コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
「寒い……寒むすぎる……」
地図アプリを目の前にして、震えながら言葉にした。
一文字円、十六才。
どうやら私は今、アラスカにいるみたいです。
下ろしたての春物の制服だけを身に纏って。
「遅刻しそうだったからって、苦手な瞬間移動を使ったのが間違いだった……このままじゃ凍え死んでしまう……」
見渡す限り、山。一応、季節は春ということで少しずつ雪解けが始まってはいるものの、この格好じゃそんなもの全く意味をなさない。
「さっきまで桜の並木通りを歩いていたのが遠い昔のようだな……まあ桜はほとんど散ってたけど」
と、今はそんなことを考えている場合じゃない。とにかく、まずは生きて元の場所に戻らないと。能力を使いこなせるようになるために、私はあの学園に入学することにしたのだから。
それにしても。
制服姿の女子一人が体を丸めながらガタガタ寒さに震えてるこの絵面、なんてシュールなんだろう。
「って、そんなこと知るか!」
* * *
「な、なんとか成功した……」
一応、元々いた場所には戻ってこられた。少しだけ、ホッと安堵。またとんでもない所に飛んで行ってしまったら、絶対に体力が持たない。
とりあえず私は財布から小銭を取り出し、それをふわふわと宙に浮かした。そのまま自販機の投入口に投入。そして、出てきたホットドリンクを私の元まで持ってくる。手を使わずして。
「これくらいだったら簡単にでるんだけどな」
プルタブを開け、ホットドリンクを一口含む。寒さで冷え切った体と心を、その温もりが優しく抱きしめてくれている。そんな気がした。
しばらくしてから、私はすくっと立ち上がりって気合いを入れ直す。
「もう一度試してみよう。今度こそ、絶対に成功させてみせる。能力を使いこなせるようにならなきゃ。じゃないと――」
私はまた、大切な人を傷付けてしまう。あの時のように、能力を暴走させて。
「……同じ過ちは、もう繰り返したくない。だからここに来たんだ」
* * *
「ま、また失敗……」
あれから。少し落ち着いた私は再度、瞬間移動を試みたが、どうみてもここは学園ではない。自分の未熟さを痛感し、ガクリと膝から崩れ落ちた。
「と、とりあえず」
私は素早く制服のポケットからスマートフォンを取り出し、地図アプリを開く。一応、学校の近くではあるみたいだ。
「た、助かった……。それにしても、この負けず嫌いな性格どうにかならないかな」
負けず嫌いは決して悪いことではない。それが講じて成長する人もいる。だが、
私の場合はそうではないらしい。逆にマイナスの要因になることが多い。
「性格はもう仕方がない。とにかく精進あるのみだ」
私は勾玉を軽く握りしめた。
自分の意思、そして決意を再確認するために。
これがあるから私はどうにか能力を制御できる。また能力を暴走させないように。そのために母はこれを手渡してくれた。だから私は努力するしかない。何度失敗しようが構わない。諦めることをやめない。挫折もしない。
もし、そのようなことをしたら、人として落第だ。
「――あれ?」
考え事をしていたからだろうか。今まで全く気付かなかった。
「なんで、ここだけ桜が?」
私の目に飛び込んできたのは、満開の桜だった。一本だけじゃない。辺り一面が桜だらけだ。
「おかしいな、これ。さっきまでいた桜並木の通りからはさほど離れていないから、ここの桜も散っているはずなんだけど。どうしてここだけ?」
不思議に思いながら桜の木一本一本に手を当ててみる。中には念動力で植物の言葉を聞くことができる人もいるらしい。だから試してみたんだけど、全く聞こえない。私如きの能力じゃ、無理なのも当たり前か。
「キミ、どうやってここに来たんだい?」
不意に、声が聞こえてきた。植物の声じゃない。人間の声だ。柔らかで、優しくて、温かい声。
そしてぐるりを見渡すと、少し離れた場所に男性が立っていた。
さっきまでは誰もいなかったはずなのに、いつの間に。私が気が付かなかっただけだろうか? いや、違う。そんなはずはない。
ただ、不思議と感じるんだ。
この人は私がここに来るのを待っていた。そんな感覚を。
その男性は少しずつ私に歩み寄ってきた。遠目からは白い衣を身に纏っているくらいしか分からなかったけど、近付いてくるにつれ認識できた。
(すごく綺麗な人……)
その男性の容姿を一言で表現するならそんな感じだけど、それだけでは筆舌に尽くし難い。それほどの美しさだった。目鼻立ちは整っていて、綺麗な肌をし、不思議と惹かれる目をしている。それらを長い黒髪が額縁となり、その精悍さをより引き立てていた。
桜のような人だと、私は感じた。
桜の花言葉は『優美な女性』。この人は男性ではあるけど、不思議とその言葉がしっくりとくる。
しかし、ふと、頭の中で何かが横切った。
(この人、昔どこかで会ったことがあるような……)
それを思い出そうとしたが、無理だった。記憶の残滓にこびりついているのは確かだけど、どうしても思い出せない。年端は二十代くらいだし、まだ十六才で学生の私とはあまり接点はないはずなんだけど。
「どうしたんだい? 何か気になることでも?」
「あ、いえ、すみません。あの、違ったら申し訳ないのですが。以前、私と会ったことってありませんか?」
「そうだね。私も今、それを考えていてね。でも思い出せない。こんなこと、一度しか経験がないから、少々混乱しているところでね」
『一度しか』というのがやけに耳に残った。訊いてみようと思ったけど、やめた。あまり人のプライベートな部分には立ち入らない方がいい。
「それで、さっきの質問なんだが。キミはここにどうやって来ることができたんだい?」
「どうしてここに、ですか。瞬間移動を使ってここに来ました」
「なるほど。では質問を変えよう。キミは瞬間移動を使った上で、『どうやって』ここに来ることができたんだい?」
「え? どうやって、ですか? えーと、本当は学園まで行こうと思って能力を使ったのですが、失敗してしまいまして。それでここに。あ。でも、そういえば。何かに弾き飛ばされそうになったような……。その後のことはよく覚えてませんが」
それを訊いて、男性は眉尻をひそめた。私は別に変なことは言ってないのに、どうしてそこに疑問を持つんだろう?
「――そうか。キミ、名前はなんと言うのかな?」
「一文字。一文字円です」
「一文字円、か。良い名だね」
「ありがとうございます。あ。それで、知ってたらでいいんですけど。ここの桜、全く散ってないじゃないですか? それが不思議で。この辺りの桜はほとんど散ってしまてるのに、どうしてここだけ満開なのかなって」
男性はふと、桜を見上げた。花びらが一枚落ちてきて、彼の鼻の辺りにはらりと優しく乗っかった。そして男は目を細め、口元を軽く緩めながら、私に向き直った。
「キミ、桜は好きかい?」
「え? は、はい、好きです。桜に限ったことではないですけど。花の命は短いです。その限られた時間の中で美しく咲こうとするところが」
「そうか、良かった。では、こういうのはいかがかな?」
男性は人指し指を立て、それを天に掲げた。目を瞑り、何かを想起しながら。
その刹那――
「ゆ、雪?」
さっきまでと変わらず青空のままなのに、しんしんと牡丹雪が降ってきた。それが満開の桜をより美しく、幻想的に、夢幻的に、私の目に映し出される。そして、その光景に魅了され、心の全てを持っていかれてしまった。
まるで、夢の中に迷い込んでしまったかのような、そんな感覚だった。
「どうかな? 春の桜に雪というの、中々おつではないかな」
「え? は、はい。すごく綺麗です」
私はハッと我に返った。自分の語彙力のなさにちょっと呆れたが、でも、私の気持ちは男性にしっかりと伝わったようだった。
「気に入ってもらえて良かった」
男性は目を細め、顔を綻ばせた。
「この桜はね。私が満開にしたんだ」
「もしかして、あの……念動力ででしょうか」
「そうだね、キミと同じ様にね」
『キミと同じ』と言っているが、全く違う。天候を変える程の念動力だなんて、聞いたこともない。でも、それを可能にしてしまった。
この人、相当優秀な念動力者だ。
「桜がお好きなんですね」
別に他意はなかった、普通に質問を投げかけたつもりだった。でも、その男性の答えは私には理解が追いつかないものだった。
「……分からないんだ」
「わ、分からない、ですか?」
「そう、分からない。全てが分からない。だけど、どうしてなのか。桜を見ていると、妙に嬉しくなってね」
そう言葉を返し、男は桜を見てはにかんだ。その表情を見て、私の心の中の『何か』が動き始めた。
そして――
(……あれ?)
トクン、と。私の胸の中で『何か』が鳴った。なんだろう、これ。生まれて初めて覚える感覚だ。
私は胸の辺りをギュッと押さえ、確認するように一度目を瞑った。何かが見えるのではないかと思ったけど、でも、何も見えない。
「どうしたんだい? 目なんかを閉じて」
「あ、いえ。な、なんでもないです」
「どうしたんだい? 顔が赤いけれど」
「え……」
両手を頬に当てた。熱い。さっきからどうしてしまったんだろう、私は。
「熱があるのかもしれないね。ちょっと失礼するよ」
「え!? あ、あの……」
その男性は、私の額に自分の額をピタリとくっつけてきた。さっきよりも、ずっと鼓動が高鳴る。
呼吸が、苦しい。だけど、無理やり息を吸い込むと桜の香りが鼻腔に広がり、それが余計に私を私でなくならせた。
まるで、魔法でもかけられたかのように。
それにしても不思議だ。苦しいし辛いはずなのに、どこか幸せで、どこか嬉しい。でも、ちょっと気恥ずかしくもある。それら全ての感情に私は支配され、抱いたそれらの全てが絡まった糸のようなって、解けない。だから余計に理解ができなかった。
でも、心地良い。この人の体温が、私の心を温めてくれている。
だけど――
「は、離れて!!」
気付いた時には、私はその人のことを突き飛ばしていた。声を上げるとともに、無意識に。
「す、すみません! あ、あの。私、男性に免疫がなくて、つい。お、お怪我はありませんか?」
「いや、気にしないで構わないよ。私がいきなり馴れ馴れしく接しすぎてしまったせいだね。申し訳なかった」
「あ、いえ! そ、そういうわけでは……」
「その制服、高雅学園のものだね? そこの生徒、ということで合っているかな?」
「あ、は、はい。それで合ってます」
最初は平気だったのに、今はまともに顔を見ることができない。なんなんだ、この感情は。
とにかく私は冷静になることに努め、一度深呼吸をしてから言葉を紡いだ。
「今年から学園でお世話になることにしました。三ヶ月前に念動力が使えるようになってしまいまして。それで、能力の使い方を学びたくて。私、まだ上手く制御できないせいで……。あ、あの、その……じ、実は私……そのせいで……」
私が口籠もっていると、男性は人差し指を私の唇に当てた。ちょっと不器用な、はにかんだ笑顔を浮かべながら。
「言わなくていいんだよ。無理はしないでいいんだ。言いづらいことなんてたくさんある。それを無理に言葉にしても、自分が辛いだけで終わってしまうから」
その声はとても優しく、慈愛に満ちていた。それに、鏡を見ないでも分かる。私は今、顔を真っ赤にしているということが。
「あ、あの! 急ですみません! 今から走って学園に行かなきゃいけないので! それでは、し、失礼します!」
「徒歩で行くのかい? また瞬間移動をした方が早いと思うんだが」
「あ、いえ……ここに来る前にも失敗しちゃってまして。あ、あの……あ、アラスカまで行っちゃいまして」
「アラスカ? いや、普通ならそれはあり得ないと思うんだが?」
「それが、あるんです。凍え死ぬかと思いました。あはは……情けないですよね」
「――そうか。じゃあ、気を付けて行ってくるんだよ」
「あ、ありがとうございます! そ、それでは失礼します!」
* * *
桜の木の下で、男は桜を見上げていた。
先程まで会話をしていた女子について考えながら。思い出しながら小さく呟いた。
「無意識的にとはいえ、まさか私が張った結界を破って入ってくるとはね」
それから腰を下ろし、手を顎に当てる。
「一文字円か、か。不思議な子だ」
そして男は満開の桜を見上げる。先程までいた少女のことを想いながら。
「もしかしたら、あの子が私に思い出させてくれるかもしれないな。『桜』の意味を」
そんなことを思案していると、背後に気配を感じた。それが誰なのか、確認する必要もない。だから男は振り返らなかった。
「――また、貴方ですか」
* * *
あれから。
私は丘の上から全力疾走で坂道を下った。さっきまでの胸の鼓動は不思議と消えていたが、逃げるようにしてしまったのはちょっと失礼だったかなと思う。
そうでもしないと、私はまたあの『何か』を感じてしまうだろうから。
でも――
「また、会いたいな」
一度足を止め、振り返る。私のその声は、静かに桜の中に溶け込んでいった。