大量の檻が積まれている監獄のような場所。その檻の中には、奴隷達が入っている様子はなかった。ただ静かで、ただただ薄気味悪く不気味だった。
「ルクス!」
そう叫んだのは、ルフレだった。
ルクスは名前を呼ばれれるとふらっと顔を上げて、死んだ魚のような空色の瞳でルフレを見た。だが、ルフレがその瞳に映っている様子はなく、すすけた頬、乾燥した唇を開いては閉じているだけだった。
一日しか経っていないというのに、どんな仕打ちを受けたのだろうかと考えるだけでもおぞましかった。
「ルクス、ルクス!」
「ルフレちょっと待って」
彼に近付こうとするルフレを私は制止する。何かが可笑しい。
ただ奴隷を売買するだけにしては、場所が静かすぎるのだ。それだけでは、勿論理由はないが。
司会者の男はバッと手を広げて私達を歓迎するような動作をする。
「先ほどの競り合い見せてもらいましたよ。あれだけ白熱したのは久しぶりでした」
と、司会者の男は後ろで控えていた案内役の男と同じようなことを言う。
だがあまり嬉しそうに思えなかった。主催者側としたら儲かったのだからそれでいい話なのだろうと思うが、仮面をつけていて如何せん表情が分からない。
私の後ろには、グランツとアルバがいて二人も警戒してくれているようだが、あちらが動かないことによっては下手に動けないと思った。どうなるかも分からないし。
そんな風に身構えていると、ルフレが私の手を振り払ってダンッと一歩大きく踏み出した。
「僕が彼を競り落としたんだ。早く受け渡してよ」
そう言うルフレに司会者の男は「ほぅ、君が」と舐めるような目でルフレを見た。ルフレはそれを気持ちが悪いと言ったように顔を歪ませたが、彼も彼で問題を起こしてはならないと、耐えているようだった。
司会者の男も私達を値踏みするような、それでいて、何処か警戒しているようにも感じた。それよりも、司会者の後ろにいる女性らしき人は誰なのだろうか。先ほどから黙っていて、ピクリとも動かない。
「それはなりません。先に、呈示してもらった金額を渡してもらわないと。逃げられる可能性がありますからね」
と、司会者の男は笑う。
確かに、オークションで競り落としてもお金を払わず奴隷を持ち逃げすればそれはルール違反だろう。
しかし、持ってきたお金と競り落とした金額は遥かに違いすぎて、今すぐに金銭を渡せと言われたら無理だ。どうするつもりかと、私はルフレを見る。ルフレは何も言わず、じっと司会者の男を見ているようだった。このまま沈黙が続いてはいけないと、私は口を開いた。
「後日、後日お金を――――」
「なりません。今日、この場で出してもらわないと」
そう司会者の男はいって、私の言葉は遮られた。やはりダメなのか。
困ったなと思っていると、ルフレが何やら懐から取り出した。それは小切手のようなもので、そこにさらさらっとペンで金額を書いていた。
「これでいいでしょ。小切手も使えるだろ」
「ほうほう、確かに」
司会者の男は、ルフレの機転を利かせた行動に感心したような素振りを見せた。さすが富豪の息子と思いつつ、早く受け取るよう顎で指示するルフレに相当キレているんじゃないかと心配にもなる。今すぐルクスを取り返したいという気持ちが見え隠れてしているのだ。
それを悟られてしまったら。
先ほど会場で競り合いをした男のように、魔法で髪色を変えていて目の色がバレて……正体がばれたら。兄を取り返しに来た一行と言うことがバレてしまったら。そうなれば、きっと彼らはルクスをただでは渡さないだろう。もっと高い金額を要求してくるかも知れないし、ルフレも捕まえてもう一儲けと考えるかも知れない。
だから、ここは慎重にいかなければならないのだ。
だが、そんなこと今のルフレには考えられないのか、早く受け取れよ。と司会者の男を急かした。
「傲慢な貴族様ですね」
と、司会者の男が言った。
そして、その言葉と同時にパチンと指を鳴らした。すると、どこに隠れていたのか、檻通りの隙間から闇の中から武装した男達が出てきては、あっという間に私達の周りを取り囲んだ。
「そこの小さい貴方の正体分かってますよ? 兄を取り返しに来たんでしょう。ルフレ・ダズリング」
「……だったら何だよ。今すぐルクスを返せ! そうすれば、お前達の首を跳ねることだけは免除してやる!」
「この状況で何を言うんですか」
司会者の男はクツクツと喉の奥をならす。
確かに、司会者の言うとおりだ。分が悪いのは私達で、この囲まれた状況下、どうすればいいのか。ちらりと後ろを見れば、アルバとグランツは腰に下げていた剣の柄を握っていた。いつでも戦えるようにと準備してくれているのだ。だが、この数、ルクスを奪還しルフレもルクスも無事にここからでられるとは思わない。
ガチャンと、後ろでは案内役の男が鍵を閉めているのが音で分かった。
(どうすればいいのよ)
私は、必死に考えたが焦っているせいで頭が上手く回らない。
ルフレも目の先にいるルクスを助けることにしか頭が回っていないのか、周りの状況が見えていないようだった。このまま突っ走られても困る。
ここは時間稼ぎをするのが得策か。と私は待って。と声を上げる。
「アンタ達の目的は何?」
私が聞くと、司会者の男は私の方を見てニィッと笑った気がした。
そして、彼は私達に向かってこう言った。
「ヘウンデウン教、混沌にその双子を捧げることです。そして、貴方――――エトワール・ヴィアラッテアを引き渡すことです」
と、司会者の男は告げた。
いきなり私の名前が出て、やはり私の正体にも気付いていたかとクッと下唇を噛む。
一体どこから情報が漏れたのか。監視されていたわけではないだろう。監視する魔法をかけたとしても、あれは闇魔法だし、闇魔法は聖女殿にいけば魔力がよほど強くない限り、すぐにとけてしまうだろう。だから、情報が漏れるはずはないのだ。
ヒカリが流したとしても、そこまでの情報はつかめないはず。
だが、単純に考えればルクスが攫われたらルフレが動くことは簡単に予想がつくだろうし、私が攫われた現場ダズリング伯爵家にいたのも事実。だから、バレないわけではないのかも知れない。
けれど、何故私を狙っているのか、そこは理解不能だった。
「何故、私を? 私は、偽物の聖女だし、混沌の邪魔にはならないはずだけど?」
そう問うと、司会者の男は笑いながら答えた。
まるで、私を馬鹿にするかのように。
そして、それは私だけじゃなく、この場にいる全員を見下すような言い方で。それは、とても不快で腹立たしいものだった。
「貴方は分かっていないようですね。まぁ、無理もないですかね。自分の価値が分からないのですから。貴方の価値、それは混沌によってそれはもう凄い値打ちなのです。貴方を引き渡すことさえ出来れば、お金が……!」
男は興奮したように言った。
(私の価値? 混沌? 意味が分からない)
混沌にとって一番の邪魔は、トワイライトだったはずだ。だが、その彼女は混沌とともに姿を消して、混沌の手に堕ちたと言っても過言ではない。なのに、何故私を欲しているのか。聖女だから邪魔だと思っているのだろうか、ならば殺せと命令すれば良いだけの話だ。引き渡すとはどういうことか。
イマイチ見えてこない会話のやり取りに苛立ちを覚える。
すると、司会者の男が更に続けて言った。
「我が奴隷商会は、ヘウンデウン教あって成り立っている存在。ヘウンデウン教や混沌を支持するのはなにも可笑しいことではないでしょう」
「帝国では奴隷の売買が禁止されているから?だから、帝国のルールを世界をぶっ壊して、お金を稼ぎたいって?」
「そこまでは思っていません。ただ、自分たちが幸せになれるよう儲かるよう働いているだけです」
そう男は言った。
結局は自分の今年か考えていない自己中な連中なのだと思った。ヘウンデウン教と繋がっていることは分かったが、繋がりとしてはそこまで濃いとは言えないだろう。ただ、おこぼれをもらっているような組織のように感じた。
ただ、ヘウンデウン教の存在がさらに大きくなって明るみになってきている今、こういう奴らの存在大きくなっていくに違いない。今のうちにたたければ……と、思ったがこの状況ではどうすることも出来ないのも確かで……。
私は歯を食いしばった。
「さて、話はここまででいいでしょうか。無駄な抵抗はせず、我々についてきて下さい。エトワール様」
そう言って、男は私に手を差し伸べた。
すると、スッとルフレが私の前に出て片手を広げ私を守るような動作をする。怖い思いをしているだろうに、ルクスが簡単に取り戻せないことに絶望しているかも知れないのに、小さい身体で守ってくれようとしているルフレの姿が私の目には強く映った。
「何のまねですか? ルフレ・ダズリング」
「聖女さまは渡さないし、ルクスは取り返す。お前達の思惑通りにはさせない」
ルフレの言葉を聞いて、司会者の男はため息をついた。
そして、私達にこう告げる。
「なら、力ずくで奪い返せばいいですよ。どうぞご自由に……と言ってもこの数じゃどうしようもないですね」
と、男は笑いながら手を挙げる。そして、周りを囲んでいた男達はナイフを構え、じりじりと近付いてきた。このままでは本当に逃げ場を失ってしまうし、ルクス奪還どころか私達の命も危ないと思った。
グランツとアルバは剣を抜いたが、この数をどうこうできるはずもない。だんだんと迫り来る男達に私達は逃げ場を失っていく。
「聖女さま」
「ルフレ……」
迫るナイフ。
男達の間から、あの司会者と虚ろなルクスが見えた。手を伸ばせば届く距離にいるのに私達は彼に近付くことすら出来ない。
(打つ手はないの?)
そう思った時だった、司会者の後ろに立っていた女性がぼそぼそっと何かを呟いたかと思えば右手を天高く上げた。
「光の雨――――ッ!」
女性がそう叫んだ瞬間どこからともなく、針のような細かい光の粒子が降り注いだ。