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馬車がとまった。王宮へついたようだった。御者が門番にケルヘール家のアザレア公爵令嬢の到着を告げる。まもなくして門が開きアザレアは中へ通された。
広い王宮内の見慣れた廊下を案内役のメイドと共に歩く。いつもなら、今日こそは殿下に会えるかもしれない。と、緊張しつつも期待に胸を踊らせながらこの廊下を歩くのだが、今日はどこがどう違うのか、明確な説明はできないがなんとなくなにか違って感じた。
例えば、花をモチーフに細工を施された美しい彫像や、綺麗に磨かれた大理石の床、窓にかかる美しいレースのカーテン、窓から聞こえてくる小鳥のさえずり、はては壁にかかっている肖像画の優しげな王太子の微笑までもが、自分を拒否し冷たく突き放しているように見え、それゆえに自分が物凄く場違いな場所に居るような疎外感を感じた。
なぜそんな気持ちになるのかと理由を探すうちに、ますます気持ちが沈んでしまい、なんとなく前を歩く案内役のメイドのスカートの裾を見ながら歩いていた。すると、突然メイドが足を止めた。前方を見上げると、見知った顔がそこにあった。
「あら、アザレア様ごきげんよう。貴女も殿下に謁見しにいらしたの?」
ピラカンサ・ラ・コシヌルイ公爵令嬢だ。緩くウェーブした腰まである金髪、陶器のような肌、整った顔立ち、そしてそこにあるバイオレットの瞳が、射抜くような鋭い視線をこちらに向けていた。
「ピラカンサ様ご機嫌麗しゅう……」
と、慌ててカーテシーをしようとするが、ピラカンサ公爵令嬢はうんざりとばかりに眉根にシワをよせ、右手で持っている扇子で口元を隠しながら、左手を縦にひらひらさせて、私の動きを制止して言った。
「よしてよ、私だってきちっと挨拶してないんですもの。大体このご時世で、そんな堅苦しい礼儀を守るのなんてレア様、貴女ぐらいよ?」
そうなのだ、貴族の間での礼儀は、現在のように爵位が魔力による実力で授かる現代では、過去の遺物となりつつあった。
現在そのように血筋関係なく魔力の高い者は高位の爵位を授かるとができる理由は、高い魔力を使える者が領地を統治しなければならないからだ。
だがそれゆえに爵位や領地を授かるのを嫌がる者も出てきた。魔力が高ければ貴族となり面倒な責務を負わずとも、充分贅沢な暮しができるからだ。
そうして爵位を返上してしまう貴族も現れた。逆に出自関係なく高い魔力により爵位を授かり貴族になる平民も最近では少なくないため、昔の貴族間で行われていた礼儀作法は廃れつつあった。
しかし公爵家ともなると、親の血を受け継ぎ魔力の高い者を輩出することが多く、結局世襲制で公爵の爵位を継ぎ家名を守っているものがほとんどで、そのように生粋の高位貴族の間では、いまだに一昔前の礼儀作法が重んじられることもある。
そんな中元々貴族の公爵家出自でもあるのに、彼女は違っていた。『実力社会で作法にこだわるなど、現代的ではない。時代に遅れる』と、あまり礼儀作法にこだわってはいなかった。王宮内であるためか、流石に呼び名に敬称をつけているものの、普段は敬称すらつけないで呼んでくるほどだ。
そんな彼女ももちろん王太子殿下の婚約者候補の一人である。本来ならライバルであるアザレアにも気安いのは、恐らく相手にもならないと判断しているためだろう。
ピラカンサは頭脳明晰、大きな瞳に高い鼻筋、涼やかな目元。豊満な胸と括れた腰、スラリと延びた長い足、王太子殿下と並ぶと美男美女で周囲から吐息が漏れるほどお似合いだ。
ピラカンサは今日、体のラインが隠れてしまう中等科の制服を着ている。王太子殿下との謁見でそのスタイルを武器にできないのは悔しいところだろう。だが、マトリカリアに通っている学生は制服が正装の装いと規定で決められている為、謁見の際は制服で登城せねばならない。
アザレアがピラカンサの制服に視線を落としていることに気がついたピラカンサ公爵令嬢は、逆に上から下までアザレアを見返した。
そして豪奢な扇子を見せびらかすようにして開くと、それで口元を半分隠しながらニヤリとして言った。
「レア様は本当に慎ましくてらっしゃるのね」
そう言って扇子をひらひらさせる。よく見れば扇子に水色の鳥の羽と宝石があしらわれていた。あの宝石はコシヌルイ家の領地で採れた名産のアクアマリンやエメラルドだろうとぼんやり考える。
それに比べて、アザレアは薄いグリーンの飾りのないドレスを着て、アクセサリーも付けていない。それにありふれた茶色の髪、その長い髪はポニーテールにまとめてしまっているし、瞳の色も緑黄色でぱっとしない。
更には特に凹凸のないスタイル。服装も何もかも全てが地味だ。そしてそれを隠そうともしていないアザレアをピラカンサはそれとわかるように蔑んで笑っているのだろう。 その真意はもっと身なりに気を付けなさい、と言うことなのだろうが。
ピラカンサを知らなければ蔑まれたと憤慨するかもしれない、しかし彼女を知っていればただの忠告だとわかる。
これくらい強気でないと社交界では通用しない。だが今日は挨拶だからと聞き流せる元気もなく、ただただアザレアの気分を落ち込ませた。
更にたたみかけるようにピラカンサは言う。
「それに私初めて殿下の執務室からこちらを通って帰って参りましたけど、レア様いつもこちらからいらしてますの?」
アザレアは言っている意味が解からず、そんなことを言ったピラカンサの意図を推し量るようにバイオレットの瞳を見つめ返した。
ピラカンサは呆れたようにため息をついた。
「本当に気がついてませんのね、このルートは、他の者は通りませんのよ? 外から来たら遠回りになりますし」
その一言はアザレアには衝撃的であった。ショックを受けたことを取り繕うことすらできなかった。それを察知したのか、ピラカンサは慌てた様子になって付け加えた。
「やだ、貴女落ち込んでいますの? そもそも、殿下に好かれていないのではなくて、嫌われているかもしれないのに気にもせず王宮に日参する貴方が? そんなことでは王妃は務まらなくてよ? しっかりして頂戴」
彼女なりの激励であろうことも、その通りだということも解ってはいるが、王太子殿下に嫌われているかもしれないという言葉が特に胸に突き刺さった。なんとか作り笑いを浮かべ生返事をし、逃げるようにその場を去った。
メイドたちがアザレアに嫌がらせをするために遠回りをして案内しているのか、それとも王太子殿下の命令でそうしているのか。いやきっと後者であろう。流石に一介のメイド風情が公爵令嬢相手に嫌がらせなどしては、ばれてしまったときに大問題になる。ということは王太子殿下の命令なのだ。
アザレアはどうしようもなく王太子殿下に嫌われている可能性が高いような気がしてしかたなくなった。だとしたら、それは大変なことだ。今まで毎日してきたことが、全て裏目に出てしまったにちがいなかった。
王太子殿下は嫌いな令嬢から毎日差し入れの食べ物を渡されてどう思っただろうか? 廊下にてその存在を強調するかのように飾られた花を見てどんなに不愉快に思っただろうか? その時廊下の向こうから声がした。
「また来てたぜあの令嬢」
側にいた案内役のメイドがその声を聞いて、不満そうに何か言おうとしていたが、それを制して耳をそばだてた。
どうやら門兵が休憩しながら雑談しているようだ。
「あんなに何度も来られてもね、嫌われるのわかんないもんかね」
「さあな、玉の輿ねらって貴族様は大変なんじゃねーの? 知らねぇけど」
自分のことを言っているようにしか思えなかった。呆然とした。アザレアは周囲の者からそのように見られていたのだ。
その後なんとかメイドに連れられ、執務室の前まで行くと、廊下にたまたま立っていた宰相補佐のフランツ・フォン・スパルタカス侯爵令息に花と差し入れを渡した。その瞬間
「フランツ! 何をやっている!!」
と、扉の向こう執務室の中からやや感情的に叫ぶ王太子殿下の声が静かな廊下に響く。姿は見えないが、明らかに不機嫌であることはわかった。フランツは横目でアザレアを見ながら顔をやや斜め後方に向けた。
「いえ、差し入れを……」
と、その時その声は王太子殿下の怒声に遮られた。
「そんなものを食べている暇などない!」
それはアザレアにとってとどめの一言であった。