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第三章 キャンドルと、静かな湯気
帰りの電車は、乗ったときより少しだけ賑やかだった。
部活帰りの学生たちの笑い声や、イヤホンから漏れた音楽。
それらが遠くの音に聞こえて、あかりの中にふわりと浮いたような感覚を残す。
知らない駅で降りて、川を見て、リストにチェックをつけただけ。
でも、何かがほんの少しだけ変わった気がした。
午後、陽が落ちてからはあっという間だった。
空が群青色に染まっていくころ、あかりはお風呂場にキャンドルを並べ始めた。
「お風呂にキャンドルを浮かして入る」
これは千早の発案だった。
「バスタイム革命じゃん!」と、真剣な顔で言って笑っていた。
くだらない。でも、だからこそ、ずっと忘れられなかった。
ドラッグストアで買ってきた小さなアロマキャンドルを三つ。
空気の流れを読んで、慎重に火を灯す。
灯りを消した浴室は、たちまちやわらかな揺らめきに包まれた。
天井や壁に映る炎の影が、不規則に揺れて、まるで水面のようだった。
湯船に身を沈めると、張り詰めていた何かがじわじわと緩んでいくのを感じた。
熱すぎない温度。湯気と、香りと、静けさ。
「……変なの」
あかりはぽつりと呟いた。
キャンドルの火を見つめながら、頭の中には千早の笑い声が浮かんでは消える。
「こういうの絶対やってみたかったんだよね!」
「お風呂でキャンドルとかおしゃれすぎない?やばくない?」
うるさくて、明るくて、めちゃくちゃで。
でも、誰よりも、あたたかかった。
あかりは目を閉じる。
まぶたの裏に、千早が現れる。
——あの森で、あの夜に、最後に見た彼女の背中。
「私、死ぬのが怖くなかったわけじゃないよ」
声に出してみた。
湯気の中にその言葉が溶けて、どこにも届かずに消えていく。
「でもさ……それでも、全部終わらせたいって思ったの。じゃないと、ずっとあのときのままだから」
ぽたり、と一滴、湯の中に涙が落ちた。
湯気で濡れた頬か、心の奥からこぼれたものか、自分でもよくわからなかった。
やっぱり、千早じゃなきゃだめだった。
笑ってくれなきゃ、隣でふざけてくれなきゃ、リストを叶えたって意味がない。
でも、それでも。
今、自分はここにいる。ひとつずつ、ちゃんと叶えている。
そうしないと、どこにも進めないから。
風が鳴る音が、窓の外から聞こえた。
ふと、キャンドルのひとつがゆらりと大きく揺れて、あかりの影が壁に映った。
その影が、ほんの少し、誰かと並んでいるように見えた気がした。
あかりはゆっくりと目を閉じて、小さくつぶやいた。
「次は、遊園地だね」