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満天の星の輝き。月は新月。闇の中で斬り咲く音、音。
「畜生……畜生……」
頸を斬られた鬼が念仏のように囁く。塵のように崩れゆく身体と頭。何故だ、何故だ、何故だ! 何故、かような小娘ごとき鬼狩りにやられる……。何故だ! 聞こえもせぬ最期のあがきに娘はただ黙ったままでいた。
「はあ……」
白と黒の羽織に刀をはいた娘が吐息混じりに言う。
「……いつまで続くのかな」
自嘲にも聞こえるその言葉と同時に刀を鞘に収めた。 新月の闇は深い。星星が瞬いているとはいえ、月の無い夜は物悲しくも感じられる。
娘のまわりには同胞達の死骸がある。この戦いで生き残ったのは娘一人。木がざわめく。風を感じられた。そういえば、夏も終わりか。やがて秋が来る。色づく紅葉を楽しめればよいのだけれど、どうやらそれは無理な話のようだ。
人喰らいの鬼が出たのは千年も前。平安時代、ある医師が病人にある薬を処方したとされる。だが、その薬は試行錯誤の段階であり、病人はその医師を殺してしまった。人喰いの鬼の祖となった病人──男はその薬の副作用で強靭な肉体を持ちつつも、太陽の元に出られないという代償を得た。
その男、人喰いの鬼の祖の名を鬼舞辻無惨と言う。
鬼舞辻は人を鬼に変化できる能力を活かし、次々と鬼を増やしていく。人を喰らえば喰らうほど強くなり、鬼舞辻の血を分けてもらえる、と刷り込まれている鬼達はこぞって人を好む。そして、中には異能の鬼と呼ばれる鬼達。『血気術』を操る鬼もいた。
中でも『十二鬼月』と呼ばれる鬼達は格が違う。月齢零を朔──始まりとし、およそ六日から八日の満ちる前の半月である上弦と、望月を経て二十一日から二十三日の欠けていく半月である下弦の名称を用いて、それぞれに壱から陸の番号を振られているのだ。その十二匹の鬼が、特に鬼舞辻の血が濃いとされ、力も強いのである。
特に上弦は百年余り顔ぶれが変わらないと言われ、鬼狩り達を数多く葬ってきた。
鬼狩り達は『鬼殺隊』と呼ばれ、鬼が出る場に赴く。陽光に当たるか特殊な刀で頸を斬られぬ限り鬼は死なない。手足がなくなろうと鬼にとっては些細な事。再生もできる。だが、人はどうであろうか。手足がもげればそこまで。そこから再生などできるはずもない。
鬼殺隊が持つ『日輪刀』が鬼の頸を斬れればいい。しかしながら大概は鬼によって殺される。 『隊』の半数以上、いや九割とも言われる死亡率。運良く生き残ったとして、次生きているかなどわからない。
闇夜に喧しい鳴き声が響く。
一羽の鴉が娘の元に降りてきた。
「オトハ……オトハ……!」
名を呼ばれ、オトハは鴉を制する。
「ねえ……あなたならわかってくれるよね……?」
鴉は肩に乗った。
「オトハ……」
声を殺して鴉はまた名を呼ぶ。
「私はね、いつ死ぬかわからない。でもそれは戦場でかな? 病でかな?」
「オト…」
「……私は死んだの」
鴉が戸惑い、驚愕しながら、羽根をばたつかせていた。
「死んだ事にしてほしいの。我ながら勝手な願いだってのはわかってる。でも、これからは自分に正直に生きたい──」
鴉はそれを了承したのだろうか。やがて、上空に飛び立ち、一度だけ、旋回してその場を去って行った。
もうじき、ここには事後処理部隊『隠』がやってくる。鬼にでも喰われたとされれば遺骸は残らないのだから、死んだとされても案外通じるかもしれない。
オトハは踵を返し、その場を去った。死んだとされても身内を失って以来、オトハの死を誰が悲しむだろうか。親戚がいないわけでもないが、オトハがよもや『鬼殺隊』にいるなど想像もつかないだろう。 少しばかり疲れたのか、足が重い。一息つければいいのだけれど。こんな山中に一夜の宿を貸してくれるような家があるのか。
歩いて、歩いて、歩いた。どこへ行くわけでもないのにオトハは歩き続けた。
先程から音が聞こえるのだ。微かだったそれは徐々に確かなものになる。
鼓の音。強く弱く、たまに聞こえる声。
一定間隔に規則正しく鳴っているので、雑音ではない。きっと誰かが鼓を鳴らしているのだろう。夜に響くそれに惹かれたのだ。
やがて、草木をかき分けた所に家があった。古びているが、音はそこから聞こえてくる。
小さい家だが、住む分には申し分ない程度。平たく言ってしまえば普通の家だ。
だが、そこに人の「気」は無かった。
オトハは懐にしまっている「それ」を一瞬握りしめる。
「気」からして鬼。喰らった人数はまだ僅かだろうが皆無ではない。
古びてきつくなっている扉を開ければ、「気」は一層強くなる。間違いない。──鬼だ。
「夜分遅くに失礼します」
鍵もかけられていない。オトハが踏み込むと、鼓が早くなる。
斬り割かれる音をかわす。爪のような…三本の斬撃。
「……ついてないなあ」
たった今、死んだ事にして『鬼殺隊』を辞めたばかりなのに。どうして鬼と対峙する羽目になるのか。
数歩後退して、距離をとる。斬撃は外にも及ぶだろうか。
「鬼狩り……!」
姿が露になった鬼にオトハは刀を抜く。
鼓がまた鳴った。地をえぐり、砂塵が舞う。(正確には『元』なんですが)
言葉にする余地は無さそうだ。
「一夜の宿を借りたかっただけなんだけど、仕方ないか……」
ため息混じりに言う。刀を構え、空に舞う。「テンポは…やや速めに。旋律の中で強弱を付け、リタルダンドを用いて終曲……」
となれば小曲。
まずは……。
「奏の呼吸、弐ノ音、小曲(メヌエット)」
刀が五本に分かれる。五線譜を描き、音を乗せていく。
鼓の音がオトハの描いた五線譜に吸収された。いや、音がそれに乗ったというべきか。
不規則ながらも音程ある音はオトハの五線譜に音を連ねる。
「一番高い音はソ……低い音は一オクターブさがってミかな……」
やがて、音は西洋の音楽になぞらえた音符と化す。オトハのまわりにある五線譜は見事に音符と融合していた。
「奏でよ!」
刀が上空に上げられ、オトハは振りかざす。 その瞬間に楽が鳴った。耳が壊れるほどの狂音。だが、オトハ自身には影響がない。鬼だけが嫌う音。鬼はその音に立ちすくみ、耳を塞ぎながら立ちすくむ。
手が足が斬られた。頸を斬られれば終わりだ……。
まだなにも成し遂げられていない……。こんなところで終わるのか……。小生は……。
「ならば……せめて腕だけでも……!」
鼓がオトハの音符とぶつかりあい、音符が斬られる。腕を狙え! 腕だ! それだけ潰せば勝てる!
「腕を狙いにきたのね……! でも……!」
読んでいた。刀を握っている右寄りの攻撃をかわし、オトハは鬼の胴を断っていた。
「……!」
紙がオトハの視界を防ぐ。紙自体に攻撃性は無かった。でも、そこから目が離せなかった。
原稿用紙のようなそれをオトハは踏みつけることができない。
ハラハラと散らばるそれをオトハは一枚だけ拾い上げる。
万年筆で書かれた癖はあるが流麗な文字に見覚えがあった。
鬼はそれを庇っていたのだ。手足よりもその紙の一つ一つを大事にしていた。
てっきりこのまま頸を斬られるかと思っていた鬼は肩透かしをくらった気分でいるだろう。だが、相手の小娘は攻撃を繰り出さぬばかりか、紙を見続けていた。
震えている。鬼狩りの娘が。震えて涙を流している。
このままその娘の腕を斬るなり、喰らってしまえばいい。でも何故だ……。できない……。 ふと娘が刀を収めた。そして、自らの懐からなにかを出す。 手紙……か?
「私ね……ある人に手紙を送ったの。文芸雑誌に掲載されていた一つの短編がどうしても目が離せなかった。数々の文豪達が名を連ねてる中で、それは項が余っていたから付け加えたような感じで載っていたけど……私は好きだった」
オトハの言葉が鬼の心を揺るがす。
「まさか……!」
「夢を追い続けること……。女性が望まぬ結婚で夢を絶たれるのはどう思うのか……」
「時代は変わりつつある……。 女の事はよくは知らないが、あなたはあなたの道を進めばいい」 手足も胴も再生していた鬼が、持っていたそれをオトハに見せる。
「音羽……?」
「響……?」
二人が持っていた手紙の差出人には『音羽』と『響』の文字。
「やっと会えた……!」
音羽は、また泣きそうになっていた。よもや目の前に鬼がいようがお構いなしというくらいに。「お前が……? 音羽……?」
娘が頷く。
「琴吹音羽(ことぶきおとは)……音羽って呼んでほしいな……」
「音羽……」
音羽が優しそうに微笑む。
「教えてくれない? 『響』は紙面での名でしょ?」
一瞬ためらう。が……鬼は自らを名乗る。「凱……」
小さかったのかよく聞こえなかったらしい。「響凱だ」
これに満足したのか、娘──音羽がまた笑ってくれた。 ああ……。鬼になる前に、この娘に会っていたら……。日の光を浴びて、音羽に自分が書いたものを見せたかった。誰もが小生を見限っていたのだと思い込んでいて、あの方に「鬼」にしていただけて…。忘れかけていた。でも完全には忘れられなかった。まだ姿も知らぬというのに……。手紙の主は年頃の娘だろうと想像して……。
「紙……汚れちゃったね……」
何枚かが血に染みってしまった。それを音羽が丁寧に集めはじめる。
「音羽……」
「なに?」
「お前は小生を斬るのか……? お前は鬼狩りだろう?」
答えは否だった。
「……私ね、鬼狩りを辞めたの。自分が死んだことにして。本当は鬼を逃したら切腹なんだけど、もうそれも関係ないし……」
「辞めた……?」
「自分に嘘をつかず、正直に生きたかった」
「……は?」
「変だと思うでしょ? でも……」
「いいと思う」
「え……」
「なんでもない」
そう言うやいなや、響凱は音羽が持っていた紙を奪い返すかのように持ち去る。
「小生の気が変わらぬうちに去れ。他の鬼狩りがくるやもしれぬし、お前を狙って鬼が群がってくれば迷惑だ」
「……いやだ、って言ったら?」
「なっ……!」
「私ね、こう見えて結構強いの。鬼は日の光の元には出られないし、ここに鬼を寄せ付けられないようにする事くらいはできるかな」
「か、勝手にしろ!」
響凱がぶっきらぼうに背を向ける。
「……やっぱり人を喰らうの?」
音羽の声が弱々しく聞こえた。
「鬼、だからな」
「そっか……」
「だが、お前は不味そうだ。誰構わず喰らう奴もいるが少なくとも小生は違う」
「不味そうだ、は余計かな」
いじわるっぽく音羽が訂正する。 夜明けが近い。山の奥が僅かだが、闇を解いている。 元、鬼狩りと鬼との奇妙な出会いと生活がはじまる。これはほんの一夜にすぎない。