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第二章 知らない駅、知らない私
翌朝、あかりは始発の電車に乗っていた。
夏休み中とはいえ、まだ日も昇りきらない時間帯に動く人は少なく、車内は静かで、どこか眠たげな空気に包まれていた。
制服を着た学生、スーツ姿のサラリーマン、部活帰りらしき眠そうな男の子たち。
その中であかりは、ひとりだけ浮いていた。
「……これで、よかったっけ」
スマホの路線図を見ながら、わざと適当な駅を選んだ。
行き先なんてどうでもよかった。ただ、知らない駅に降りれば、それでよかった。
「電車で降りたことのない駅に降りてみる」
リストの二つ目。
こんなこと、千早とならもっと楽しかったのに。
どっちに行く? なんて地図も見ずに歩き回って、知らない喫茶店でコーヒー頼んで、微妙な味に笑い合って。
「じゃあ次はこっち行ってみよう!」
それだけで何時間でも歩けた、あの時間が、懐かしい。苦しい。
電車がゆっくりと停車する。
アナウンスが駅名を告げた瞬間、あかりは何も考えず、席を立っていた。
改札を抜け、見知らぬ風景の中へと足を踏み出す。
名前も知らない駅前。小さな商店街と、古びたベーカリーの看板。
遠くで蝉が鳴いている。
「……ほんとに、知らない場所だ」
少し歩くと、小さな川が流れていた。
橋の上から見下ろすと、水面に朝の光が反射して、きらきらと揺れていた。
その光景に、ほんの少しだけ心がほどけた気がした。
あかりは川沿いのベンチに腰を下ろし、ノートを取り出す。
リストのページを開いて、ひとつに小さく「✓」をつける。
それだけのこと。
でも、心臓が静かに鳴っているのを感じる。
生きてる。今、自分はちゃんとここにいる。
ふと、ポケットの中に手を入れると、千早のストラップが触れた。
鈴のついた小さなキーホルダー。
事故のあと、親御さんから「形見に」と渡されたものだった。
あれから一度も音を鳴らさなかったそれが、風に揺れて、かすかにチリンと鳴った。
まるで、千早の声みたいだった。
「知らない駅に降りたよ、千早」
そう呟いた瞬間、目の奥がじんわり熱くなる。
でも、涙はこぼれなかった。
それでいい。
次は——キャンドル。
夜になったら、灯してみよう。あのリストの、三つ目。