テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
集中していた意識が、ふと現実へと引き戻される。
ゆっくりと振り向くと、寝癖のまま
まだ夢の中にいるような眠たげな目をこすりながら、リビングに現れた晋也さんがそこに静かに立っていた。
朝の光が、彼のまだ覚醒しきっていない顔を柔らかく照らしている。
「おはよ、柊…って、ご飯作ってくれてるの?」
晋也さんの声は、まだ少し掠れていて、寝起き特有の甘さを含んでいた。
「うん。晋也さんが起きる前に、朝ごはん作ろうと思って」
俺がそう答えると、晋也さんは小さく「…そっか」と呟き、ふわりと笑った。
その笑顔は、まだ寝ぼけているけれど、どこか優しさに満ちていた。
彼はそのまま、ゆっくりとキッチンに近づいてくると、俺の手元を覗き込んできた。
その視線は、まるで珍しいものを見るかのように好奇心に満ちている。
「すごいな…ちゃんと出汁から取ってるんだ」
彼の声には、純粋な驚きが混じっていた。
「インスタで見たんだ。冷蔵庫の中でできそうなやつ探して、組み合わせただけだけど…」
謙遜するようにそう言ったけれど、晋也さんは首を横に振った。
「いや、それでもすごいよ。こんな風に朝ごはん作ってもらえるの、何年ぶりだろう」
晋也さんの声が、ふと遠くを見つめるように低くなった。
彼の視線は、まるで過去の記憶を辿るかのように、キッチンの窓の向こう、遠い空の彼方を見つめているようだった。
「社会人になってから、ずっと一人だったからなぁ。誰かがごはん出してくれる日が来るなんて…」
その言葉には、どこか寂しさが滲んでいるように聞こえた。
その寂しさを埋めるように、俺は衝動的に言葉を口にした。
「俺、これから毎日作るよ」
晋也さんの目が、驚きに見開かれる。
「え?」
「晋也さんのために、毎日朝ごはん作る。だから朝も夜も、一緒に食べよ」
俺の言葉に、晋也さんは少し驚いたような
それでいて心の底から嬉しそうな表情を浮かべて、ふわっと柔らかく笑った。
その笑顔は、朝日に照らされた花のように、温かく、そして愛おしかった。
「…それ、まるで新婚さんみたいなセリフだな」
茶化すような晋也さんの言葉に、俺の頬がカッと熱くなる。
「べ、別にそういう意味じゃ……!」
慌てて否定しようとする俺の言葉を遮るように、晋也さんは優しい声で言った。
「ありがとな。俺も、柊がいてくれて嬉しいよ」
その言葉が、じんわりと心の奥深くに染み渡り、温かい光が灯ったようだった。
家族じゃなかった、血の繋がりはなかったけれど
それでも家族よりもずっと欲しかった優しさが今確かに、俺に向けられている気がした。
「…味噌汁、あと10分でできるから。先に顔洗ってきて」
照れ隠しのようにそう言うと、晋也さんはくすりと笑った。
「はいはい、いただきますの前に顔洗えって、小さい頃から変わんないな、柊」
「いいから早く!」
「はいはい」
晋也さんの茶化すような声に、思わずぷいっとそっぽを向いたけれど
頬の奥が、ちょっとだけ熱くなったのを晋也さんに気づかれないように、そっと俯いた。
それから晋也さんが洗面所へ向かったあと、俺は残りの準備を進めた。
味噌汁の火を止め、炊き上がったばかりのご飯を茶碗によそい
解凍された鮭を魚焼きグリルに並べる。
香ばしい匂いがキッチンに広がり、食欲をそそる。
食卓に並べられた朝食は、決して豪華ではないけれど、温かい湯気を立てていた。
やがて、すっきりとした顔で戻ってきた晋也さんが、食卓の椅子に腰を下ろす。
「「いただきます」」
二人の声が重なり、小さなアパートの部屋に響いた。
温かい味噌汁を一口飲むと、小松菜のほろ苦さと油揚げのコクが口いっぱいに広がる。
出汁の優しい味が、疲れた体に染み渡るようだった。
晋也さんも、ゆっくりとご飯を口に運び、時折、満足そうに頷いている。
「ん、うまいなこれ!」
彼が呟いたその一言が、何よりも嬉しかった。
普段、一人で黙々と食べていた朝食とは全く違う
穏やかで満たされた時間が流れていく。
他愛もない会話を交わしながら、ゆっくりと朝食を終えた。
食卓を片付け、食器を洗い終える頃には、部屋にはすっかり朝の光が差し込んでいた。
俺は自分の部屋に戻り、制服に着替えた。
玄関で靴を履きながら、ふと晋也さんを見上げる。
休みというのもあってか、スーツ姿とは一変してラフな部屋着だった。
「んじゃ、ちょっとそこまで見送るよ」
二人並んでドアを開け、外に出る。
朝のひんやりとした空気が、顔に心地よかった。
アパートの前の道を少し歩くと、すぐに大きな交差点が見えてくる。
「じゃあ柊、いってらっしゃい」
そう言って、晋也さんは軽く手を上げて背を向けた。
俺も、その背中が見えなくなるまで見送り、それから自分の足元に視線を落とす。
一人で歩き出す通学路は、昨日までと同じはずなのに、ほんの少しだけ、足取りが軽くなっているような気がした。
背中には、温かい朝食の余韻と、晋也さんの優しい笑顔が残っていた。
◆◇◆◇
放課後──…
学校の門を出ると、夕暮れの色が世界を包んでいた。