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翌日雨が降る中、私は事務所に来た。
「ジェイさんの死亡報告はありません」
事務員のいつも通りの報告に、私はいつも通り複雑な感情を抱え込んだ。
畳んだ傘から水滴が落ちて、床に水溜まりを作る。その水面に写る壁の表示、長い事変化の無いランキングを私は見上げた。
償いの総数ランキング。
週間、月間、年間の順位が頻繁に変わって行く中、総数だけは殆ど変わらないままだ。特に1〜3位の順位は変わらず、中でも1位は償い数自体も更新されない。
2万8506人。
2位が3691人。桁違いの数だ。償いの必要数が多ければ多い程その人の罪が重いという事。オーバーアライバーで殺人が趣味、という可能性もなくは無いが、それにしても数が多過ぎる。しかも過去一年近く数字が変わらない。誰にも超えられない記録だ。
登録名M.J.
イニシャルだけのその人物が何処の誰なのか、皆んな知らない。恐らく本人以外は。
事務所への登録名は、自分で自由に決められる。既に使用されていない、という事が条件だ。ネットの利用者登録と似たようなもの。
M.J.。超有名人と同じイニシャルなので、世間では「マイケル」と呼ばれている。
因みに、普段の呼び名も自身で決められる。私は生前の本名をそのまま使っているが、ジェイは変えている。と言うか、私と会ってから改名した。改名も自由に出来る。登録料を少し払わなければならないが。
そう、初めて会ったあの日に改名したのだ。
「おいお前、その償い俺に譲れよ」
ある日、事務所内で大柄の男の人が細身の男の人に詰め寄っていた。
「えっと、僕の方が先に貰った情報なんだけど・・・な」
償いを行う為には、償い終わった人を探し出して殺さなくてはならないのだが、自力で見つけるのは難しい。ランキングの上位者には、自分や自分以外の総必要償い数や達成済み償い数、未達成必要償い数を『見る』事が出来る機能を付与されるという話だが、そういう物の無い一般の人は、事務所で情報を発行してもらう事が出来るのだ。
一人一回一件。達成されると次を受けられ、問題の発生を防ぐ為、発行された情報はリタイアの届けが出される迄他者には発行されない。
償いは人間相手。当然の事ながら簡単な物や困難な物、条件付や懸賞金付等色々ある。簡単な償いは人気で、取り合いになる事も少なくは無い。
発行してもらった用紙を隠す様に後ろ手に持ち替える細身の男の人。用紙がチラリと見える。懸賞金付のオーバーアライバー。簡単では無さそうだが・・・。
「む、難しいですよ?これ・・・どうしてもって言うなら、譲ります、けど。確認してからの方が・・・」
小さな声で言う細身の人から、何も見ずに奪い取る大柄の男の人。揉み合った拍子に細身の人の肩口が寄れて、首筋から背中迄が覗いた。
大きな傷跡。子供の頃の怪我が、大きく成長して引き攣れたような、痛々しい跡。
決して見せたい物では無いだろうソレが、私を含め何人かの人間の目に晒された事に、私は怒りを覚えた。
無言で大柄の男の人に歩み寄ると、私は私の存在に気付かれる前にその男の腹部を殴っていた。
「ぅっ」
声を漏らしてその場に崩れ落ちる大柄の男。私は落ちた用紙を拾い上げると、細身の彼に渡して彼の服を整えてあげた。
「ありが、とう・・・?」
疑問系のお礼。こんな償いを請け負おうと言うのだから、助けなんて必要無かったんだろうけど。
「こちらこそ勝手にごめんなさい。どうしても許せなくて。見せたく無いものは誰にでもある物なのに」
チラリと視線を背中に移動させる。彼は察して微笑んだ。
「気遣いをありがとう。嬉しい。こんな好意を受けたのは初めてだよ。良かったら、お礼をさせて?」
その後、彼とお茶を飲みながら話した。背中の傷の事、彼の罪の事。話したいのに話す相手が居なかったそうだ。この世界に来てからのこれまでの経緯を一通り聞くと、彼は肩を窄めて言った。
「何かごめん。お礼なんて言いながら僕の言いたい事ばかり話して。アナタの話を聞かせて?」
「私は別に話す事なんて・・・」
「んー、じゃあ好きな映画は?」
「映画?」
私はあまり映画を見なかった。数少ない見た事のある映画を記憶の中から穿り出す。
「スピルバーグの戦争の映画、好きだったな。狙撃手の人がカッコ良くて」
「ああ、知ってる!確か・・・ジャクソンだ」
そう、そんな名前だった。首から下げた十字架にキスをして、神に祈りを捧げながら敵を撃つ姿に見惚れたものだ。
「ジャクソンか・・・そのままじゃ「いかにも」って感じだよね。イニシャルでJ・・・ジェイ。ねえ、僕の事はこれからジェイって呼んで!」
何故そうなったのか、彼、ジェイの頭の中の事はよく分からない。彼はその時から「ジェイ」になった。
「アナタは?なんて呼べばいい?」
私は、その場にあった紙に「湊」と書いた。
「カナデ?かな?」
そうね、それでも良いわ。
私は微笑んで頷いた。