ひい~っ。
追ってくるっ!
何故っ?
殺しにっ?
っていうか、めちゃくちゃ速いーっ。
何度も後ろを振り返りながら、夏菜は更にスピードを上げた。
ほ、歩幅が違うし、幾ら私が鍛えてると言っても、社長とでは基礎体力が違うようなっ。
おまけに歩道に人がいるから、山より走りにくいしっ。
人様にご迷惑をおかけしてはと思い、夏菜は人が来るたび、軽いジョギング程度にスピードを落としていた。
このスピードを上げたり落したりが、走るテンポが狂って、なかなかきつい。
「夏菜ーっ」
と後ろから有生が叫んできた。
もう表情が見える位置まで有生は迫ってきている。
「なに? 恋愛ドラマの撮影?」
と横を歩いていた若い女の子たちが振り返って言うのが聞こえてきた。
こ、こんなスピードで逃げてる恋愛ドラマありませんーっ。
そ、そうか。
追いついてもらって仲直りするには、ある程度スピードを加減する必要があるのですね。
って、いや、別に仲直りするつもりはないんですけどっ、と思ったとき、有生が叫んできた。
「給水しろっ、夏菜っ」
マラソンか、と思ったが。
夏菜が走っていく方角から、道場に向かっているのはわかっているようだった。
まだかなり距離があるから、給水しろと言ってきたのだろう。
「夏菜っ。
その先にコンビニがあるっ」
と言う有生に、
「いいえっ」
と振り返り、夏菜は叫び返した。
なんだとっ? という顔を有生がする。
初めて見たときと変わらない緊迫感のある顔に、ひいいいいっと思いながらも、夏菜は言った。
「朝、来るとき見たんですっ。
もうちょっと先にスーパーがありますっ。
スーパーだったら、おんなじお水がっ、安いですっ。
今日、知りましたっ」
さすがにちょっと息が切れながら、そう叫ぶと、有生は一瞬、表情を止めた。
が、次の瞬間、ぷっ、と笑ったようだった。
わー……。
社長のそういう笑い顔はなかなか好きなんですが。
休日にずっと眺めて、ほっこりしていたいような顔です、と休日に猛ダッシュで有生から逃げながら、夏菜は思っていた。
「じゃあ、そこのスーパーに入れっ」
ともう近づいてきたスーパーを指差しながら、有生が叫ぶ。
はいっ、と夏菜は返事しながら、スーパーの店内にそのまま入った。
水を選んでいると有生がやってきた。
夏菜の手にある水のボトルをひょいと取り、レジに持っていく。
「あ、払います」
「いい。
おごってやる。
……だから、これで殴りかかってくるなよ」
と言われて、初めて会ったときのことを思い出し、はは……と夏菜は笑った。
「それでそのままランニングして此処まで帰ってきたんですか」
みんなが夕食をとっている広間で大根の煮物を出してくれながら、加藤が呆れたように言ってきた。
「す、すみません。
せっかく水買ったんで、なんだかそのまま走った方がいい気がして」
と夏菜は答える。
二人で水を手に道場まで走ってきたのだ。
ちょうど晩ご飯の時間だったので、食べていってはどうかと言われて、結局、いつものように此処で食べることになった。
加藤が、はは、と苦笑いし、
「今日はお二人でディナーとか行かれるのかと思ってましたよ」
と言ってきたが。
「いやいや。
ディナーもいいですけど、此処のご飯、美味しいので。
今日は特に大根が絶品ですね。
とろとろで」
寒くなってきたせいか、大根が美味しい。
「銀次の実家から送ってきたんですよ」
と加藤が笑って教えてくれる。
「……銀次さん、実家あったんですか」
と何故かまた物陰からこちらを見ている銀次を見て、夏菜は呟いた。
なんとなく、さすらいの銀次、という雰囲気だったのだが。
そういえば、お盆とかいなかったから、実家に帰ってたんだろうな、と今になって気がついた。
しかも、大根を大量に送ってくれたりする、いいご家族が居るようだ。
「美味しいです、銀次さん。
ありがとうございます」
と微笑みかけると、銀次は襖の陰から頷いてきた。
「大根おろしも美味しいですよ」
食事が少し進んだ頃、なめこと和えた大根おろしを持って、ふたたび現れた加藤に、有生が、
「すみません。
早くにご連絡しようと思ってたんですが、うっかりしてて」
と言いながら、週末住むことに決めたマンションの住所を手渡していた。
加藤は、あー、はいはい、と笑いながら、それを見たが、一瞬、止まる。
「……はは、そうですか」
と言ったあとで、それを畳んで、ポケットに入れていた。
「では、頼久様にもお伝えしておきますね」
と言って、いなくなる。
絶妙なダシ加減のすまし汁を飲みながら、チラ、と夏菜が有生を見ると、有生もチラと目だけを動かし、こちらを見る。
今なにか妙な間がありましたよね?
そうだな。
なにかおかしかったな、と目だけで会話した。
そんな風にできるのは、今日一日、100円グッズについて語り合ったり、励まし合いながら共に此処まで走ってきたりした成果だろうか。
そう思いながら夏菜たちは食事を終えた。
頼久に挨拶してから走って帰る、という夏菜たちを加藤が止める。
「いや、お車ご用意しますよ」
と加藤が言っているうちに、頼久がやってきた。
一緒に近くの和室に入り、少し話したが、頼久は、
「夏菜。
ちょっと雪丸の稽古を見てやりなさい」
と言う。
これはっ、と思い、夏菜は有生を見た。
有生がこくりと頷く。
それは明らかに夏菜に席を外させるための口実だった。
雪丸は稽古をするどころか、庭で鼻歌まじりに薪を割っていて、
「こんなに薪いるかーっ。
いいから稽古しろーっ」
と怒鳴られていたからだ。
社長、あとで教えてくださいよ、と思いながら、夏菜は手をついて頭を下げ、座敷を出る。
きっと、あのマンションについての話だろう。
なんだろう。
あのマンション……
えーと。
……祟りがあるとか?
いや、そんなのおじい様や加藤さんが知ってるのおかしいな、と思いながら、夏菜はとりあえず、薪割りをしている雪丸とそれを眺めている銀次たちのところに行った。
――が、夏菜たちの予想は外れていた。
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