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先輩の家は、バス停から近いところにあった。庶民的な家だったが、少し古びていた。
「さ、どうぞ」
ぎこちなく先輩に促されて、私はその家に入った。
「お邪魔します。」
誰もいないようだった。返事は返ってこない。
「荷物、置いて。ちょっと待ってて」
先輩は、タオルを取ってきた。
「ほら、足を拭きなさい。そして、そのまま脱衣所に行って体育の時のジャージに着替えるのよ。」
私は言われた通りにした。少し、まだ気持ち悪い。制服だけでなく、皮膚までも泥水は濡らしていた。
「財布を持って、行くわよ。すぐそこにショッピングモールがあるから、そこで衣類を買えば大丈夫。」
なんで、こんなに優しいんだろ……。
だって私、先輩の大事な本にバニラアイスのしみをつけてしまったのに。
ショッピングモールなんて、私は行ったことがなかった。煌びやかなお店と、可愛らしい服に身を包んだ若者たち。まるで夢の街だった。
「わぁ……」
私が目を奪われたのは、アイス屋さんだった。
こんなの、見たことない……
ショーウィンドウに並ぶ服たちも、マネキンたちが可愛らしく着こなしている。
「素敵!」
先輩は、やはり明るい表情はしていなかった。足早に顔を伏せたまま目的の店に歩いて行く。
「アタシね、ショッピングモールって、好きじゃないの。」
先輩がそう言った。
「だってみんな、幸せそうじゃない。あんたが泥水を被っても、アタシが古林令羅にデク人形にされても、みんな幸せそうじゃない。」
螺鈿先輩の声は冷たかった。この場所にあるもの全てを冷たく見ていた。暖かくて美しい夢の中で、螺鈿先輩だけが、氷のようにしていた。
私は答えられなかった。
買い物を終えると、アタシはまた、ショーウィンドウに並んだ人形たちや、楽しそうに遊ぶ若者のグループ、甘くてとろけるアイスクリームを見ながら、先輩に連れられて歩いていた。
「アイスクリーム……」
先輩は、食べたいの、ときいた。
「食べたい……です。」
先輩は、そう、と一言言うと、
「アイスクリーム……アタシはそれを食べてるあんたが嫌いなの。」
分かってる……。私が、バニラアイスのしみを先輩の本につけたから。
全てが凍りついた。無言の時間はどこまで続くだろうか————そうするうちに、螺鈿先輩の家に着いていた。
「先輩、あの、さっきはすみません……」
「魅麗ちゃん、ねえ、ゲームしない?」
突然先輩は、私の声をかき消すように声の調子を明るくして言った。
「はい、いいですよ。」
「わあ、魅麗ちゃん意外と強い!」
楽しそうにしている螺鈿先輩は私は見たことがなかった。
冷笑を浮かべて、されるがままに虐げられている螺鈿先輩。楽しそうに笑っている螺鈿先輩。
その二つがどうも一致しなかった。
螺鈿先輩の両親が帰ってくる前に、とうとう十一時を越してしまった。
「先輩、そろそろ寝ませんか……」
そうね、と先輩が返した。夜のひんやりした空気の中で凍えていた私にとって、用意された布団は暖かかった。
先輩はやがて、寝息を立て始めた。見たことがない天井。先輩の冷たい目、楽しそうな先輩、寝息を立てる先輩。ロッカーに何度も何度も打ち付けられた恐怖。
眠れない。
足も芯もすっかり冷えた。
「眠れないの?」
まだ起きていたらしい。隣で、先輩が苦笑しながら言った。
先輩は立ち上がった。螺鈿先輩は、細くて麗しい脚をしていた。
当然のように私の横に、螺鈿先輩は横になって、私を強く羽交締めにした。母親のそれのように温かい。
私は天井に、故郷の星空を見た。
朝。私は目覚めた。見覚えのない天井と冷たい空気。
ん?何かが、おかしい。
「先輩!」