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「――っ」
灯を消した寝室に響くのは、荒々しい息づかいだけだった。静寂ばかりが支配する部屋では、嫌なほど自分と相手の声が鮮明に聞えた。
「……重い、退け」
「春ちゃん酷い~さっきは、あんなに離れないでって言ってくれたのに」
覆い被さるように倒れ込んできた神津の背中を乱暴に叩きながら、俺は彼に退くよう言ったが彼は俺の肩に顔を埋めたまま一向に退こうとはしなかった。俺より大きくて、筋肉質な神津が上に乗っているだけでそれはもう苦しかった。着やせするタイプだからひょろくみえるのに、ピアノをやっていただけなのにどうしてこうも筋肉が腕以外についているのか不思議で仕方がなかった。割れた腹筋を見ると苛立ちを感じてしまう。
「って、おい、退けとは言ったがもう1回やるとは言ってねえぞ!?」
「え?」
俺の上から退いたと思ったら、神津がまだやれますけど? 的な顔をしたのでストップをかけると、神津はさらに何で? とでもいうような表情を俺に向けた。さすがに、これ以上は付き合えない。
「春ちゃん体力なさ過ぎ」
「うっせぇ、お前がありすぎるだけだろ」
神津は仕方なく諦めたらしく、残念そうな顔をしながら、自分の下にいる俺の頬に触れた。そして、唇を重ねてきた。触れるだけのキスではなかった。それだけは確かだ。俺の呼吸が乱れていくにつれて、神津は楽しそうに笑みを浮かべていた。
「春ちゃんってほんとこういうこと慣れてないよね」
「ほっとけ……そういうお前は、慣れすぎなんだよ」
と、皮肉混ぜていってやれば、意味が理解できていないのか神津は目をぱちくりさせた。
神津と身体を重ねるようになったのはいつだったか。少なくとも二年前が俺と神津の初めてだった気がする。恋人でそれこそ初めは手を繋ぐところから、触れるようなキス、そこからだんだんと発展していき今に落ち着いた。
恋人同士だから、愛を確かめる行為の一つだったから。
俺たちはそう考えたんだろう。手っ取り早く、互いの気持ちを知れる行為がこれだった。そこに生産性は何もない。別に嫌なわけではない。最中に、俺の名前を愛おしそうに呼ぶ神津が、いつもと違って余裕のない神津が。俺だけが知っているのだという優越感に浸れたから。俺のものなんだって再認識できて嬉しかった。だから、神津との行為は嫌いではなかった。
だが、素直になれない俺はつい余計なことを口走ってしまう。
「経験あんだろ? 海外にいるときとかさ、寂しさを埋めるために女でも抱いたんじゃねえの? 俺の事好きだもんな、俺似の女か男か引っかけてさ」
と、相手の神経を逆なでするような言葉がぽろりと零れる。
でた言葉をすぐ撤回すればよかったのだが、気になっていたこともあり俺は神津にどうなんだ? と視線を送る。神津は、口を少し開くとギュッと閉じて唇を強く噛んでいた。図星かと、笑ってやろうかと思った時、神津は俺の頬を撫でた。
「春ちゃんって素直じゃないよね」
「はあ?」
「僕が他の人抱いていないかって心配だったんでしょ? 嫉妬してくれたんでしょ?」
「そういうわけじゃ……」
大丈夫。と、神津は俺の額にキスを落とした。
「僕の初めては春ちゃんだし、これからもずっと触れたいって思えるのは春ちゃんだけだから」
ね? と、神津は優しく微笑みかけてくる。その顔を見て俺は胸の奥が締め付けられるような感覚に陥った。
それから神津は、俺を傷つけないように勉強しただの、気持ちよくさせたい気持ちと滅茶苦茶にしたい気持ちが戦っているんだとぺらぺらと喋り出した。俺はそんな話を右耳から左耳に聞き流しながら、そっと瞼を閉じた。
俺は神津のことが好きだ。恋人として、好きという感情を持っているのは間違いなかった。
女なんて選び放題のくせに、格好いいくせに、俺しか見ていないとか反則だと思った。あれだけ離れていたのに、何故そうも俺に執着するのか、好きと言ってくれるのか。未だに理解できなかった。そうして、彼は自分の初めてが俺との行為だと言った。そう語る神津は何処か誇らしげで嬉しそうだった。
「春ちゃんもそうでしょ?」
「何が」
「だって、春ちゃん女性に手出せるほど積極的な性格だとは思わないし。かといって、簡単に男に股開くようなタイプじゃないだろうし」
「お前、言い方」
女に対しては柔らかい物言いなのに、男になると急に嫉妬が見え隠れする言い方をする神津。
確かに神津の言うとおりだが、ずばり言われると傷つく。内心、ほっとけと思いつつ、神津の話の終わりが何処へ向かっているのか俺は黙って聞いていた。
「それに、さっき言ったでしょ? 春ちゃんこういうこと慣れてないから、春ちゃんの初めても僕なんじゃないかって」
「……ぁ」
「そう思ったら嬉しくって」
そういう神津の顔は本当に幸せそうだった。こちとら、恥ずかしくて仕方がなかったが、それ以上に互いの初めてが互いであると言った神津の言葉に俺の喉の奥がヒュッと鳴った。
「春ちゃん、どうしたの?」
「い、いや……何でもない」
慌てて首を横に振ると、神津は不思議そうな顔をしたが「そうだよね」と自分に言い聞かせるように呟いていた。それから、水を取ってくると神津は寝室を出て行った。パタンと扉が閉まった後、俺の身体は途端に震えだし、動悸が速くなった。
もし踏み込まれでもしたら……そう考えると、目の前が真っ暗になった。
あんなに嬉しそうな顔をしていたのに、今更「嘘」だなんて言えない。
「は……はは……っ」
乾いた笑いが漏れた。
面と向かっては言えなかったが、俺だって触れられたいのは神津だけだった。
苦い二年前の記憶が脳の片隅から這い出てきて、俺は膝を抱えて小さくなる。震えは止るどころか悪化していた。
(俺の初めては、お前じゃないんだよ。恭……)