テラーノベル
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#独占欲
#ワンナイトラブ
つわりは、容赦なくやってきた。
荒波に揉まれる船の上に、24時間放り出されているような感覚。重力さえも敵になり、立っていることさえままならない。
一日に10回、あるいはそれ以上。そのうち吐くものさえなくなって、胃液を吐き出した。
昨日まで救いだったアイスが、今日は猛毒に感じる。フライドポテトの塩気が無性に欲して口にしても、二口目には吐き気が勝ってしまう。
食べるのも地獄、食べないのも地獄。
ごはんの炊ける匂いは、もはや殺意に近い。下を向くだけで世界が歪み、胃がせり上がる。スマホの光さえ網膜を刺して吐き気を誘い、私はただ、暗い部屋で横たわるだけの「抜け殻」になった。
電車に乗って会社に行く。そんな当たり前のことすら出来なくなり、私はしばらく休職を余儀なくされた。
***
その頃、僕は「正解のないバグ」に頭を抱えていた。
「佐藤、……少し話せるか?」
昼休みの休憩室。ひよりさんが食事もとれず、一日中ソファで丸まっていること。何もできない自分への焦り。最愛の人の苦しみを取り除けない今の状況は、耐え難かった。
佐藤はコーヒーを啜りながら僕の言葉を静かに受け止めた。
「いいか。俺が言えるのはこれだけだ。――絶対に、嫁と喧嘩だけはするな。どんなに理不尽なことを言われても、ひたすら謝れ」
「謝る……? でも、理由もなく謝るのは、論理的(ロジカル)じゃ……」
「論理なんてクソ食らえだ! つわり中の人間はな、一秒ごとに起爆スイッチが入れ替わる『歩く爆弾』なんだよ。体調不良でバグり散らしてる時に、正論なんていうノイズをぶち込んでみろ!お前の存在ごとデリートされるぞ」
佐藤は過去に、何度か皿を投げつけられたことがあったらしい。彼は遠い目で続けた。
「何かする時は必ず『お伺い』を立てろ。良かれと思って勝手に動くのは、一番の地雷だ。……あと、子供が生まれたら、それこそ死ぬ気でコミットしろ。産後の恨みは一生更新され続ける長期ログだ。……俺みたいにはなるなよ」
***
夜。玄関が開く音がして、陽一さんが帰ってきた。いつもなら、真っ先に駆け寄って彼の首もとに顔を埋める。陽一さんの匂いを吸い込むのが、私の一日の終わりの儀式なのだ。
けれど、今はその大好きな匂いさえ「異物」に感じる。近づくことさえできず、私はソファの上で顔を背けた。
「……おかえり。ごめん、食器洗えてなくて」
キッチンに立ち、手際よく皿洗いを始める彼の背中を見つめる。 一日外で働いてきた彼。それに対して、何もできず、ただ横になっているだけの私。申し訳なさが、吐き気と同じくらいの重さで胸に溜まっていった。
寝るとき。同じベッドの少し離れた場所に横たわる陽一さんに、私は消え入りそうな声で零した。
「……ごめんね。家にいるのに何一つできてなくて」
陽一さんは、私の指先にそっと触れ、手を握った。
「僕たちの子どもを、毎日必死に育ててくれている。『ただいてくれること』が、今の僕にとっての最高優先事項なんだ。それだけで、十分だよ」
「……ありがとう、陽一さん」
やっぱり、この人はどこまでも優しい。私はこの「嵐」が過ぎ去るまで、彼の優しさに、身を委ねることにした。
コメント
1件
うわあ、つわり描写がリアルすぎて息苦しくなった……「抜け殻」って表現、まさにそれだよね。佐藤さんの「歩く爆弾」理論、経験者の言葉って重みが違う。陽一さんの「ただいてくれることが最高優先事項」にはグッときた。この2人、それぞれの立場で頑張ってるのが伝わってきて、こっちまで温かい気持ちになったよ。