんだ」


夫婦の不仲が目に見えるのは、子供には辛い記憶として心に刻まれるはずだ。沙羅は身につまされる思いで、慶太の話しを聞いていた。



女王然とした高圧的な振る舞いで、自分に関わる人を支配しようとしていた高良聡子。

母親だった聡子が病院のベッドの上で管で繋がれ、動けなくなっていく姿を思い出した慶太は、静かに瞼を閉じた。

消化できずに自分の中で抱えてきた弱く汚い部分を吐露する。

「俺は、沙羅が思っているほど、優しい人間じゃないよ。母が病で弱っていく姿を見て、ホッとしたんだ」


暗闇を向く慶太の広い背中が、心なしか頼りなく見える。それを支えたくなった沙羅はそっと手を添えた。


「結局、我が儘に振る舞っていた母は、父から最後まで愛されずに、愛人の男にも見放され孤独な死を迎えた。誰も母の死を悼む者が居なかったのは、母の自業自得でしかないと思う。ただ、唯一の息子である自分が母の死に対して、悲しみよりも安堵の気持ちの方が大きくて……自分でもこんな感情はおかしいと思うけど、どうしようもないんだ」


沙羅が聡子に会ったのは、あの凍えるような冬の日の一度きり。それでも、冷たい瞳で見下ろされ抗う事など出来ずに、聡子に従う事しか出来なかった。もしも、聡子が自分の母親だったなら、事あるごとに口を挟まれ、選択の自由を奪われながら暮らさなければならないだろう。

聡子と親子だった慶太は、幾度となく辛い思いをしたに違いない。

なんの慰めにもならないかも知れないが、沙羅は言わずにはいられなかった。

沙羅は慶太へ両手を伸ばし、体温をわけ与えるように頬を包み込む。


「例え親子であっても、自分に負担ばかり強いる人に良い感情を持つのは難しいはず。親であっても無くても、自分に良くしてくれない人の死を悲しむ事なんて出来ないよ。だから慶太がお母様の死を悲しめなくてもおかしいとは思わない」


「沙羅……」


「私は慶太の優しさに救われているの。慶太が何度否定しても、私にとって慶太は優しくて素敵な人よ」




暗闇に浮かぶ幻想的な橋の上を歩き出した。


「部屋に戻ろうか」


「うん」


|何方《どちら》ともなく繋いだ手、慶太の指が沙羅の指に絡む。

温かな手に心緩み沙羅はポツリとつぶやいた。


「結婚って、何なんだろうね。結婚は夫婦になって、家庭を築いていく約束をするものだと思っていたけど、よく分からなくなって……」


「社会的体裁のために実態がなくても、表面上は夫婦でいることも出来るからね」


「うん。慶太が言っていた、結婚イコール幸せの図式は、お互いの信頼や感謝の気持ち、思いやりがないと成立しないと思う。生活していくと、もらう、与える、要求する、譲歩するがエンドレスに続いていくから、信頼関係が崩れたら苛立ちしか残らなくなる」


「ん、そうだね」


「私の離婚原因は夫の不倫だったの。相手の女が妊娠しましたって、勝ち誇った顔をして現れて……。いままでコツコツと積み上げて来たものが一気に崩れて、家庭を大事にしようと思っていた気持ちがスーッと冷めていったの」


天涯孤独になってしまった沙羅にとって、幸せな家庭を築くという事が大切だった。自分が大切に大切に守ってきた家庭をないがしろにされてしまった現実がなによりもショックだった。


「信頼関係を壊されたんだ」


「うん、信頼できない人と夫婦でやっていくのは無理だと思って。でも、気持ちが冷めて別れるのは親の勝手で、子供は親の勝手に振り回される被害者なんだよね」


「確かに、親の離別は子供にとって衝撃ではあると思うけど、子供って守ってもらうばかりじゃなくて、子供は子供なりにいろいろ考えているんじゃないかな」


「そうかな……」


「変なしがらみが無い分だけ、環境に適応する力が、大人よりも子供の方が柔軟だと思う」

沙羅が、離婚届を出すにあたって、今まで通りに家族の|体《てい》で過ごして行こうと、決めたのは娘である美幸を思っての事だった。

美幸の心を傷つけないように、希望の進学先に行けるように、と考えて結論出したはず。

でも、慶太と話をしているうちに、沙羅は自分の考えが間違っていたのではないかと考え始めていた。


何も言わない事で、美幸を守っていると思っていた。

けれど、それは両親の離婚を告げた事で、悲しむ美幸の姿を見たくない、という自分の心を守るためだったのではないだろうか。


子供は子供の考えがある。

思いのほか美幸は、家族の事をよく見ている。そして、両親が揉めている様子を察し、ふたりの間で立ち回っていた。それは、誰に言われたわけではなく、美幸自身が考え起こした行動だ。

12歳ともなれば、大人の事情もすべてとは言わないが、ある程度はわかる年齢。

ちゃんと話して、その上で本人の意見を聞くのが正解なのだろう。


美幸に離婚の事を話すべきだとわかっている。でも……。

でもでもと、問題から逃げるわけではないが、何も受験前のこの時期に、焦って言うのは、心の負担となって可哀想な気がする。


受験まで、後半年……。

半年間をやり過ごし、受験が終わってからと思ってしまうのは、やっぱり問題から逃げているだけなのかも知れない。





蝉時雨 ~不倫のち不貞~

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