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特別な用事がなければ、二人で俺の家に帰り朝を迎える──それが日常になってきた頃だった。
いっそのこと一緒に住むかと提案したこともあったが、仕事柄、生活の拠点が二つあった方が便利だからと言われ、なんとなくの半同棲状態が続いている。
今日の仕事は午後からで、いつもより遅く目が覚めると、すでに暖かい太陽の光が流れ込んでいた。
よく寝たな、と伸びをしながら寝室を出て、キッチンでフライパンを傾ける仁人に声をかける。
「おはよ」
ベーコンをひっくり返していた手を止め、仁人が振り返る。
「おはよー、もうちょっとで朝ご飯できるよ」
穏やかな笑顔に頬がゆるむ。ほぼ毎日見てるはずなのに、なんでなんだろうな、毎日可愛いな。
テレビからはいつもの時間帯のせわしないニュースではなく、旅番組の楽しげな音が流れている。
すでに完成している焼きたてのトーストやスクランブルエッグの香りに空腹が刺激され、急いで顔を洗って戻るとテーブルには美味しそうな朝食が並んでいた。
ゆったりとした時間が流れる朝。
仁人がキッチンから出てきて、正面の椅子に座る。
「いただきます」と声を揃え、淹れたてのコーヒーから順番に口をつけていく。
「うまい。今日もありがと」
「いいえ〜いつも変わり映えしないですけど」
なんてことないような顔で言うが、人のために当たり前にご飯を作れるのはすごい。
一人だと適当に済ませてしまう時間なのに、仁人と一緒にいる朝って、こんなに柔らかいんだなと思う。
幸せだ、と思う。
しばらく黙って食べていたけど、不意に言葉がこぼれた。
仁人、と呼ぶと大きな瞳が俺を捉える。
「結婚しよっか」
自分でも驚くくらい、軽いトーンだった。
朝起きた時は、言うつもりなんてなかった。ただ向かい合ってご飯を食べながら、こんなのがずっと続いたらいいのになと思って、プロポーズした。
冗談みたいに聞こえるかもしれないけど、気持ちは嘘じゃない。
仁人は手に持っていたマグカップを置いて、なにも言わず停止している。しばらくして、目を逸らした。顔を伏せ、言いづらそうに口を開く。
「……ごめん。本気で言ってる?」
予想していなかった反応に、嫌な予感がして心臓が音を立てる。
「……うん。唐突だったと思うけど、本気」
仁人の表情は変わらない。
「そっ、か……ならごめん。できない」
え、俺プロポーズ断られた…?
一瞬頭が真っ白になる。無意識に、淡い期待をしていたのだ。仁人も俺と同じ気持ちだと、戸惑いながらも喜んで頷いてくれると。
「あー、えっと、なんでか聞いていい…?」
なんとか絞り出した言葉は少し震えていたと思う。
「……俺は、勇斗には普通の幸せな家庭を築いてほしいから」
「普通の、家庭…?」
「うん。奥さんがいて、子どももいるような。俺は男だから、その幸せを与えてあげられない」
仁人の言葉をゆっくりと咀嚼するも、うまく入ってこない。
「っそんなの、最初から分かってて付き合ってたんじゃねえの…?いつかは俺が他の人と家庭を持つことを考えながら、今まで過ごしてたってことかよ。俺のこと、本気で好きじゃなかった…?」
止まらない。こんな、責めるようなことをしたいわけじゃないのに。
「…っ、違う!勇斗のことは本当に好きだよ。一番大切に思ってる。だから、こそ幸せに…」
「勝手に俺の幸せ決めんなよ!…意味わかんねぇ」
「…ごめん。いつかは言わないとと思ってた。身を引く覚悟もできてた。でも…」
「……もういい」
泣きそうな仁人の顔をこれ以上見てられなかった。
自分だけ傷ついたみたいな顔しやがって。本当に傷ついているのは、俺の方なのに。
一方的に話を切り上げて、残っていた朝食を流し込むかのように完食し席を立った。
いくら感情が逆立っていても、せっかく仁人が作ってくれたものを残すという気持ちにはなれなかった。
リビングに仁人を残して、一人部屋に籠る。
冷静になろうと気持ちを落ち着かせていると、コンコンとノックの音がした。
「……勇斗、先仕事行ってくるから」
俺の返事を待たずに、バタンと玄関のドアが閉まる音がした。
その音を聞いて、抑えていた感情が決壊する。
「うっ、…ぁあ……」
とめどなく涙が溢れてくる。
──わかってる。男同士で正式に結婚ができないことくらい、全世界の人に祝福されるわけでもないことも、これが一般的な幸せとは違うことも。
ただ、仁人の側に生涯いられるという約束が欲しかっただけ。今更かもしれないけれど、仁人も俺と同じ気持ちだと、聞いてみたかった。
こんなに一緒にいたのに、どうしてわかっていないのだろう。仁人がずっと隣にいてくれれば、俺は一生幸せでいられるのに。
仁人は現実主義だ。理想ばかりを語ってしまう俺とは違って、現実的な未来を考えていたのだろう。
でも、俺が別の人と家庭を持ったとして、だれがお前を幸せにできる?
人を懐にいれるまでに時間がかかって、大変なことは全部一人で抱え込んで、あまのじゃくで面倒くさい仁人を、幸せにできるのなんて。
「俺以外いねーだろ…」
泣きすぎて頭がボーッとするし、目も赤くなっている気がする。午後の仕事までに冷やして、なんてことない顔でまた仁人に会わなければならない。
冷静になってもどうしていいかはわからないが、このままは嫌だ。もう一度、話さないと。
なんとか目元の腫れを落ち着かせ仕事へ行ったが、メンバー全員と合流した時には拍子抜けするほど普段通りの仁人だった。
俺もプロとして二人のことを仕事場に持ち込む気はないから、同じように接することに徹した。
いつもなら仕事が終わったら同じタイミングで帰るところを、俺が支度をしている間にすでに仁人がいなくなっていたことに気づいた。
まあ、話したくないよな、今日は。
俺も少し頭を冷やしたいし、とその日は一人で帰ったが、翌日以降も話すタイミングを逃し続けた結果、仁人をやっと家に誘えたのは1週間後だった。
気まずいという空気を隠さないまま、家に着いてきた仁人は1週間前よりも少しやつれているようだった。
俺が原因でそうなってしまったのかと思うと胸がズキズキと痛む。
ろくな会話もないまま風呂から上がって、習慣が抜けないまま同じベッドに入り、そこでようやく話を切り出すことができた。
「この前はさ、一方的に怒鳴って、ごめん…」
壁の方を向く仁人を後ろから抱き寄せる。
久しぶりに触れたぬくもりが、ビクッと体を強張らせた。
「俺、今まで口に出してなかっただけで、本気だった。だから、悲しくて…」
「……ごめん。俺が何を言っても勇斗を傷つけると思う」
謝ってほしいわけじゃないのに。でももう責めたくない。
「仁人は、本当に俺が別な人と結婚するのが俺にとっての幸せだと思ってるの?」
しばらくの沈黙の後、仁人は震えるように息を吐いた。
「……って」
「え?」
「だっ、て…俺じゃ、子ども産めないし」
「そんなの、」
「勇斗、子ども好きだろ。自分も賑やかな家庭で育ってきて、そういうのに憧れてるのも知ってる。仕事でも子どもと接してる勇斗を見るたびに、いい父親になるだろうなって……見てるの、つらかった」
初めて聞いた気持ちに、言葉が出なかった。
絞り出すように、仁人が続ける。
「俺、このままでいたかった…未来のこと、考えないようにしてた」
「じん、と…」
「俺じゃ無理なこと、わかってるのに、勇斗にそっくりな誰かとの子どもを想像すると、絶対可愛いのに、可愛いって思えなくなりそうで…っ」
「仁人、」
「……っごめん、覚悟できてるとかいって、はやとのこと…っぅう、ぐすっ」
「仁人、もう、いいから」
「全然はなしてあげられなくて、ごめっ…」
仁人を正面から抱き寄せ、頭ごと包み込む。
顔が触れたところから涙の温度が伝わってきて、とてつもなく痛くて、苦しい。
思い立って口にしたプロポーズを、心から後悔した。
言わなければ、きっとこれからも穏やかに暮らしていけた。こんなにも仁人を苦しませることはなかった。
でも今聞いた本音はずっと内に秘められたまま、どこかで決壊してしまっていたのではないか。
もっと歳をとって、一般的な結婚適齢期を過ぎてしまう前に、仁人が俺の元から去って行く未来だって…
泣きじゃくる仁人に何を言えばいいかわからず、強く抱きしめながら背中をさすっていた。
俺は仁人を愛していて、仁人も俺を愛しているだけなのに。
どうすれば俺と二人で幸せになれると、信じてくれるのだろうか。