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窓の外の景色は、夜の闇を抜け、山の形を縁取るように明るくなり始めていた。


「沙羅、おはよう」


「う、うーん」


「ほら、起きて。朝日が昇る頃に川辺を散歩しようって、沙羅が言ったんだよ」


肩肘をついた慶太が声をかけたが、沙羅はモゾモゾと動くばかりで、いっこうに起きる気配がない。

慶太はそっと手を伸ばし、自分に寄り添い安らかな寝息を立てている、沙羅の頬を愛おしげに撫でる。


会えなかった時間を埋めるように、キスを躱し肌を合わせた。

それでも、まだ足りなく思う。

ふたりの時間は瞬く間に過ぎていく。気が付けば宿に着いてから三度目の朝になっていた。


東京に帰ると言っていた沙羅。

仕事に戻らねばならない自分。どうしたら道を違わずに済むのか考えを巡らせても答えが見つからず、慶太は考えあぐねていた。


愛情深い沙羅が、子供を一番に考えるのは仕方のない事。子供のために東京で暮らすというなら、そのために自分は何が出来るのだろうか。

出て来るのは妙案では無く、ため息だけだった。


そのタイミングで沙羅がモゾリと動き、甘えるように慶太の体に腕を巻き付け擦り寄る。


慶太は、フッと微笑を漏らし、沙羅を腕に抱き寄せた。


「沙羅、起きなくてもいいよ。ずっとこうして居よう」



テーブルの上に置きっぱなしにしているスマホが、短い音楽を奏でた。メッセージの着信だ。

その音で目覚めた沙羅は、のっそりと起き上がり、布団の横に脱ぎ散らかした浴衣に手を伸ばす。

すると、背中からすっぽりと慶太の腕に包み込まれた。


「おはよう」


肩口に顔を乗せた慶太の声が耳元で聞こえて、くすぐったい。


「おはよう。寝坊しちゃってごめんなさい」


「いいよ。朝日の中の散歩は明日にしよう」


「明日の朝は、絶対に早起きするから。ホントごめんね」


沙羅から明日も一緒に居る約束を取り付けた慶太は、クスッと笑う。


「沙羅がこんなに朝が弱いとは知らなかった」


「違うよ。ここの布団が寝心地良くて、寝過ぎちゃってるの」


もちろん、布団の寝心地が良いのもあるが、慶太に抱かれて眠る安心感から、心地よい眠りに誘われ深い眠りに落ちているのだ。


「朝寝坊をした沙羅の今日の予定は?」


「んー、どうしようかな。とりあえず、お風呂に入ろうかな?」


「俺と一緒に?」


耳元に艶のある声で囁かれ、かぁーっと頬が熱くなる。

いまさらだが、お風呂というシチェーションで裸姿を見られるのは恥ずかしい。


「……だめ」


拒絶の言葉に慶太は、わざと大きなため息を吐く。


「しょうがないな……。でも、朝寝坊のバツだからあきらめて」


そう言って、慶太は沙羅の膝の裏に手を入れ、抱き上げた。


「きゃぁっ、ウソでしょう⁉」


思いがけないお姫様抱っこに沙羅は大慌てだ。


「落ちるといけないから、暴れないの」


「ズルい!」


ムウッと、ふくれっ面を見せても慶太はアハハと笑うばかりで、露天風呂行きは、免れそうもない。

露天風呂に続くドアを開けると、風に揺れる木々のざわめきと蝉の声がきこえる。


テーブルの上に置き忘れられているスマホは、新たなメッセージを受信した。



穏やかな風が吹き、サワサワと葉擦れの音が聞こえる。


「ん、ふうぅ……」


胸に柔らかな刺激を与えられ、重ねた唇の合間から鼻に掛かった声が漏れる。


こんな明るい所で……。

と心の中で思っても、キスで溶けた頭は、甘い誘惑に抗えない。


「沙羅、おいで」


慶太に導かれるまま、ゆっくりと腰を下ろした。

お湯とは違うぬめりを湛えたその場所は、慶太の熱い情熱に満たされていく。

一番深い所まで辿り着き、沙羅を揺らし始めた。


「あ、けい……た」


ちゃぷちゃぷと、湯船のお湯が揺れ、沙羅は甘い吐息を漏らす。

頬に当たる風は爽やかなのに、淫らな|身体《からだ》が熱く火照っている。


緑鮮やかな木々の合間で、蝉が鳴き始めた。

短い恋を惜しみ、声を張り上げ鳴いている。


慶太の首に腕を回し、沙羅は自分から唇を重ねた。慶太を求め、唇の間からそっと舌を差し込む。

何度キスをしても何度体を重ねても、慶太を欲しくなる。

時間だけが刻々と過ぎていく事を切なく思いながら、今だけの幸せを噛みしめて肌を合わせた。


やがて、ハァハァと荒い息があがる。足先に力が籠り、クッと慶太の楔をきつく締め付ける。自分の中にある彼の形がわかる程、中がうねり、沙羅は浮遊感に見舞われた。


「けい……た。あっ、あぁ」


息が止まるようなキスをして、絶頂を迎えると自分の中にあった楔がズルリと引き抜かれる。

それが、たまらない寂しさを感じさせた。

檜木の床に、力の入らなくなった体に横たえ、慶太を見つめていると、 慶太は切なげな瞳で沙羅を見つめ返し、また唇を重ねた。


風向きが変わり、ひんやりとした風が吹き始めた。まわりの木々がざわめく。

スマホの着信音が鳴りだした。

画面が明るくなり、相手の名前が「佐藤 政志」と表示される。


蝉が声をあげて鳴いている。



けだるさを体に残し、部屋に戻った沙羅は、ミニバーにある冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを取り出した。

「慶太も飲む?」


「ああ、いただこうかな」


ペットボトルを慶太に手渡し、座ろうかとテーブルへ向かう。

すると、テーブルの上に置いていたスマホのお知らせランプが点滅しているを見つけ、それを手にした。


なんだろう?と、気になった沙羅は、スマホの画面をタップする。表示された画面には、メッセージや着信履歴が何件も並んでいた。

それはどれも「佐藤政志」と別れた夫の名前に思わず眉根を寄せる。


円満な結婚生活を送っていた時でさえも、こんなに続けて連絡を寄こすような人ではなかった。

なにかあったのでは?と気になり、メッセージを開く。


そのメッセージの内容が目に飛び込んできた瞬間、ハッと息を飲み込んだ。


『美幸がケガをした。これから病院に向かう』


予想もしていなかった内容に、沙羅は口を引きむすび、奥歯を嚙みしめた。


『ケガの処置が終わり次第、東京に戻ろうと思う』


『処置が終わった。左手首の骨折で、他は異常無しとの診断』


ここまで読んで、大ケガを負ったのではなかった様子にホッと息を吐き出した。

そして、最後のメッセージを開く。


『美幸が沙羅に会いたがっている。里帰り中に悪いが、帰ってこれるだろうか』



東京へ帰る。

それは、慶太との別れの時間がやって来たという事。

この恋に終わりが来るのは、最初からわかっていた。

元々、TAKARAグループの御曹司の慶太と、何の後ろ盾のないバツイチ子持ちの自分とでは、釣り合いが取れていない。

慶太と一緒に過せて、夢のような思い出が作れただけでも幸運だったのだ。

そう、ただ別れの時間が少し早くなっただけ……。


沙羅は、そう自分に言い聞かせても、心は寂しさで埋め尽くされていく。


スマホの画面がじわりと涙で歪む。泣かないようにギュッと目を閉じ、大きく息を吐き出した。


「何かあった?」


心配そうに覗き込む、綺麗な切れ長の瞳も優しい声も、しょうがないほど好きだと思った。


「慶太……」


別れの言葉を言わなければいけないのに、口にしようとすると抑えつけている感情が溢れ、涙がこぼれそうになる。

慶太から視線を外し、うつむいた。


「沙羅、俺で良ければ力になるから、何でも言って」

肩を抱く力強い腕も髪を撫でる優しい手も好きだった。

でも、金沢に居る間だけの恋人と自分が言い出したのだ。

震える手を強く握り込み、大きく息を吸い言葉と共に一気に吐き出す。


「慶太、ごめんなさい。私……急いで東京へ帰らないと行けなくなったの」



ふたりで交わした、明日の約束は叶わない夢となってしまった。


慶太は、ショックで沙羅にかける言葉が見つけられずにいた。

細い肩を震わせ、声を押し殺して涙を流す沙羅をどうにか慰めたいと思っているのに……。

腕の中に居る沙羅の背中を擦りながら、どうにか、ふたりの間の赤い糸が切れないようにする手だてを考え続けた。


「ごめん……娘がケガしたって、連絡が来て……」


しゃくりを上げながら、東京へ帰るための理由を口にする沙羅の願いは、娘に会う事だろう。

沙羅の気持ちを考えたら、引き留めるのは得策ではないと慶太は細く息を吐き出した。


「わかった。直ぐにチェックアウトしよう。金沢駅まで送るよ」


「ありがとう……。ごめんなさい」



バタバタと荷物をまとめ、宿を後にした。ふたりを乗せた車は、金沢駅を目指し走り出す。

来たときの楽しい気持ちとは違い、お互い交わす言葉を見つけられずに車内には重い沈黙が落ちていた。


金沢に居る間だけの恋人と沙羅は言った。

頑ななところがある沙羅に、今、この先の約束を取り付けようとしたら、きっと拒絶の言葉を選ぶはずだ。


ふたりで過ごした間に、交わした会話を慶太は反芻するように思い起こす。

なにか、この先に繋がるヒントがあるはずだと……。


ふたりを乗せた車は金沢駅に近づいている。



金沢駅東口にある鼓門を見上げた沙羅は、ふたりの時間が残り僅かになったと実感した。


「沙羅、チケットは?」


声のする方へと視線を移す。慶太の切れ長の瞳に見つめられ、作り笑顔を返した。

強がっていないと泣いてしまいそうだったから。


「スマホのアプリで取ったから大丈夫」


「そう……じゃあ、ホームに行こうか」


慶太に差し出された大きな手に、手を重ね歩き出す。半歩先を歩く慶太の温かな手を離したくなくて、自分から指を絡めた。それに気づいた慶太が振り返り、柔らかな微笑みをこぼす。

その笑顔に切なさが込み上げて来る。


引き留められたなら困るのに、引き留めて欲しい自分が居て、沙羅は我が儘な自分が嫌だと思う。

でも、本音を言えば帰りたくない。いや、慶太と別れたくない。

繋いだ手に力を籠めた。


13番線 古代紫色のホームドアが見えて来る。

電光掲示板の表示は、東京行き。


「沙羅、いつでも連絡して。俺、待ってるから」


白地にブルーのラインの車両が、音を立ててホームに入って来る。車両に|圧《お》された風が吹き、沙羅の髪が乱れた。

慶太が空いている方の手で、沙羅の髪を撫でる。

そのやさしさに気持ちが溢れて、一筋の涙が頬を伝う。


「ありがとう。慶太と一緒に居た間、すごく幸せな時間だった」


「ん、俺も幸せだったよ」


慶太の全部を覚えている。ふたりで過ごした日々はいつまでも記憶の中に留めて置く。


「私の事は、忘れて……。慶太は、幸せになって」


そう言いながら、繋いだ手を離せないでいる。

アナウンスが掛かり、新幹線のドアが開く。


後ろ髪を引かれる思いで手を離し、車両に乗り込む。

これで、慶太と別れるのだ。

濡れる瞳で、精一杯の笑顔を送る。

発車のベルが鳴り、ホームドアが閉まり始めた。


慶太の口が動く。


「俺は、沙羅を忘れないよ。……沙羅、愛してる」


車両のドアが閉まり、新幹線は東京に向けて走り出す。

沙羅は遠くなっていく、慶太の姿を見つめつづけた。




沙羅を乗せた新幹線が遠ざかり、やがて見えなくなる。

慶太は、細く息を吐き出し歩き始めた。


金沢駅の改札を出ると、明るい日差しが降り注ぐ。

見上げれば、幾何学模様に組まれたガラスの天井。

アルミ合金の骨組みが支え合い、見事に組み上げられている。

『雨風をしのぎ、金沢を訪れた人々にそっと傘を差し出す金沢人の優しさ、おもてなしの心を表わす』というコンセプトのもとに作られのだ。

心の中で悲しみの雨が降りしきる慶太は、差し出された傘の優しさを受け取るようにその場に佇む。


誠実で真っ直ぐな心根を持つ沙羅。

出会った奇跡をこのまま手放したくはない。

東京での暮らしぶりを知れば、この先再び出会うための道が探れるのではないだろうか。

そう考えながら、組み上げられた幾何学模様を見つめた。


ふっと、沙羅との会話を思い出し、慶太はスマホの通話アプリを立ち上げる。


コール音が鳴り出した。

数回の呼び出しの後、懐かしい声が聞こえてくる。


『久しぶり、どうした?』


「委員長、久しぶり。ちょっと聞きたい事があるんだけど、今、大丈夫?」


『あはは、高校卒業してから何年経っていると思ってるんだよ。委員長はヤメてくれよ』


電話の相手は、高校時代に同じクラスの委員長だった村山亮。今は金沢で弁護士をしている。


「ごめん、ごめん。ついクセで」


『それで、お忙しい高良社長が何のご用件で? 仕事のご依頼ですか?』


「ごめん、仕事じゃないんだ。高校の時に同じクラスだった日下部真理って覚えてる?」


『覚えてるよ。うちの奥さんと仲が良かったけど、いろいろあって去年上京したって聞いた』


村山が同じクラスだった高梨千春と結婚したのを慶太は思い出した。

まさに、話を訊くのに村山はうってつけ相手だった。


「その日下部真理の連絡先が知りたいんだ」








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