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「おーい、いるかクインテッド?」
背後から聞こえてきたのは紛れもない
おじさんの声だった。
聞き間違いだと思った。
僕は声を返さず、息を殺して扉を見つめる。
「クインテッド?いないのか?いつもなら返事を返してくれるはずなんだが…」
扉に穴が開くほど見つめても、答えは見えてこなかった。
この場には相応しくないおじさんの声が聞こえる。
けれど僕は、
反応を返さなかった。
それは、いつの間にか動いていた身体が
真実を見てしまったから。
扉の覗き穴の先に、おじさんはいた。
けれど。
おじさんの背後には、見覚えのない大勢が囲んでいた。
それも、あの狭い通路の中を埋め尽くすように。
僕は扉から離れ、距離をとった。
彼らは、一体何者だろう?
反社会勢力の残党だろうか。
しかし、服装は統一されているようだった。
見た限り、警官でも軍隊でもないだろう。
けれどなぜか、勢力や権力を感じさせるような服装。
そんな連中がなぜおじさんの背後を占めているのだろう。
おじさんは王族や政治家の立場を誰よりも嫌う人のはずなのに…。
「おーい、クインテッド。ほんとに居ないのか?」
変わらないおじさんの声が聞こえてくる。
「余興はこれで充分か、情報屋よ」
声とともに扉から振動が響く。
「勝手だが上がらせてもらおうか」
僕は扉越しに心臓を掴まれた気がした。
彼らに捕まってはいけない。
そう思った時、僕は駆け出していた。
異常なほど感じていた眠気はなくなっていた。
音を立てないよう、注意を払いながら窓に近付く。
見られないうちに外へ出てしまえば、万事上手く収まるはずだ。
その後で、おじさんから真相を聞けば…。
「余計な真似はしない事だな」
彼らのうちの一人が言った。
それを合図に扉から足音が入ってくる。
乱雑に踏み入る大衆から逃げなければならない。
僕はカーテンの裏に身を隠しながら、鍵を開ける。
しかし、窓は開かなかった。
「っ…まさか…凍ってるのか…」
窓から伝わる冷気がそれを物語っていた。
玄関から大勢の足音が押し寄せていた。
「誰かいないか!いるものは速やかに出てこい!」
僕は音を殺しながら開けようとするが、
そのせいか上手く力が入らない。
「俺はこっちを探ってみる」
「おい見ろ、水滴があるな。水を使ったあとのようだ」
「まだ人が隠れているはずだ。逃亡の可能性もある。どこか裏口はないか!」
彼らは人を探しているようだった。
僕の名前を呼ぶ気配はなかった。
けれど、ここで捕まるわけにもいかなかった。
ほんの少しばかり力を込め、窓を押し出す。
その時、窓から氷の割れる音がした。
「ん…?誰かいるのか?」
音に気付いたのか、 足音が近付いてくる。
窓はまだ開いていなかった。
けれど、窓を覆っていた氷は割れているようだった。
思い切って外へ飛び出せば、捕まらないかもしれない。
「窓か。ん…?なんか膨らんでないか…」
「それに音もしたな。お前、調べろ」
空気を凍らせるような鋭い声。
足音はすぐ後ろまで迫っていた。
このままでは見つかってしまう。
扉を蹴ったり、殴ったりするような非道徳的な彼らに捕まる訳にはいかない。
「おじさん…」
おじさんはどうして、僕に何も言わなかったんだ。
そう考えが過ぎった時。
カーテンがめくりあげられる。
僕は、身を投げるように窓の向こうへ飛び出した。
「あっ、お前…!」
背後の人間が声を荒らげる前に、
視界から消えるように降りる。
真っ先にあったのは、レンガの地面だった。
咄嗟に着地の準備をしたが、
思っている以上に高かったためか
尻もちをつきそうになる。
幸い、後ろの壁に背中を支えられ
僕は左右に別れた道の片方を走っていった。
「はっ…」
止まることなく、走り続ける。
飛び降りた正面から光は見えていた。
それに向かうように僕は、
裏路地に身を潜めながら進む。
後ろから足音はしなかった。
物音一つ聞こえないほどの静寂に、
僕の息だけが漏れる。
表の大通りに出た。
けれど、街は異様に静かだった。
街の中心部にある噴水は彫刻のように凍てつき、
赤が華やかであったレンガの足元には
砕けたダイヤモンドの破片が散らばるような
霜が降りていた。
夜が覆う中、街灯の温度のない白が世界を染める。
そして、それが窓越しに見つめていた光だと気付く。
飛び降りた正面、その光は建物の窓をすり抜け僕を呼んでいた。
僕はそれをただ見つめるだけで、光に吸い込まれるようだった。
けれど、近付こうとは思わなかった。
なぜなら。
街灯の下に一人の女性が立っている事に気付いていたから。
見覚えのあるエメラルド色の瞳を地に落として。
誰かを待ち焦がれるような
寂しさを指折り数えるような
別世界へ待ち人を迎えに行くような。
虚無で静寂の空間にひとりで答えを求めているようだった。
僕はいつの間にかその女性にしか目がいかなかった。
その美しさが
悲しみが
儚さが
聖母のようにも見える。
まるで生き別れの繋がりでもあるかのように
同じ瞳の色を見つめていた。
けれど、それは手に届かない程遠い存在なのだと
分かっていた。
背後から忍び寄る足音が僕を追いやり、
その人間が彼女を迎えに行ったのだから。
それを再び裏路地に隠れた先で、見てしまったから。