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「岩崎先生。羊羹どうぞ」
園子マダムが、コーヒーと一緒に羊羹を持って来た。
「皆さんもいかがですか?」
にこやかに言う店主へ、
「あー!園子マダムこっちにも持ってきてくれないかい?」
二代目が催促をかける。
自分はコーヒーより羊羹と茶で良いと言う始末だった。
「あー、父は甘党なんですよ。ものすごく。園子マダム!二代目のおっちゃんはいいからさあー」
京太郎が、こちらが先だと言い出す。
「……なるほど。コーヒーに羊羹ですか。女将、いや、マダム。私にもお願いします」
恒彦がマダムを見て言った。
「あっ、はいはい。結局皆さん羊羹ね」
ふふふと、園子マダムは笑っている。
「なんだか、モダンですね。羊羹とコーヒーの取り合わせもだけど、マダムだなんて……」
「ああ、女将より、園子マダムの方が色気あるだろ?」
奥の席で新聞を読んでいた常連客が声を上げた。
自分がそう呼び始めたんだと、四十絡みの男がにやけている。
「もう、マダムなんて柄じゃないのに青山先生ったら……」
羊羹を切り分けながら、園子マダムが笑っている。
「先生……?」
恒彦が振り返り、常連の男を見た。
「おう、京さんは、音楽の先生で、あっちは青山先生。作家先生だよ」
二代目が、恒彦の疑問を解く。
「へぇ、先生御用達なんだ」
恒彦は驚くというよりも、会話を心底楽しんでいるように見えた。
「いやぁ、あんただって外交官だろ?」
「帝都大学出てるんだっけ」
たいしたもんだよなぁと、二代目と中村が恒彦へ返した。
「えっ?私のことご存じで?」
「あー、ちょっと、色々あって情報は漏れてるんですよ……」
京太郎が、二代目、中村、続いて京介を見て察してくれとばかりに言った。
「ははは。隠しきれないというわけですね。外交官なんて言ったらお高く止まってると思われるので嫌だったんですけど、もう、バレてたのか」
「そうゆうことだよ。フランス行きの兄さんよ」
二代目が、茶化す。
「あれ、そこまで……」
言って、参った降参とばかりに恒彦は両手を上げた。
「い、いや、まあ、色々とあってだな……」
口が軽いと思われると、京介は一人慌てていた。
「フランス?!見合いだろ?京子ちゃんも行くのかい?」
青山が、飲んでいたコーヒーを吹き出しそうになる。
「ああ、はっきりさせておきましょう。確かに来月、フランスへ赴任しますが二年の任期。私一人で赴任します」
「ちょっと待った!」
二代目が恒彦の言葉を遮る。
「うん、そりゃ、ちょっと待て。一人で渡るのか?」
青山も粘る。
「……やっぱり、どっかで聞いた事がある話になってきたぞ」
中村が、少しニヤけて京介を見た。
「もう、コーヒー飲みましょうよ!」
すっかり恒彦が話のつまみにされていると、京子が声を荒げた。面白おかしく語られるためにここに来たのではない。
「いや、京子ちゃん。心配だろ。ここは、はっきりさせておかないと」
青山が腰を上げ、隣の席へ移動してくる。
「君、フランスで、大丈夫なのかね?」
真顔で青山は恒彦へ迫った。
「いやね、前例があってねぇ。勘当騒ぎにまでなったんだよ」
「ああ!そういえば!」
園子マダムまでも合いの手を入れる。
わからないのは恒彦で、ただ、皆の剣幕に押されるだけだった。
「いい加減にしないか!京子のデートだぞ!」
京介が叫ぶ。
「……なら、なんで岩崎先生と京太郎が付き添ってるんです?」
青山の質問に、恒彦が吹き出した。
「違いねぇや!フランス行きの兄さんもいい迷惑だよなぁ」
二代目が、出された羊羹を頬張りながら言い、隣の中村も笑いを堪えている。
「白井君、気にしないでくれたまえ。ここはこういう場所なのだ」
「で、わかってて、野次がはいるところわざわざ選ぶ父上も父上ですよ」
京太郎も呆れていた。
「もう!だから、コーヒー飲みましょうよ!お父様が、ヨーロッパで恋人を作ったとか、そのせいで勘当騒ぎになったとか、昔の話だし!白井様は、フランスへお仕事で行かれるだけですよ!」
たまらず京子が叫んでいた。
「恋人……」
ああ、と、恒彦は合点がいったのか、コーヒーを飲みながら京介を見る。
「私はそんなに器用じゃないですから。ご安心を……仕事に追われる二年間になりますよ」
言って、またコーヒーを飲んだ。
「……」
少し俯き、物言いたげな京介がいた。
「あっ、深い意味はありませんので……」
恒彦が、カップを置くと慌てて京介へ言う。
「分かっている。すべて、深い意味はない。何もかもだ!」
京介は、黙って羊羹を口にした。
どっとその場に笑いが起こる。
「まあ、何事もなければ良いってことよ」
二代目が、恒彦を見る。
「はい、了解しました」
恒彦は、さっと敬礼しおどけてみせた。
ワハハハと、また笑いが起こる。
その中で、京子は気まずさと恥ずかしさから俯いたままだった。
いつもの騒ぎがまた起こってしまった。それも恒彦を巻き込んで。
コーヒーを飲むふりをして、京子はチラリと恒彦を伺った。
瞬間目が合う。
どきりとして、京子は、さっと目を伏せる。
恒彦は、嫌がってはなさそうだ。しかし、さすがにこの騒ぎはないだろう。
二人でパーラーへ行ってソーダを飲むという話はどこに行ったのかと、京子は、少し気が遠くなった。
「てゆうかさあ、これ話進んでないか?」
京太郎が京子へ語りかける。
「なんか、見合い成立してるんだけど、京子、正直どうなんだよ?」
「え?私……」
京子は口ごもる。
「ははは、今日は出かけるだけですよ?気負わない方が楽しいでしょう?」
ねぇ?と、恒彦は、皆へ同意を求めた。この場の雰囲気にすっかり馴染んでいる。
「だよなあ。あれこれ考えずに羊羹食っちまいな京子ちゃん」
二代目も音頭を取る。
「羊羹のせいかな。コーヒーがなくなってしまった。マダム、おかわり頂けますか?」
恒彦がカウンターへ声かけする。
「ええ、もちろん。他にコーヒーのおかわりは?」
園子マダムの呼びかけに、青山がカップを掲げる。
「岩崎様、良いお店ですね」
恒彦が、京介へ言う。
「まあ、この賑やかさだ。とにかく、気負わなくていい」
それだけ言うと、
「私もおかわりをもらえるかね」
と、園子マダムへカップを掲げた。
コメント
1件
井川奎さん、毎回素敵なエピソードをありがとうございます。第7話、読了しました。 パーラーの温かい喧騒が、まるで自分もその場に座ってコーヒーを飲んでいるような気分になりました。羊羹とコーヒーの取り合わせ、モダンでいいですね。青山先生や二代目たち常連さんが恒彦さんをからかいながらも、実は心配している空気が伝わってきて、胸がほっこりしました。京子さんが恒彦さんと目が合った瞬間の「どきり」とした描写に、こちらまでドキドキしました。あの距離感の描き方が、とても繊細で好きです。次回が楽しみです。