コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
ショコラの突然の『跡継ぎになる』宣言と、その叔父・ジャンドゥーヤによる後押し……。それに公然と反旗を翻したファリヌは、言葉を続けた。
「ショコラお嬢様は、公爵位には相応しくない。と、わたくしは思います。」
それを聞いたジャンドゥーヤの眉間には、皺が寄った。
「……お前、一体何が不満だって言うんだ?」
さっきまでの快活な雰囲気は消え去り、叔父の声は明らかに怒気を含んでいた。
彼は立ち上がってファリヌの方へと歩き出す。場の空気が一瞬にして張り詰めた。それでもファリヌは引き下がろうとはしない。一歩引くどころか、更に一歩前へ出た。
「不満しかありません。その辺の貴族様であれば、それでも良いのでしょう。が、ここはオードゥヴィ公爵家です。その職責の重さは、ジャンドゥーヤ様もよくよくご存じのはずではございませんか。……それを、面白そうだなどと……。ショコラお嬢様は跡継ぎとしての教育を、全く受けておられません。もう17歳なのです。例え男のお子様であっても、今からでは遅過ぎるのではないかと。」
「へえ――…!」
相対する両者は、至近距離で睨み合った。
「じゃあもし、だ。フィナンシェであれショコラであれ、婿を取ったとしたらそれはたぶん、次男か三男坊とかなんだろうなあ。そいつらはどうなんだ?え??“跡継ぎ教育”とやらは。」
胸の前で腕を組んだジャンドゥーヤは、憎たらしい表情をして煽っている。対して、睨み返すファリヌもふてぶてしい態度を崩さない。そして当然、どちらも主張を曲げる気などさらさら無い様子である。彼らの言い合いは、一触即発の様相を呈して来た。
「ジャンドゥーヤ、おやめなさいな…。」
「母さんは黙っていてくれ。」
取りなそうとする母を、ジャンドゥーヤはピシャリと撥ね付けた。その言葉に耳を貸そうとしないのはファリヌも同じ。母であろうが前公爵夫人であろうが関係ない。その心遣いですら、二人とも全く意に介していなかった。
「……ご令息様ならば、嫡男様のもしもの時のために、いくらかはその教育をなされているかと。」
「ほう!じゃあ俺はどうだ?もし今兄貴に何かあった場合、そのお鉢は親父じゃなく、弟の俺に回って来るだろうさ。この俺は!オードゥヴィ公爵に相応しいと、お前はそう思うのか?」
「…………………っ」
ああ言えばこう言う……。ファリヌは奥歯を強く噛んだ。
嵐の前のように妙な穏やかさの、しかし荒い口論は続く……。こうなってはもう、意地と意地の張り合いだ。
その状況を見かね、家令のオルジュが口を挟んだ。
「わたくしは、ジャンドゥーヤ様のご意見に賛同いたします。教育……と申しますか、ショコラお嬢様は確かに跡継ぎのそれは受けてはおられません。ですが、旦那様が長くご不在の時などはその書斎に忍び込んで、一日中書物や書類を一心不乱にご覧になっておられるのですよ。」
その告白にギョッとしたのはショコラだった。まさかこの場でその事をばらされるとは、思いもしていなかったのだ。
「ああっオルジュ、それは言っちゃ駄目だったら!」
慌てて咎めたが、オルジュの口から出てしまったものはもう戻せない。
恐る恐る、彼女は父の方を見てみた。ガナシュは呆れたようにポカンとしていた。
「…そんな事をしていたのか、ショコラ……。」
「ご、ごめんなさい…。だって、お屋敷にある本はもう全て読み切ってしまったし、暇で仕方なかったんですもの……。あ!でも、ちゃんと元の状態にしておきましたから、気付かなかったでしょう⁇」
ショコラはとりあえず、えへへと笑って誤魔化してみた。……しかしその内容は、完全犯罪の告白に近かった……。たぶん誤魔化せない。
ちなみにこの場でポカンとしているのはガナシュの他、彼に付き従う執事と、同じく従僕のファリヌに祖父母など普段の屋敷を朝から晩まで知り尽くしてはいない者ばかりである。恐らく知っていたと思わしき母・マドレーヌなどは、無言で視線を外していた。
ジャンドゥーヤは小刻みに肩を震わせた。
「ぶっ…ククク!ほらな、そういう事をするんだ、ショコラは!」
こんな時に不謹慎だとは思いつつも、彼はついに堪え切れなくなり吹き出した。そして今度は諭すように語った。
「なあファリヌ。跡継ぎ教育なんざ、まだいくらでもどうとでもなる。俺は、ショコラの可能性に賭けようと言っているんだよ。」
「‼“賭け”ではいけないのだと、申し上げているのです!…オルジュさん、失礼ですが、貴方には親心と言いますかそれに近い欲目があるのではないですか?」
「なんと…!」
オルジュは顔を歪めた。ファリヌたちの諍いは、ついに家令にまで飛び火する事態になった。
議論の場は殺伐を極めている。しかし――。
自分よりも遥かに上の立場の人物に逆らってまで、ファリヌは主張を続けるしかなかった。自分は、この家の人間たちがショコラに甘いという事を熟知している。ここで折れてしまっては、公爵家が駄目になってしまうかもしれない――。その思いが彼を突き動かしていたのである。
「跡継ぎ教育や、学があればそれで良いという事ではありません。…はっきり申し上げて、ショコラお嬢様は実年齢よりも幼く、いささか素直過ぎるきらいがございます。それに加え、屋敷外の人間との接触が極端なまでにございませんでした。恐らく“他人”というものがまるでお分かりでは無い!」
いつもは冷静な次期執事が、熱く、熱く弁舌を振るう……。言っている事は正論でしかなく、この場の全てを論破せんとする勢いだ。その熱量に圧倒されて、誰も口を挟む事が出来なくなった。
「オードゥヴィ公爵は外交の要。相手の考えの裏の裏まで読めなければお話になりません。このままでは簡単に異国に騙され、この国を危機に陥れる恐れまであるのです‼」
ファリヌはまくし立てるようにして語り尽くした。正論だけあってその主張はもっともらしく、相対していたジャンドゥーヤでさえも返す言葉を失くしてしまうほどだった。
――というにも拘わらず……
「はぁ、確かに。それは大変だわ。」
気の抜けるような声がした。振り返って見てみると、それはショコラのものだった。
いの一番に彼の言葉に納得してしまったのは他でもない、この話題の主。当の本人だったのである。
「…………ショコラお嬢様、お分かり頂けましたか。」
ファリヌは少し驚きはしたが、ホッと胸をなでおろした。これでようやくこの話は終わる、と……
「もしも、私がお仕事でへまをしてしまったら、あの方……グゼレス侯爵様たちが出ていらっしゃる事になってしまうものね。それは心配だわ。」
「……ショコラお嬢様⁇」
眉間に皺を寄せ、ファリヌはこれ以上ないというほどの怪訝な顔をした。……確かに関係のある話ではあるが、問題は“そこ”なのか?と彼は思った。
ショコラのグゼレス侯爵への不審は、もはや騎士団全体にまで及んでしまっているらしい。一緒くたにされてしまった団員たちにとっては気の毒な話だが……。それはともかくとして。
ファリヌは咳払いをすると、話を戻した。
「――とにかく!ご本人にご理解頂けたのなら、もうこのお話は終わりですね…」
「問題は、そこだという事よね?」
間髪を入れず、ショコラは質すように言った。
「……はい?…騎士団の事…でございますか⁇」
「違うわ。私が頼りない、という事よ!」
ファリヌなりに遠回しに言った事を、本人がずばりと言い切ってしまった。彼はもう遠慮する必要が無くなった。
「そうですね!貴女をわたくしのいずれの主人とは、到底認める事が出来ません!」
「なあんだ!それなら簡単な事じゃない。」
ショコラはパチンと手を打ち、嬉しそうに笑った。
笑っている事はもちろんだが、完膚無きまでに論破されたというのに何が「簡単な事」なのか……。ファリヌも他の皆も、ショコラの真意を測りかねていた。
「ファリヌに、私が公爵に相応しいと認めて貰えればいいだけでしょう?」
「 は い ! ?」
また突拍子もない事を言い出した。と思われたが、ショコラは真剣そのものだった。
「私ね、昨日貴方に言われた事をよく考えてみたのよ。この家の子供はもう私しかいなくて、そんな私がしなければならない事……。それも、楽しいと思う事は何かしらって。そうしたら、それはお父様の後を継ぐ事だと思ったの。」
「ですから、わたくしは認めないと…」
「“今は”、ね。私、これから色んな所へ行って、色んなものを見て、色んな人たちに会って来るわ!そうして経験を沢山積む!もちろん勉強も一杯するわ。そうやって、ファリヌが認めてくれるような人物にきっとなる!!なれるわ‼」
ショコラは勢いよく、ぐいぐいと主張をして来る。その押しの強さに、一歩一歩後退りをしたファリヌは徐々に気圧され始めた。
そんな様子を見たオルジュは目を細めた。そして『ああ、これはもはやショコラお嬢様の調子だ』と思った。あのキラキラとした瞳と生き生きとした物言いに、人は段々と逆らえなくなって行くのだ。
「ファリヌが公爵家の事をとても考えてくれている事も、厳しい人だという事もよく知っているわ。そんな貴方に認められたら、本物だという事よね。お父様たちが私に甘い事は分かっているの。だからこそ、その厳しい目はとても重要だと思うのよ!」
「……………………」
何と答えるべきなのか……。それに迷うファリヌは返す言葉を見付けられず、ただただ困惑した表情を浮かべるのだった。
「――分かった。ここまでにしよう。」
しばらく黙っていたガナシュが、ようやく口を開いた。
「他の皆はどうだ?何か意見はあるかな。マドレーヌは?母親として、君はどう思う?」
突然のご指名に、議論に加わろうというつもりの無かったマドレーヌは一瞬驚き目を見開いた。それから少しだけ考えを巡らせ、素直に答えた。
「――どうもこうも、難しくって判断出来ませんわ。母親として、なら…ショコラの思う通りにしてあげたいところだけれど……。」
「そうか、ではジェノワーズ。執事としてのお前の意見を聞きたい。」
次に、それまでずっとガナシュの後方で黙って事の成り行きを見守っていた、執事のジェノワーズへ話が振られた。
「――そうでございますね。物の言い方に難はありますが、ファリヌの申している事は真実でございます。無視して良いものとは思えません。……ですが、旦那様を含め、わたくし共よりもショコラお嬢様を分かっておられる家令のおっしゃる事も、決して軽いものではないと思います。善し悪しの全ては、旦那様のご判断に。」
そう言うと、ジェノワーズは深くお辞儀をした。
「そうか。」
一言だけ発すると、ガナシュは黙って目を閉じた。そしてテーブルに両肘を突き手を組むと、それを額の前に置いたまま長く考え込んだ。
誰一人として身動き一つせず、物音も立てずにその様子を見守った。
物音一つしなくなった部屋の中に、時間だけがゆっくりと流れて行く……。
長いような短いような時が過ぎた後、ガナシュは大きく息を吸った。それからそれを深く吐き出した。
「……ふ―――――――――――――――っ……………よし!」
そう言うと、彼は執事の方を見て指示を出した。
「ジェノワーズ!有力な養子候補と、婿候補の選定を始めろ。その件はお前に一任する。」
「かしこまりました、旦那様。」
養子と婿の候補を選定……と、いう事は――…。その場がざわついた。
「では旦那様、わたくしの意見を採用して頂けたという事ですね?」
逸る心を抑えながら、ファリヌはガナシュに確認をした。ガナシュは彼に視線だけを向けて答えた。
「…そうとも言える。みんな、聞いてくれ。これよりショコラを、次期オードゥヴィ公爵候補とする!」
ダイニングの中が、さっきよりも大きなざわつきに覆われた。特にファリヌは戸惑っていた。
「それは一体どういう事ですか!?」
「ファリヌ!黙りなさい。旦那様のお話の最中ですよ。」
詰め寄るように尋ねると、彼の師匠である執事はそれを窘めた。
「…はい、ジェノワーズさん…。旦那様、大変失礼いたしました。」
ファリヌは落ち着き、ガナシュへ頭を下げた。
ただ、それは彼に限った事では無い。その決定には、誰しもが困惑していた。そんな中でガナシュは言葉を続けた。
「一つ間違えないで貰いたいのは、あくまでショコラは“第一候補”だという事だ。皆の意見に、私は全て同意するものがあった。父親としてはショコラを応援してやりたい。が、公爵としては正直ショコラを心許なくも感じる。だから、だ。ショコラ。これから、それに相応しい事を自分で証明して行きなさい。判定はファリヌ、お前に任せる。この先も、どうしても納得出来なかったのなら、ショコラに爵位は移譲しない。そのための養子候補と婿候補の選定だ。全ての道は閉ざさない!これなら異存は無いな?ファリヌ。」
「……はい。旦那様。」
そう答えるファリヌの表情は、まだ硬いままだった。
「――ショコラはどうだ。お前は楽に次期公爵にはなれない。それでもいいかい?」
現公爵の問い掛けに、ショコラは事もなげに答えた。
「はい。もちろんですわ。むしろ張り合いがあっていいですね!……これから、やらなくちゃならない事が一杯で大変ね……。ああ、わくわくするわ‼」
屈託のない笑顔でそんな事を言うものだから、緊張していた場が一気に和んでしまった。あのファリヌですら、思わず毒気を抜かれてしまうくらいに――…。
そこへ家令が近付いて来て、彼にそっと話し掛けた。
「……どうです?貴方も上手く丸め込まれてしまったでしょう。」
「オルジュさん。それは……あまり良い表現では無いと思いますが。」
「そうですね。ですが、そういうところに私は希望を感じるのですよ。」
そう言って家令が笑うと、ファリヌは一つ息をついた。
「……反論はしません。」
―――パン!
緩んだ空気を引き締めるように、ガナシュが一つ手を叩いた。
「――さて!そういうわけで、他にも話さなければならない事がある!まずは次期公爵候補としての、ショコラのお披露目だ。社交界デビューの時の轍は踏まん。これはもうじきある、王宮での夜会という事にする。その日フィナンシェたちはちょうど新婚旅行中だから、元から欠席の予定だったね。この機を逃しはしない。」
ニヤリと笑う彼の頭の中には、早くも計画が出来上がっているようだ。
自分を取り巻く環境が、これから急激に変化し始める――。そんな予感に、ショコラは心を躍らせるのだった。