真っ白なタキシードを着た藤堂弘人と、ウェディングドレスを着た島田みゆが牧師の前に立っている。
2人の門出を祝うようにチャペルには光が差し込み、参列者は笑顔でカメラを向けている。
「新郎、藤堂弘人。新婦、島田みゆ。2人はどんな時も互いを愛し、敬い、助け合い、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?」
「はい、誓います」
牧師にお決まりの質問をされて、弘人とみゆは声を揃えて返事をする。
(これからは旦那としてみゆを守っていく。そして幸せな家庭を2人で築いていこう)
この時の弘人はまだ知らなかった。
隣で微笑む妻に憎しみを抱く日がくるということを——。
*****
半年前、弘人とみゆはホテルのラウンジで出会った。
出会ったと言っても決して運命的な出会いではない。
母親同士が知り合いで、お互いに適齢期の子供がいるから物は試しで一回お茶でもというよくあるいきさつだった。
「まあ、かわいらしいお嬢さんだこと…! ねえ弘人?」
母親の言葉に弘人も頷く。
それはお世辞でもなんでもなく、目の前の女性は『かわいらしい』という言葉を具現化したような人だった。
レースのフェミニンなブラウスにパステルカラーのカーディガン、そして膝丈の花柄のフレアスカート。
まさに清楚な女性の見本と言ってもいいだろう。
「そんな、私なんて…。それよりも弘人さんがとても素敵な方で驚いちゃいました」
はにかんで小首をかしげる仕草も可愛らしく、息子が褒められたこともあって弘人の母親はますますみゆに好感を抱いたようだ。
「弘人さんは、みゆと同い年だから…今年28歳になるのよね?その若さで起業して、社長さんをしてらっしゃるなんて本当にご立派だわ」
「いえ…肩書きとしてはそうなりますが、従業員100人ほどの小さな会社ですから」
弘人は難関の私立大学在学中に独学で株を学び、貯めたお金で卒業後すぐにアメリカに留学してMBAを取得した。
端正な顔立ちで実家は田園調布の豪邸、そしてベンチャー企業の社長で高収入ということもあり、みゆの母親は弘人のことを大層気に入っている様子だった。
「学生の頃から起業が夢だったんですか?」
「夢というか、ただなんとなく会社員になる自分が想像できなくて…。留学して起業を目指す人たちに囲まれているうちに、決心したって感じですね。行き当たりばったりでお恥ずかしいです」
「それで成功しているんだから、いいじゃない。ねえ、藤堂さん?」
「ありがとう、島田さん。親バカで恥ずかしいけれど、弘人は本当に自慢の息子だからそう言ってもらえて嬉しいわ。みゆさんだってとても素敵なお嬢さんで…」
お互いの子供たちの褒め合いが始まる。
話が長くなる気配を感じた弘人は、手に持っていたカップをソーサーに置いて立ち上がった。
「みゆさん、もしよければ中庭を散歩しませんか?」
「えっ」
弘人の誘いにみゆが小動物のように目を丸くして驚き、隣に座る母親たちは待ってましたと言わんばかりの反応をする。
「あら、いいじゃない。ここのホテルのお庭は素敵よ」
「2人でゆっくりお話ししていらっしゃい」
嬉しそうに送り出す母親たちを背に2人はラウンジを離れた。
*****
ホテルの中庭には桜の木があり、満開を少し過ぎた頃だった。
桜の花びらが舞う中庭を2人でゆっくりと歩く。
ホテルの中が少し暑かったこともあり、ひんやりとしたそよ風が心地よかった。
「すみません、急に連れ出してしまって」
「いえ、嬉しいです。私も2人きりで話したいと思っていたので」
身長が160センチのみゆは、178センチの弘人と目を合わせようとすると自然と上目遣いになる。
その仕草と笑顔を見て、自然と可愛いという感情が湧いてきた。
これまでに何人かの女性と交際してきたが、いつも女性からのアプローチで付き合うことになっていた。
そして弘人は今まで心から人を好きになったことがない。
ただ結婚相手に選ぶなら素直で天真爛漫な女性がいいとは以前から思っていた。
「改めてなんですけど、みゆさんは結婚したいんですか?」
「結婚…!?」
あまりにストレートな質問にみゆは声を上げて立ち止まった。
そんな彼女の反応は気にも留めず、弘人は言葉を続ける。
「すみません。無駄なことがあまり好きじゃないんです。母親同士が友達だからカジュアルな感じだけど、今日は実質お見合いのようなものでしょ。だったら効率良くいくのもいいと思って」
「…ふっ、あははっ。ベンチャー企業の社長さんって、みんなそんな感じなんですか?」
右手を口元に当てて笑う彼女は素の表情という印象だ。
先ほどのラウンジでの表情とは違ってとても子供っぽく、まさに天真爛漫という言葉がよく似合っていた。
「…私、ずっと女子高なんです。今は広告代理店に勤めているんですけど、仕事が楽しくて楽しくて。そんなんだから、母も心配しているんですよね」
「心配?」
「人よりも男の人に慣れてないのに恋愛経験も少ないから、今のままじゃ結婚なんて絶対できないだろうって」
みゆの話を聞いて、自分の境遇と似ているような気がした。
会社を大きくすることが思った以上に面白くて頭がいっぱいになっているが、両親は『早く良い女性と出会って家庭を持ってほしい』と思っている。
結婚に興味はないし、今は恋愛をする気にもなれない。
だけど両親の希望を叶えたいという思いがあったため、わざわざ忙しい合間を縫って今日ここに来た。
「私、男の人ってちょっと苦手だったんですけど…なんていうんだろ、弘人さんは話しやすいと言うか…。意外と合うんですかね?私たち」
「そうかもしれませんね」
恋愛とは違ったとしても、パートナーとして結婚相手を選ぶならこういう女性なのかもしれない。
母親もみゆのことを気に入っていて、結婚したら嫁姑の関係もきっと良好だろう。
出会ってからわずか1時間で彼女との結婚生活がイメージできた。
*****
2人の結婚は驚くほどスムーズに決まっていき、約半年でそれが現実のものとなった。
そして結婚式の2日後、弘人とみゆは新居に引っ越した。
今日から2人の新しい生活がスタートする。
「わあ…!すごい眺め!」
新しい住まいは都心の一等地にあるタワーマンションのペントハウス。
みゆは部屋に入るなり、リビングの窓に駆け寄って歓声を上げた。
一面ガラス張りのリビングからの眺望は素晴らしく、富士山や東京タワーも見ることができる。
「こんな綺麗な景色が毎日眺められるなんて…。それに部屋もすごく素敵」
インテリアは一流のコーディネーターにあつらえてもらい、家電はすべて最高級の最新家電で揃えている。
「この部屋の良いところはこれだけじゃないよ」
「まだあるの?」
みゆとの結婚が決まってから、知り合いの不動産会社の社長を通じて良いマンションを探してもらっていた。
そして紹介されたこのマンションはどこよりもサービスが充実していた。
マンションが契約しているハウスキーパーが部屋の掃除をしてくれて、コンシェルジュに衣類を預けるだけでクリーニングに出してくれる。
さらにこの近くには美味しい飲食店が多く、デリバリーや出張シェフもすぐに呼べる。
衣食住すべてにおいて満たしてくれるのがこのタワーマンションだった。
「そこまで揃っているなんて…。でも、いいのかな?私もちゃんと家のことやった方がいいと思うんだけど」
「俺は仕事が忙しくて、ほとんど家事を手伝ったりできないと思うんだ。そうなるとみゆにばかり負担をかけてしまう」
「そんな、負担なんて…」
「でも、みゆはこれからも仕事を続けていくんだろ?」
みゆは今の仕事が好きで、結婚してからも続けたいというのが希望だった。
広告代理店というのは忙しく、残業になることも少なくない。
弘人はそんな彼女の負担を極力減らしたいと考えて、このマンションを新居に決めたのだ。
「ありがとう。じゃあ掃除とか洗濯とかは甘えさせてもらうね。でも、料理はできるだけ自分でもやるようにする。ひろくんの健康のためにも、栄養のバランスが取れた食事をしてほしいから」
「無理しなくて大丈夫だよ」
「ううん、私がやりたいの。新妻として、大好きな旦那様に手料理を振る舞いたいし」
仕事を終えて帰ると、家でみゆが手料理を作って待ってくれている。
笑顔で出迎えてくれる彼女の姿を思い浮かべると、それも悪くないなと思ってしまった。
するとみゆは「そうだ!」と声を上げた後、B5サイズのノートとペンを取り出し、何やら文字を書き始めた。
『結婚生活の約束その1:みゆが料理を作ったらちゃんと食べる』
そんな約束しなくても、という内容が書かれていてつい笑みがこぼれる。 弘人はペンとノートを取り上げ、その下の行に文字を書く。
『結婚生活の約束その2:どんなに仕事が忙しくても、日曜日の朝だけは2人でゆっくり朝ごはんを食べる』
「お互いに忙しくてすれ違う時もあると思うけど、2人で過ごす時間は大切にしよう」
「うん!」
力強く頷くみゆに弘人はそっと唇を重ねて、約束のキスを交わした。
*****
その日の夜。
お風呂から上がって寝室に向かうと、ピンクのキャミソールワンピースを着たみゆがキングベッドの上でうつ伏せになっていた。
肩ひもが横に垂れているが、それにも気に留めずにスマホをいじっていた。
「何してるの?」
「フォトスタだよ」
フォトスタは主に写真を載せるSNSで、世界で10億人以上のユーザーがいる。
特に若い女性のユーザーが多いため、弘人の会社でも宣伝のツールとしてよく利用している。
といっても、運営はすべて秘書に任せているため弘人はノータッチだ。
「引っ越し完了したって書いたの。ほら、わざわざ1人ずつ連絡しなくてもここに書けば友達に報告できるし」
「へえ、そういう使い方もあるのか」
「ひろくんはフォトスタやっていないの?」
「あ…うん、そういうのは苦手だから」
「そうなんだ、楽しいのにー」
「………」
SNSが苦手と言ったが、それは嘘——
本当は“苦手”ではなく、“嫌い”だ。
(あんな悪魔のツールがあったせいで、俺は…)
「…っ」
過去のことを思い出しかけた時、弘人は唇にやさしい温もりを感じた。
そしてそれがすぐにみゆのキスだということに気付いた。
お互いの唇がゆっくりと離れた後、今度は弘人から重ねる。
「ん…っ」
みゆが甘い声を漏らし、弘人の感情を掻き立てる。
唇をこじ開けて、舌を絡ませるとみゆがそれに応える。
実は2人はまだ一線を越えていない。
みゆは女子校出身であまり男性慣れしていないタイプだったから、結婚するまで手を出すのは控えていた。
「…あ…っ」
みゆの首筋を撫でると小さく体を跳ねさせていて、それが初心な感じがして可愛いらしい。
(今夜はこのまま…)
そんなことを思いながらみゆの背中や腰に指を這わす。
すると今度はみゆが弘人の腰に手を回し、シャツの中に手を忍び込ませる。
そしてみゆの手が弘人の背中に触れようとした、その時——
「…!」
反射的にみゆの体を離してしまい、気まずい空気が流れる。
さっきまで聞こえていなかった時計の針の音が耳に響くほど、寝室は静まり返っていた。
「…ごめん」
「どうしたの…?」
「いや、何でもない。引っ越しで疲れたから今日はもう寝よう」
みゆは頷いていたけど、戸惑っている様子だった。
きっと今日はこのまま一線を超えると覚悟を決めていたのだろう。
申し訳ない気持ちでいっぱいだったが、今の気持ちのままでは無理だと思った。
(あのこと、今度ちゃんと話さないといけないよな…)
みゆにまだ話していない“自分の過去”のことを考えながら、弘人は彼女に背を向けて目を閉じたのだった——
コメント
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完璧な彼の過去に一体なにがあったんだ…!!!!