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「ショコラ姉様ー!あっち‼」
「…ちょっと待って、ベニエ!私、まだあまり上手に馬を操れなくて……」
シャルトルーズ伯爵家の屋敷へ戻って昼食を済ませた後、ショコラはベニエと数人のお付きの者たちと共に、遠乗りへと繰り出して来ていた。
ベニエはどんどん先へと進もうとしていたのだが、ショコラは初めて乗る馬に苦戦してもたもたとしている。そんな様子を見て、ベニエがサッと側まで戻って来た。
「大丈夫だよ、もうすぐ慣れるって。姉様が乗ってるその子は、優しい性格の子だから。」
「まあ、よく分かっているのね。」
「もちろん!屋敷の馬の事なら、何だって分かるよ。姉様の馬を選んだのだって僕だしね。」
得意気に言いながら、ベニエはニカッと笑った。
白樺が立ち並ぶ林の中を通り、一行は湖を目指しているところだ。もっと楽に出られる道ならいくらでもあったが、人目を避けつつベニエのおすすめに従って進んだ結果、そんな場所を通る事になったのである。
やがて、木々の向こうに湖がその姿を現し始める。そういえば午前中に行った王室の別荘からも見えていたな、とショコラは思い出した。国王一家に謁見した、あの広い芝生の庭の先に少しだけ……。だがあの時は、ゆっくりと景色を眺めている場合ではなかった。
林を抜けると、開けた場所に出た。水際はすぐそこにある。ショコラたちは馬を降り、自分の足で近付いて行った。
「まああーすごいわ――!こんなに大きな水溜り、初めて見た‼」
感激したショコラは目を輝かせ、思わず大きな声を上げる。……湖程度でこの驚きよう……。少し大袈裟過ぎやしないだろうか?とベニエは思った。
「……姉様。もしかして、“海”も見た事ないの⁇」
「ないわ‼海はこれよりずっと大きいのでしょう?……想像が付かないわね……。」
その時、彼はハッとした。自分が言い出した事とはいえ、このままではショコラの関心が“海”に向かってしまうのではないか……と。
そこで急いで話題を“湖”に戻した。
「でも、こっちの方が穏やかだし?風も爽やかで気持ちが良いよ!海はベタベタしていて、ちょっとね……。」
ベニエは“海”に対して張り合おうとしている。そんな彼を見て、ショコラはくすりと笑った。
「――…それにしても、本当に綺麗だわ。こういうものは、お屋敷にいては絶対に見られないもの……。」
落ちないようにと気を付けながら、ショコラはしゃがんで湖の中を覗き込んだ。
透き通った水の中に小さな魚が見える。ゆらゆらと揺れる水草の間を、あっちへ行ったりこっちへ行ったりと自在に泳ぎ回っている。とても気持ちが良さそうで、このまま自分も入りたくなってしまう――
「ねえ!ショコラ姉様、こっから飛び込もうよ!!」
不意に声がして、ショコラはその方向を見た。そこにはベニエがいて、湖に突き出した木に登り、幹を伝ってその先の方へと行こうとしているところだった。
何て危ない事を……!当然の事だが、お付きの者たちはみな焦って止めようとしている。ショコラも慌てて声を掛けた。
「ベニエ‼それは、やめておきましょう。この後まだ色々と連れて行ってくれるのよね⁇それなのにびしょびしょになってしまうわ!」
彼は立ち止まり、「う――ん……」と考え込んでいる。
「そっか、そうだね。じゃあやめとく。」
そう言うと、手慣れた様子でするすると木を降りて来た。良かった。
「この辺は泳ぐのに最高なんだけどなあ……まあ、いっか。それじゃあ姉様、今度は向こうの丘の方へ行こうよ!馬を走らせるにはいい所があるんだ‼」
……どうやら彼は、しょっちゅうあんな事をしているらしい。それがショコラにもよく分かった。伯母が心配するはずである。
まだ湖へ着いたばかりで忙しなかったが、ショコラたちはまた馬に乗る。そしてベニエの案内で、今度は丘の方へと向かって移動し始めたのだった。
見晴らしの良い、なだらかな坂を上って行く。――すると、あんなに賑やかにしていたベニエが、急に黙りこくってしまった。
坂といっても、ここは初心者のショコラでも難なく馬を操れるような緩いものである。気を張らなくてはいけないような場所ではないのに……。
不思議に思ったショコラは、ベニエの横に馬を付けた。
「ベニエ、どうしたの?黙ってしまって……」
近くで見ると、彼はしゅんとしたような、神妙な顔をしていた。
「……ショコラ姉様。本当ならあの時、僕は“どうぞ”って、シャルロット殿下に譲るべきだったんだよね……」
“あの時”……。それは、謁見の際シャルロットがショコラと遊びたがった時の事だ。あれからベニエは、それがずっと心の奥に引っ掛かっていたのである。
だから空元気ではしゃいで見せていても、実は今一つ、どうにも楽しい気分には浸れていなかったのだ。
「ベニエは、そうしたかったの?」
ショコラは優しく尋ねる。
「…………。」
彼はただ黙って首を横に振った。それからぽつりと答え出す。
「……相手はあんなに小さい子なのに。それが嫌だった自分が…格好悪いっていうか……」
手綱をギュッと握り締めて、ベニエはそう言った。その横で、ショコラは空を見上げた。
「――…ねえベニエ。それでは、私の気持ちはどうなるの⁇」
「えっ??“姉様の”、気持ち……?」
ベニエは心底驚いた。確かにあの時、その事は考えていなかったが……。
「そうよ。私は今日、朝起きた時から、謁見の後遠乗りに行くという気持ちになっていたわ。だって、そういう約束を昨日からしていたのだもの。」
それにはさすがのベニエも、『こういう時は幼い子を優先させるものなのではないだろうか』と思った。
なのに、“ショコラの気持ち”とは……
「……ショコラ姉様、大人げない……。シャルロット殿下はあんなに遊びたがっていたのに!」
「ええっ、そ、そうかしら……。でも、殿下はちゃんと理解してくださったわ。今日はやめるとお決めになったのも、殿下自身よ。」
「う―――…ん……。」
ベニエはまた、困ったように考え込んでしまった。
どうやらショコラは、シャルロットと対等に会話をしていたらしい。子供だから、王女だからと線を引かずに……。
「――あの時、貴方は“駄目だ”とは一言も言っていないわ。もし私がそうしてもいいかと聞いても、駄目とは言わなかったのでしょう?でも、“嫌だ”と思う事は仕方のない事よ。それまで責めるのは、酷だと思うわ。」
彼女の話を、ベニエは黙って聞いていた。
「私は約束を守っただけよ。ベニエは、ただあの場にいただけ。悪い事なんて何もしていないのだもの。堂々としていていいのよ。――少なくとも貴方は、ね。」
「そう……かなあ……。」
大人なら、たぶん、気を利かせて王女の機嫌を取る事を選んだだろう。それが『忖度』とかいうやつなのだ、と彼は思った。
「それにね。明日は一日中、一緒に遊べるのよ?今日よりも長い時間!その方が殿下だって、満足なさると思わない?」
そう言われて、ベニエははたと気付く。
「……そっか。あ――そうだ。僕の方が時間、全然短いじゃないかー!……失敗した……むしろ僕が明日にすればよかった――‼」
彼は大いに悔しがる。そして、元気の良さが戻って来た。
「‼こんな事してる場合じゃない!ショコラ姉様、飛ばそう!まだまだ行こうと思ってる所が一杯あるんだから‼」
「ええっ、ベニエ、もう少しゆっくり!」
「だめだめ!」
その後はまた色々とショコラを連れ回し、屋敷に戻った頃にはすっかり辺りは暗くなっていた。それでベニエは、母親にこってりと絞られたのだった。
翌日。
朝食を済ませたショコラは、再び王室の別荘へと赴くための支度を始めた。
「小さな殿下と遊ばれるとの事でしたので、動きやすくて汚れてもよく、かつ洗練された物を選んで参りましたわ!」
昨日、午後から一人街へと出掛けて行ったミエルには、「王族の前に出しても恥ずかしくない衣装探し」という任が与えられていた。さすが、現公爵から次期公爵候補の専属侍女として指名されただけの事はある。時間が無い中で試着すら出来なかったにも拘わらず、彼女はショコラにぴったりと合うものを用意して来た。
そして今朝はそれを着させると、手早く仕上げてしまったのだった。
屋敷に残されるミエルと、クラフティやベニエたちにも見送られ、ショコラはファリヌと共に公爵家の馬車へと乗り込む。目指すは、シャルロットの待つ王室の別荘だ。
ファリヌは今日、何やら荷物を持ち込んでいるらしい。聞けば、向こうでの待機中にも出来る事をやるつもりでいるそうだ。「時間を無駄には出来ませんから」と。さすが、抜け目がない。主人に負けず劣らずの図太さ……というか、対応力である。
そうこうしている間に、見覚えのある大きな門の中へと馬車は入って行く。
そしてこの日は屋外にある庭ではなく、豪邸の中へと案内されたのだった。
「あ―――!ちょこら、きたあ――!!」
廊下の奥の方から、元気な声がする。見ると、シャルロットが人形やら絵本やら……他にも色々と、抱え切れない量の物を持って近付いて来ていた。しかも駆けいるので、それを道々ポトポトと落として行くのだ。お付きの侍女たちは、それらを一つ一つ拾っては追い掛けていた。……何というか、大変そうである。
そんな彼女が目の前まで来ると、ショコラはしゃがんでにこりと笑った。
「はい、参りました!お約束しましたからね。」
「うふふ――!」
シャルロットは満面の笑みである。そこへ、その両親であるガレットデロワとマカロンも現れた。二人は昨日も割と軽装だったが、今日はそれが更に増しているように感じる。
ショコラは立ち上がると、スカートを持ってお辞儀をした。
「国王陛下、王妃殿下、おはようございます。本日もお邪魔しております。」
すると国王夫妻は笑って言葉を返す。
「よいよい、そんな挨拶は。今日は一日、シャルロットの相手をしてくれるそうだな。大儀な事だ。礼を言う。」
「ふふ。夕べから、眠れないほど楽しみにしていたのですよ。ねえ、シャルロット?」
「まあ、そうだったのですね!では張り切ってお相手しなければ。」
大人たちが挨拶をしている中、シャルロットは早く早くと言わんばかりに鼻息を荒くしている。
「お二人は、本日はどうなさるのですか?」
「マカロンはそなたらと共に過ごすそうだ。私はこれから、釣りだ。行くぞヴァシュラン!今回こそは湖の主を釣り上げてやろうぞ!っハハハ!」
「まあまあ、うふふ。水の中に引きずり込まれてしまわれないように、お気を付けて。」
「心配するな、マカロン。その時はヴァシュランに竿を任せる!」
意気揚々と竿を持ち、ガレットデロワは庭の方へと出て行く。すると、溜息交じりのヴァシュランがその後を付いて行くのだった。
「こっち、こっちい――!」
話が終わると、すぐさまシャルロットはショコラの手を引っ張って走り出す。そして、自分の遊び部屋へと連れて行った。
「きょおはねー、お人形さんとー、ごほんとー、おえかきとー、ごはんたべるのー!あとね、あとねえ~」
大きな目をきらきらとさせて、シャルロットは興奮しながら今日の予定をまくし立てている。過呼吸にでもなりそうな勢いだ。
「シャルロット殿下、時間はいっぱいありますからね。ゆっくり遊びましょう!」
「うんっ!!」
――人形遊びに始まってままごとへと移り、絵を描きながら歌まで歌い始める。
本当に、今日一日でやりたい事を全てやってしまいたいようだ。ショコラはそれにどこまでも付いて行く。そんな二人を、マカロンはお茶をしながらにこにこと眺めていた。
一緒に昼食を取ると、その後はシャルロットにせがまれてソファで絵本を読む事になった。
読み始めてしばらく経つと、ショコラの横にいたシャルロットが指をくわえながらうとうととし始める。そしてついには、そのまま眠ってしまった。
『……夕べは、眠れないほど楽しみになさっていたそうですものね……。』
ショコラはくすりと笑う。……だが、そんな顔を見ていると、なんだか…………
「いや――、やはり主はなかなか釣れぬものだな。」
陽も傾きかけ、ガレットデロワが釣りから戻って来た。その足でシャルロットの遊び部屋へとやって来る。するとそこにいたマカロンが、無言で『しっ』と唇の前に人差し指を立てて見せた。
向こうにあるソファでは、毛布を掛けられたシャルロットとショコラが仲良く並んで寝息を立てている……。
ガレットデロワは、苦笑いをしながら小声で言った。
「……はは。こんなところでも眠れるとは、本当に豪胆な子だのう。見習わせてやりたい者が山ほどおるわ。」
「ご令嬢もお疲れでしたのね。うふふ、見てください。まるで姉妹みたいだわあ。」
――…ああ、そういえば、元々の目的だった“外歩き”をまだしていない……。でも、時間はまだまだ沢山あるのだ。焦る必要はない……
ここへ来てからまだ三日だというのに、何だかもっと長い時間を過ごしているように感じる。
姉は今頃、何をしているのだろう。手紙を書いてみようか……。来たばかりだが、伝えたい事は溢れるほどにある。そうだ、出発前に手紙を出して以降、連絡を取っていないミルフォイユたちはどうしているのだろうか――…
ショコラは、夢の中で色々な事を巡らせていたのだった。