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「沙羅ちゃん・・・本当に・・・息子のしたことは申し訳なかったと思っている・・・何の言い訳も通用しないのも私達は重々承知しているよ・・・でも・・・力はあの子の存在をつい最近知ったんだ・・・少しだけ・・・あの子の将来を一緒に考えさせてもらえないかな?もちろん!沙羅ちゃんがどう思っているかを優先してね」
力の父、健一の言葉が沙羅の心に刺さった・・・いずれ大きくなった音々に・・・自分が父親の事を隠していたことを、きちんと説明して納得させられるだろうか・・・
あの子はこんなに近くに自分の血縁者が住んでいるなんて知らずに、ただ母親の付き合いやすい人間関係の中だけで生活させられている事を・・・
いづれ母親としての責任を娘に問われはしないだろうか
沙羅の心にずっと鉛のように沈殿していた思いが込み上げてくる、自分のエゴで父親の存在を明かさないという事は、娘の気持ちを十分にくみ取り、重視した末の決断だっただろうか、さっきまで絶対に自分が正しいと思っていたのに途端に自信がなくなった
私は自分の感情に押し流されて、先々のことが見えてなかったかもしれない・・・
近い将来・・・音々が父親について答えにくい質問をぶつけて来る日は必ず来るというのに
―娘を父親に一目たりとも会わせなかった母親―
でいいのだろうか・・・いくら力が憎いからといえ、真由美の言う通り死に別れではないのだから、それはやりすぎなような気もする
「沙羅・・・僕、あの日のこと、ずっと後悔してて・・・」
「聞きたくないわ」
力が一歩近づき、声を低くして続ける
「韓国に行ったのは会社に逆らえなかったからなんだ、でも、沙羅のこと忘れたことなんて一度もない、音々ちゃんが・・・僕の娘だと知って、もっと・・・」
「やめて!」
沙羅は力を遮り声を荒げた
「今さら何? 八年前あなたは私に背を向けたわ・・・それでどうやって娘とまともな関係が築けると思うの?あの子があなたを困らせたり、怒らせたりしたら私に背を向けたみたいに、またあの子にも背を向けるつもり?」
力は唇を噛み、目を伏せる・・・健一がそっと口を開いた
「そんな事は私が絶対させないよ!たしかに息子はろくでなしだけど・・・でも帰ってきてからあの子のことを、ずっと気にしてるんだよ・・・少しだけでいいから・・・あの子と触れ合える機会を作ってくれないかな?」
沙羅は健一の言葉に一瞬目を潤ませたが、すぐに顔を背けた、音々の可愛らしい顔が心に浮かぶ・・・
力によく似た大きな瞳と、明るい笑顔を持つとてもチャーミングな女の子・・・私の宝・・・沙羅は娘を守るためだけに生きてきた、力の突然の出現はその平穏を乱す嵐のようだ
もし・・・音々が力と暮らしたいと言ったら私はどうなるんだろう
「沙羅、お願いだ、少しだけでいいからあの子と話をさせてくれ」
力が懇願するように手を伸ばす、沙羅は一瞬その手に触れそうになり、慌てて手を引いた
そして力と健一をじっと見つめると、ふいに熱いものがこみあげてきて、自分でも驚いた
もしかしたら・・・
もう少し何年か前に自分が意地を張らなければ、音々に父親と祖父のぬくもりを与えてやれていたかもしれない・・・
しかし本当は自分が一番それを望んでいる事を認めるのが悔しかった
「・・・パンの代金を受け取ったら帰るわ、それだけ!」
沙羅は頑なに言い放ち、健一から5万3千円を受け取った、紙幣を手に持つ感触は冷たく、あと一分でもこの場にいたくない
「沙羅、待って!」
沙羅は力の懇願を無視し、振り返らずに庭を抜けた
「沙羅!」
力の叫びが背中に響くが、彼女の足は止まらない、白いバンのドアを開け、コンテナを乱暴に放り込むと運転席に滑り込む
「沙羅!今週の金曜日!僕!雄介のライブハウスで単独ライブをやるんだ!きてよ!」
「どうして私が行かなきゃいけないの!」
沙羅の声は静かだが、鋭利な刃のようだった、しかし力はめげなかった
「僕が思いを言葉にするのが苦手なのは知ってるでしょう?だから歌を作ったんだ!聞きに来て!」
エンジンの音が低く唸り、沙羅はアクセルを強く踏んだ
「行かないわ!」
タイヤが地面を擦り、バンが勢いよく走り出した 力が追いかけようと手を伸ばすが、すでに遅く、成す術もなくその場に立ち尽くした
沙羅のバンは夕暮れの道を疾走し、やがて小さく点となり、力の視界から消えた
力はその場にただ佇み・・・
無力感に唇を噛んだ
・:.。.・:.。.
金曜日の夜・・・
今日は力の「凱旋シークレットライブ」の日だ
力は楽屋の小さな鏡の前でギターを抱えていた、指先がまるで踊るようにギターの弦を弾いている、リハーサルも終わり、今はただ、弦の感触を確かめるようにそっと触れて遊んでいた
8年ぶりにこの町に戻り、沙羅に会うために準備したこのライブ・・・
―彼女が来るはずはない―
そう自分に言い聞かせながらも、胸の奥で小さな希望が疼いていた、その時楽屋のドアが勢いよく開き、雄介がドカドカと入ってきた
中年太りの体型に、昔と変わらないやんちゃな笑顔、高校時代に力のバンドでドラムを叩いていた雄介は、今このライブハウスのオーナーだ
「おい、力! みろよ、外の様子!」
雄介は窓の外を指差してニヤリと笑った
「お前の『凱旋シークレットライブ』陽子の口車に乗せられた同級生どもで大盛況だぜ! フラワースタンドが5台も届いたぞ」
「へぇ~・・・」
力は苦笑しながら窓に近づいた、ライブハウス「スターダスト」の外はすでに人で溢れかえっていた
小さな町の夜にこんな熱気が集まるなんて力は想像もしていなかった、ライブハウスの外観は、雄介のこだわりが詰まったもので、古びたレンガの壁には、色とりどりのネオンサインが瞬き、入口の上には「STARDUST」と書かれた大きな看板が輝いている
看板の下には、かつて力たちが高校時代に貼ったステッカーが残っていた、この場所は力にとって夢の始まりだった
あの頃・・・
沙羅もよくここで自分の歌を聴いていくれていた、彼女の笑顔が、力の歌に合わせて揺れていたあの幸せな時間が、今でもまぶたの裏に焼き付いている
雄介が肩を叩き、力を現実に引き戻した
「沙羅・・・来るって?」
力は一瞬言葉に詰まった 沙羅の事を思うだけで胸が締め付けられた
「来ないよ・・・娘のことだって・・・僕に関わらせるつもりはないらしい・・・」
あの小さな可愛い女の子・・・自分と同じブラックダイヤモンドの瞳を持つ子が、自分の一部だなんてそれを思うと誇らしいと同時に、今だに信じられない気持ちが湧いて来る
雄介は力の肩をガシッと掴んで言った
「外の連中には、スマホもカメラも使わせねえ、従業員にきっちり言ってあるから安心しろ、お前のプライバシーは守るぜ、今夜は特別な夜だ、なぁ力!」
「・・・ありがとう、雄介」
力は小さく笑って喉の奥を熱くした、雄介の言葉は、まるで高校時代に戻ったかのように力の心を軽くした
ライブハウスの外では、従業員がメガホン片手に声を張り上げていた
「本日はシークレットライブです! 撮影は一切禁止! ルールを守って楽しんでください!」
人々のざわめきが力の耳に届くのを聞いて、陽子の拡散力はすごいと力は笑った
高校の同級生達もまるで同窓会のように集まってくれていた、力は少しだけカーテンを開け、客席を見下ろした、暗がりの中懐かしい顔がちらほら見えるが沙羅の姿は見当たらなかった
―やっぱり、来ないよな―
力は唇を噛んだ、沙羅が来てくれたらもう一度、彼女に歌を届けられたら・・・
8年前、ウエディングドレスの沙羅を残して韓国へ飛び立ったあの日の後悔が、力を突き動かしていた
あの時、沙羅の涙を見ずに出て行ってしまった自分を、力はまだ許せていなかった
ステージの準備が整い、力はギターを肩にかけ深呼吸した、雄介が背中をバンッと叩く
「出番だぜ!お前の歌で、ヤツらをメロメロにしてやれ!」
ライブハウスの照明が落ち、客席から歓声が上がる
力はステージに足を踏み出した、スポットライトが彼を照らし、観客の熱気が肌に突き刺さる
新曲を力は今夜初めて歌う・・・会社にもエージェントにも・・・ましてや拓哉達にも内緒で作った曲だ・・・
この曲はわずか1日で出来上がり、愛の告白でもあり、やり直したいという復縁の願いでもあり・・・
とてもではないけどいつも力が作るような、繰り返しのサビは耳触りの良い、誰が聞いても記憶に残る風な・・・
はたまた、昔に大ヒットしたポップソングをオマージュしたものでもない・・・
力は目を閉じ、沙羅の顔を思い浮かべた、この歌は決して自分のアルバムには乗らないものだ、これはファンソングでもなく、ドラマのOSでもない
あの栗色の瞳・・・優しい笑顔・・・そして知らなかった自分の娘の小さな手、彼女達のものでしかない
―僕は歌うことしか出来ないから―
力はマイクを握り、最初のコードを鳴らした
音がライブハウスを満たし、8年の空白を埋めるように響き合う、するとライブハウスの入り口の傍に沙羅が立っているのを力はしっかり見た
心に花が咲く
そして力は歌い出した