鶯の鳴く春の山。
きらめく池の水面、人々の動き始める音。
そして____友達の声。
「イノリちゃん、イノリちゃんってば、授業始まってる!」
暖かい日差しとともに、意識はだんだんと現実へと近づいていった。
眼の前にあるのは…
きらめく水面でも、春の山でもない。
ただただ私を起こし続ける友達と、クラスメイトの地味に生ぬるい視線だった。
慌てて教科書を取り出すと、先生はやれやれという表情で、教科書、16ページ。と言った。
「はい!」
急いで教科書を取り出すが、まだクラスメイトは冷ややかな視線を送っている。
先生はもう呆れていう言葉もないという顔をしていた。
そこへまた友達が声をかける。
「読むのよ、これ」
そう聞いた瞬間、顔が赤くなり、教科書を読み上げ始める。
しどろもどろで読み上げた文の中に、
「事実は小説よりも奇なり」
という言葉があった。
春のまだ淡い碧の空を、カラスの大群が飛んでいった。
そう。これから彼女に起こる事を見通しているかのように…
さっきは散々だった…
放課後になり、廊下で肩ため息をつく。
放課後の学校は、部活生と居残り勉強をする生徒でごった返していた。
ここは花紅県十六夜市。
美しい自然が自慢の地域だ。
私は星彩イノリ。十六夜市立入相中学校の中学二年生だ。
「どうしたの?イノリが居眠りなんて珍しい〜」
そう言って話しかけてきたのは寺崎由香。小学校からの友達だ。
「ん〜、昨日変な夢見てさ…なんか内容は思い出せないけど、お母さんと狐がお話してる夢だった。内容は覚えてないけど」
「ふーん…それって何かの予知夢だったりして!」
由香らしい冗談に、笑いが込み上げてきた。
「なわけ無いじゃん!私そんな超能力とか無いし」
そう笑い飛ばすと、由香は一瞬真面目な顔になって、
「でも、イノリって神社の子じゃん?」
その言葉を一瞬真に受けてしまう。
「た、確かに〜!どうしよう、今日の夢にお化けとかが出てきてそれが本当になったら…」
考えすぎて涙目になりかけたところに、いつもの台詞があった。
由香は冗談を言った後、必ずこう言う。
「ま、私が考えたことってだけだけどね〜」
「だ、だよね!うん!」
自分で自分に納得させようとしたのも相まって、とてつもなく大きい声が出てしまった。
「じゃ、私この後図書館に用事あるから。じゃあね!」
そう言って由香は図書館側の玄関へ向かっていった。
私も帰ろうと昇降口に向かっていた時、ふいに由香の言葉が思い出された。
『ふーん…それって何かの予知夢だったりして!』
…お母さんと狐…?
お母さんが狐…?
私が狐の子供であるという暗示…?
ああ、だめだ。考えれば考えるほどわけが分からない。
ううん、あれは冗談よ。イノリ、よく聞くのよイノリ。あんな憶測に騙されちゃダメ!
由香のことよ!昔からの親友じゃない。そうよ・・・そこまで気にすること…
やっぱり気になるうううう!!!!
そんな事を延々と考えているうちに、神社の石段の前へと着いていた。
そう。さっき由香も言った通り、私は神社の子供だ。だから学校から帰ったら巫女の仕事がある。
どうか由香の言ったことが現実になりませんように!
今はただ、そう祈るのみだった。
「ただいまー!」
引き戸の玄関を開け、家に入る。
家に入ると、おばあちゃんが晩御飯の下準備をしているところだった。
「あらおかえりイノリちゃん。学校はどうだった?」
「どうもしてないよ。いつも通り。」
当たり前のように会話を終え、私は制服から慌ただしく巫女服に着替えた。
「いってきま~す!」
箒を持ち、掃除をしに外へ出る。
春風が頬を撫でる。髪の毛が揺れてくすぐったい。
草木の匂い、花の色、神社の池の水の透明さ。
この景色、情景が好きで神社を継ごうと考えたと言っても過言ではない。
神社の石段を掃除していると、弟が帰ってきた。
「おかえり」と声をかけると、弟は「ん。」とだけ話して家の方へ駆け込んだと思うと、
ゲーム機片手に勢いよく飛び出していった。
「ったく…可愛くないんだから!」
手伝いもせずに一目散に神社を下っていった弟に苛立ちつつ、落ち葉を掃く。
近所の人と挨拶を交わしつつ一通り掃き終えた私は神社の上の方へと向かった。
普段は必要最低限掃除をしたら帰っているが、今日は余裕があったのだ。
「たまには掃除してあげないとね」
そう言って私は、落ち葉をまた掃き始めた。
その時だった。
奥の方の寂れた隅の方に、稲荷像がちょこんと座っているのを見つけた。
思えばそれがすべての始まりだったのかもしれない。
「わ、いたずらされて泥だらけじゃん!そしていつから放置されてるかもわからないから落書きだらけ苔だらけ…」
可哀想…そう思った私は、稲荷像を綺麗にし始めた。
「今から、綺麗にするからね」
そう言って、私は汚れを落としていった。
一生懸命汚れを落とすこと数十分。稲荷像はすっかり綺麗になった。
見違えるほど輝いていて、前よりも稲荷像は誇らしげだった。
頭を撫でれば、今にでもコン!と鳴いて着いてきそうだった。
そろそろ家に入ろうと思った時、自分の頭上から、何かが降ってくるのが分かった。
「わあっえ、ちょっと!大丈夫ですか…って狐えええええ?!」
突然のことで頭が追いつかない。
え、え?!
狐につままれるって…いや冗談考えてる場合じゃなくて!
「ふわあ…よく寝たわ。70年くらいかしらね?」
喋った。
狐が。
あくびした。
狐が。
「喋ったあああああ?!」
「何を驚いてるの?アタシを起こしてくれたのは貴方だったのね。貴方がいなきゃアタシ、
あのままツグモリになってる所だった。恩に着るわ。」
…え、え…?
つぐ…何?
「そういえばアンタ、ツグモリ狩りは初めて?」
「は・・・はい…」
とりあえず、軽く返事をする。
「その顔、ツグモリ自体がわかってないみたいね」
いや、そりゃそうでしょ。と突っ込む。
そもそも空から降ってくる事自体わかんないし。
普通空から降ってくるとかだったら美少女でしょ。
狐とか意味わかんない…
「今、なにかアタシに失礼なこと考えたんじゃないでしょうね」
「い、いえその…貴方、どちらから?」
とっさにごまかすための一言だったのだが、それがまた狐のなにかに触れたみたいで、
「アンタ、仙郷のこと知らないの?」と言う。
だからわかるはず無いでしょって。
狐は、「はあ…まずはそこからね・・・」とため息を付きながら、長い説明を始めた。
「昔から人間は、神様の住む「仙郷」の世界と共存して暮らしたいた。
でもある時、捨てられたモノたちから成るとある集団ができた。
それによって、仙郷と人間界は分かれてしまって、その時ここの神社にいたアタシは
この中に長らく閉じ込められちゃってたって話。」
よく分からなすぎて完全にぽかんとしている。
「このくらい、開闢神社の巫女なら知ってて当然よ」
と痛い一言を受け、私は石段に座り込んでしまった。
まさか、助けた狐にお説教されるとか思ってなかった。
「んじゃ、次の説明ね」早々に狐は切りだす。
この説明はまだまだ続くらしい。
「そんで、さっき行った捨てられたモノたちから成る集団ってのが、晦冥って組織で、
ツグモリを生み出し、「ヒトとモノが平等な世界を作り出す」ことを目的としている
軍団ってわけなのよ。使われなくなって負の感情を溜め込んでいるところを洗脳するんだ。
そしてツグモリとして暴れさせる。そして…」
もう私は、意識が少し遠のいてきた気がした。
「ちゃんと聞いてんのかい?」
「はいっ」
威勢よく返事はしたものの、私はまだ意識がぼんやりしている。
「じゃあ話すよ。そのツグモリを倒せるのがアンタとその開発者だけなんだ」
「えっ?!」
「昔は沢山のツグモリ狩りがいたんだけど、今となっちゃねえ…まあ開発者は自分から降参するなんて絶対にいありえないから…倒せるのはもっぱらアンタ一人だろうね」
「わ、私いいいいい?!」
思わず間抜けな声で叫ぶ。
「そうよ。…代々開闢神社の娘が色々担ってきたのだけど…アンタは何も知らなそうね。
全く…アタシがいなきゃここのツグモリ狩りは後世に伝えることっもできないのかしら。
全く世話が焼ける奴ね」
「え、いやあ…」
だから見知らぬ狐に言われても分かりませんって!
「まあ良いわ。着いてきなさい」と言って狐は神社の奥の蔵へと向かう。
そしていともたやすく戸を開ける。
何年いや、何十年何百年と放置されてきたであろう蔵はかなりホコリ臭かった。
そしてその中からよく分からない鈴と紙が出てきた。
「これがツグモリ狩りに使う鈴。正式には「言霊の鈴」って呼ぶの。そして、この紙に書いてあるのが呪文よ。
すべて覚えること。いい?」
「…ね、ねえその狐さん?何で私なの?私が巻き込まれてるの?」
「狐さん?!…まあそれは置いといて、貴方まだ話の趣旨を理解してなかったの?」
「…だって!平凡に暮らしてた女子中学生が急に能力者って言われても…」
「じゃあ、アンタに必要なモノを見せてあげるよ」
呆れながらそういった後、その狐は首元の鈴をしゃんと鳴らした。
目を覚ますと、そこは地面が水のようで、どこまでも青空が続いている場所だった。
ただ、そこはしっかりとした地面としての感覚があり、濡れない水の床、といった感じだった。
歩く度に水面に波が広がっていく。
「こっちだよ」と狐がて招く方へ行くと、綺麗な虹がかかっていた。
「わあ…」
ふとよく見てみると、虹に向かって無数のカラフルな水晶玉のようなものが登って行っていた。
「綺麗でしょう」
「はい…」
「これが、大切にされたモノの魂なの。大切にされたものほど、よく輝いているのよ。
そして大切にしてもらえなかったモノは弱っている。輝きが鈍っているのよ。仙郷へ向かえば皆救われるとは言うのだけれどね。なにしろ仙郷への道は閉ざされているし、この世の使命を全うしたものしか行けない。」
「仙郷?」
「アタシの生まれ故郷だよ。昔は自由に出入りができてたんだけどね・・・」
「狐さん?」
「ま、詳しいことは分かったろ。現世に帰るよ」
「はい」
また狐がしゃんと鈴を鳴らすと、景色が明るくなった。
薄暗くなった夕空、祖母の呼ぶ声がした。
「イノリちゃん、ごはんよ」
と。
「はーい」と言ったつかの間、目の前に先程見た水晶玉のようなものが転がっていた。
「これは…」
と狐が何やら深刻そうな顔をしている。
「これ、さっきの…輝きが鈍ってる…うーん、後でまた取りに来ようかな」
と家に向かおうとした瞬間、謎の黒い影に体を引っ張られた。黒い何かに縛られ、身動きが取れない。
「ナイ…デ…オイテイカナイデ…イカナイデヨオオオオオ!!!!!!!!」
とその影が叫ぶ。
その時、私は何処か悲しい空気を感じ取った。
どこかに一人で置いていかれるような、とめどない寂しさを。
しかし、後ろから掴まれ、服で体は締められていく。
苦しくなって意識はだんだんと遠のいていく。
いよいよ意識を手放そうとした時、狐が叫んだ。
「今よ!変身しなさい!」
先程の鈴が目の前に飛んできて、反射的にそれを掴む。
「今開闢の時。久遠に響く言霊の精!」
気がつけばそう叫び、服が豪華版の巫女服のようになっていた。
私が変身すれば、目の前の黒い影は驚いたように手を離した。
「ソイツがツグモリよ。あなたにしか倒せない強固なモンスター」
「だからそれがわからないんですって!」
そう叫んでいると、目の前にツグモリが迫ってきた。
「キャ、潰される!」
反射的に私は鈴を振った。
しゃん!と音がなり、一瞬ツグモリが怯む。
「今よ。浄化なさい!」
「九十九の精よ、銀湾の中で眠れ。鏡花水月!」
そう言うと、ツグモリは浄化されていった。
急に力が抜けて、その場に座り込む。
「アンタ才能あるじゃない」と狐が言う。
「イノリちゃん、ご飯食べないの?」と祖母が玄関から出てきた。
「あら、その格好…」と言ったまま祖母はしばらく何かを考えていた。
「ねーちゃん、今日はねーちゃんが好きないなり寿司だよー!早く来ないとねーちゃんの分まで食べちゃうからなー!」
「あ、こら!」
弟にいなり寿司を食べられるのを阻止すべく、私は家の中に入ろうとした。
「あら、イノリちゃん、肩に乗ってる狐さんはどうしたの?」
「え?」
「世話になるわよ」と狐は呟いた。
「えええええ???」
驚きが隠せない私に続けて祖母が「狐さんに優しくすると、いいことがあるんだよ。さあ、いらっしゃい」
と言って家に連れて行った。
お父さんは、何処か怪訝そうな顔をした。
「イノリ、その狐…早く何処かに逃がしてッ…」
「お父さん…?」
「こら、そんな事言わないの」
「だって母さん…」
2人は突然何だか険悪なムードになった。
「お父さん?おばあちゃん?」
「まだ、イノリちゃんが知るには早いわよ」
「え〜…」
「取り敢えず、この狐さんは家に入れるわ」
私には何でおばあちゃんが狐を大事にするかも、お父さんが嫌うのかも分からなかった。
「ねーちゃんのいなり寿司一個もーらい!」
考え事をしている隙に、弟が私のいなり寿司を一個奪い取った。
「ちょっと!待ちなさい!」
「アタシも一つ貰うわ」
「狐さんまで!」
狐って稲荷揚げ好きって本当なんだ…
って感心してる場合じゃない!
「こらー!」
「言っとくけどアタシはイナリっていうちゃんとした名前がある。次から狐さんだなんて呼んだらまともに取り合わないわよ」
「まあまあ。まだまだお替りはあるからね。争うんじゃないよ」
とおばあちゃんが宥める。
私の、ドタバタでよく分からない生活が、幕を開けた。