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上野文
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#悲しい
シジミン
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kirisu
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畝澄ヒナ
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『父さんはもう何回も会いに行ったんだろ? どんな話をしたんだ?』
話さざるを得ない質問をすると、父はしばらく沈黙したあと、溜め息をついて語り始めた。
『……初回はあまり会話にならなかった。私は謝るばかりで、怜香は〝どうして私がこんな事に〟と、そればかり。……だが次第に怜香も気持ちの整理がついていったようだ。そして私も、ずっと怜香と話し合う事を避けてきたが、自分の本心を打ち明けた。口にすれば衝突不回避な話題だったが、本音を言わなければ今後も〝夫婦〟でいる事は不可能だと思ったからだ』
父は祈るように手を組み、天井を仰ぎ、当時の事を語った。
**
何回か目に妻に会いに行った頃には、初回のような激しい感情を表さなくなった。
今までは、さゆりに対する感情を口にしようとすると、叫んで遮られてしまった。
でも『罪を償ったあと、また夫婦としてやっていく気持ちがあるなら、ちゃんと話し合おう』と何度も訴えた。
一度の面会時間は三十分であるため、無言で終わった事も数え切れない。
途中で怜香が退席した事も多かった。
何回目かの時、その背中に声を掛けた。
『問題から逃げていても何にもならない。私も自分の犯した罪に向かうから、一緒に乗り越えよう』
そう言ったあとから、少しずつ怜香の態度は軟化していった。
彼女は私の目を見ず、ネイルのなくなった素の爪を見つめつつ言う。
『あなたが家にいない時、仕事なのか会食なのか、あの女のもとへ行っているのか分からなくて、いつもイライラしていたわ。……人を使ってあなたを尾行させたら、あの女がいるじゃない。……一度、あの女のもとに突撃して〝二度と夫に関わらないで!〟と怒鳴りつけたわ。……あの女は土下座して謝っていた。そのあと引っ越したみたいだけど、あなたはまたあの女の居場所を探し当てて、通うようになった。……それを何度も繰り返し、あの女は引っ越すお金もなくなったみたいね』
言われて、自分の持つ異常なストーカー性が浮き彫りになる。
『……すまない。どうしても気になったんだ。……君には悪いが、学生時代、私は本気でさゆりと結婚するつもりでいた。さゆりもそのつもりでいて、速水家を出て将来有望だったピアノも辞め、私と結婚するために人生を空けてくれた。……それを知りながら、私は両親が國見家と交わした約束を前に、怜香を選ぶ事になった。……私はさゆりを見捨てたんだ。……だから、彼女の人生に責任を持つべきだと思った』
怜香は唇を震わせ、大きく息を吸う。
『まるで私と結婚したのが、大きな間違いみたいな言い方じゃない』
『……すまない。怜香の事も愛している。……だが、私にはさゆりの人生を壊した責任があるんだ』
『あなたはあの女への未練を、責任という言葉にすり替えて〝いい人〟でいたいだけよ。結婚の約束をしたのに守る事ができず、かといって相手に自由を与える事もできず、二人の女を独占し続ける、最低な男だと自覚したくなかっただけ!』
私は返す言葉もなく項垂れる。
『……私だって、嫉妬に狂う醜い女になんてなりたくなかったわ。……でもプライドが許さなかった! 國見家の令嬢として大切に育てられ、大企業である篠宮ホールディングスの社長夫人になって、幸せな生活ができると思っていた! ……なのに……っ』
怜香は拳を握り、私を睨み付ける。
『相手がただの一般人だったなら、手切れ金でも渡して諦めさせる事ができた。……でも相手は速水家の令嬢よ? 実家から勘当され、私に土下座しても、あの女には失う事のない気品と誇りがあった。安物の服を着ていても、滲み出る育ちの良さがあったわ。彼女は夫を寝取った女で、私は被害者。……分かっていても、どんどん惨めになってくるの。…………っ、あの女には敵わないんじゃないか、って!』
怜香はかすれた声で叫び、バンッと自分の太腿を叩く。
『沢山努力をしたわ。エステに行って、予約をとるのが難しい美容師に担当してもらって、いつも周りの人に〝若々しくて綺麗〟って褒められたわ! ……でもあなたは一度も私を褒めてくれなかった! 私を見てくれなかった!』
『……すまない』
『もう謝らないで! あなたは言葉ばかり謝って、本心ではちっとも悪いなんて思ってない! 気持ちの籠もっていない謝罪を受けても、何にも心に響かないのよ!』
その日はそれで終わり、怜香は立ちあがって退室した。
次に向かった時は、差し入れとして怜香の好きそうな服、本を持って行った。
原則として自殺を防止するため、衣類には紐がついていない物で、本は一日一人三冊までだ。
現金は三万円まで持てるので、追加の三万円を持っていった。
コメント
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第939話、読み終えました。この夫婦の会話、胸が締め付けられました…。夫が「責任」という言葉で自分の未練を正当化している構図、妻の「謝るだけで本心では悪いと思っていない」という鋭い指摘、どちらもリアルで痛いです。特に怜香の「あの女には敵わないんじゃないか」という叫びには、彼女の長年の劣等感とプライドの葛藤が溢れていて、切なくなりました。面会室という閉鎖空間でのやり取りだからこそ、二人の本音が剥き出しになっていく感じがたまらないですね。このあと、どう転んでいくのか気になります。