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「そもそもの話、義父と母は学生時代から付き合っていたらしい。戦後の混乱や学生運動なんかが盛んな時期も過ぎて、それなりに平和な時期だったそうだよ。三科家の権力も、戦中のあれこれでずいぶんと下火になっていたと聞いてる。ただ、それでも地域にはまだそれなりに力を持っていて、三科家に嫁ぐのは、一種のステータスだったそうだ」
「それなら、そのまま結婚してもよかったんじゃ……?」
「うん、僕もそう思う。だけどなにか不都合があったのか、そうはならなかったんだよ」
賢人さんが手を伸ばして取り出したのは、古びたアルバムだ。大おじさんの面影がある若い男の人と、控えめな雰囲気の綺麗な女の人の写真が貼られていた。
「ケンカもしたことがなかったそうだよ。母は控えめな人だけどそれが理由じゃなくて、でこぼこがピッタリはまる関係だったらしい。義父の言葉が不条理でも母は納得できたし、母が諭す常識も、義父は不思議と反発心なく受け入れられた」
あの大おじさんが反論せずに諭される相手というわけだ。柔よく剛を制すというけど、そんな感じなんだろう。無事に救助されたら、一度会ってみたい。
優斗は会ったことあるんだろうか?
「なあ、どんな人?」
「え? ああ、実は俺もあまり会ったことないんだよ。会ったのは一回だけ、かな。大おじさん主催の花見に来てたんだ。ゆったりした優しい人だったよ」
「一回? じゃあ大おじさんが会いに行ってたのか?」
「いや、大おじさんはほとんど家から出たことがないんだよ」
「恋愛で結婚した夫婦とは思えない距離感だなぁ」
夫婦って、毎日一緒に暮らしてるもんだと思ってた。
もちろんいろんな夫婦がいるとは思うけど──そんなに長い間会わずにいて、それでも夫婦でいることって、できるんだろうか。
「三科家からの反対があったと母から聞いたよ。しかも反対するだけじゃなく、母の結婚相手を世話されて、しかも社会的にはそっちの方がいい家柄だったから、家族が強引に話をまとめてしまったそうだ。そこまでして二人の結婚に反対した理由は義父も分からないらしいんだけど──義父は、欲しいものはなんでも手に入って当然だと思っていた人だからね。しばらく暴れ回ったらしい。そこで一族から推薦された結婚相手が、義父の前妻だ」
武さんたちのお母さんのことだ。
「三科家は昔ながらの気質のせいで、今になっても男尊女卑、家父長制度が色濃く残ってる。知ってのとおり、兄さんが生まれるまでは続けざまに女の子ばかりだったんだ。そのせいで、前の奥さんは酷くいじめられたらしい。長男の嫁のクセに女腹だとね」
女腹は、昨日聞いたばかりの言葉だ。
武さんが帰省中の奥さんを指して、吐き捨てるように言っていたんだ。女の子ばかり産む母親のことなんだろう。
大おじさんはあんなことを、自分の奥さんに面と向かって言っていたんだろうか。だとしたらひどい関係だ。三人も子どもを作ったなら、少しくらい愛情を持っているだろうに。
それとも賢人さんのお母さん以外、好きになれなかったんだろうか。
「女の子しか生まなかったから離婚したんですか? でも」
「そう、兄さんが生まれた。跡継ぎ問題も解消して、ようやく仲の良い家族として暮らすことができると思っていた二年後。すでに思春期を迎えていた姉さんたちにとって悪夢のような知らせが届いた」
「悪夢って?」
疑問に肩を竦め、賢人さんはわざと戯けてみせた。
「うちの母が離婚したんだ」
「え、てことはまさか」
俺が言おうとした言葉を、一瞬早く言葉にしたのは優斗だ。
そして賢人さんは、そのまさかを否定しない。
「そう。母と結婚するために、奥さんとの離婚をものすごい速度で進めていった」
「でもそもそも、お母さんとの結婚は反対されてたんですよね? お互いバツイチになったからって、許されるもんなんですか……?」
「それが許されちゃったんだよ。強く反対してたのは当時のご当主だったらしいんだけど、その頃には亡くなっててね。反対理由もよく分からないし、もういいんじゃないかって」
「そんな適当な……」
本当に、心からそう思った。反対していた理由は誰も聞かなかったのか? いくらなんでも奥さん──亡くなった優斗のひいおばあさんくらいはと思ったけど、男尊女卑が強い家父長制度の家だ。当時の当主が口を閉ざしてしまえば、大おじさんどころかきっとひいおばあさんだって、教えてはもらえなかったんだろう。
理由を気にすることすら許されなかったかもしれない。
「……うちの家がかなり世間からズレてるのは分かってたけど、ひどすぎるよ。前の奥さんは離婚に反対したりしなかったの?」
「もちろんしたそうだ。けど君たちに聞かせるには品のない話になってしまうんだが……女腹が、同じ種と同じ腹で男を産めるわけがない。別の種を仕込んだんだろうって疑いをかけたらしくてね。それで、むしろあちらから離婚届を突きつけられたそうだ」
ここまで来ると、さすがに呆れて物も言えなかった。愛想を尽かされたなんてもんじゃない。もう関わりたくもないと思わされるくらいのひどさだ。
大おじさん自身が浮気をし続けていたようなものなのに、よくそんなことを言えたもんだと思う。桜さんたちがその頃思春期だったっていうんなら、そりゃあものすごい嫌悪感を抱いたはずだ。