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2月14日、バレンタインデー。

この日になると、街も人も一層ざわめきを増しているように見える。

それは、この花宝町も例外ではなかった。

伊武「…はぁ」

今、俺の手には一つ、上品に装飾された小さな箱がある。

一番大好きな人に、思いを伝える日。

そんな日くらいは…と思って、買ってみたのだが。

伊武「渡せもしねぇのに…何で買っちまったんだかねぇ」

手元にある小さな箱を見つめて、俺はまた溜め息を吐いた。その息は白くなって、虚空に消えていく。

去年もそうだった。

勇気を出して渡してみよう、と思ったは良いものの、『恥ずかしい』なんて一時の感情だけで行動に至ることができなかった。

伊武「…龍本の兄貴…」

俺とあの人は、愛し合っている。

分かっている筈なのに、どうしてこんなに恥ずかしいんだろうか。

俺は…どうしてこんなに思い悩んでいるんだろうか。

そんなことを考えている内に、俺は眉済派の事務所に戻ってきた。

伊武「…」

今までが無理だったのに、今日いきなり渡せるようになるほど、俺の成長は早くない。

俺はそのまま入り口を通り過ぎ、事務所の裏側へと回ると、壁にもたれかかった。

伊武「…そう言えば、これ…結構高ぇやつじゃなかったか」

箱を開けると、一つを取り出して口に運んだ。上品な甘さと共に、少し酸っぱいような味が口の中に広がる。

…そこに、予想だにしていなかった塩辛い味も加わった。

伊武「!…」

その味は、どうやらチョコレートの味ではないようだ。俺の目から落ちてきた雫が頬を伝って、口の中に入ってきたのだった。

次第に喉も詰まってきて、苦しさが増していく。

伊武「…うぅ…」

いくら拭っても、涙は止まらない。この涙、この想い、自分への情けなさだけは、どうしても拭いきることはできなかった。

龍本「…おい」

伊武「!」

不意に声がした。その方向に顔を向けると、俺が今まで愛しくてやまなかった人が不思議そうにこっちを見ている。

龍本「お前…そんなに泣いて、どうしたんだよ?」

伊武「あ…えっと…」

龍本「ん、それは…チョコ?」

兄貴の視線は俺の顔から、俺が手に持っているチョコレートの箱へと移った。

龍本「シマの嬢達から貰ったのか?モテる奴は良いよなぁ」

伊武「こ、これは…」

兄貴は分かっている気がした。このチョコレートが嬢達から渡されたものじゃないってことを。

伊武「これは…自分で買ったんですよ。

……兄貴に渡せなかったから…もう中身ないですけど」

思ってみれば、滑稽な話じゃねぇか。

伊武「おかしいですよね。恋人相手に、チョコの一つも渡せないなんて…」

色々な気持ちが溢れ出して止まらない。白い華が降り積もる寒空の下、俺の涙は地面の雪に溶けて消えていく。

龍本「…伊武」

兄貴は俺の名を呼んだ。俺の顎を掴んで、上に上げさせる。

伊武「っ…?!」

龍本「心配すんな。ちゃんと貰ってやるから」

そう言った途端、兄貴は俺の口に半ば強引に口付けた。

伊武「んぅ…っ!!?」

最初の内は、息ができなくて苦しかったけど。

一秒でも気を抜くと全て食い尽くされてしまいそうな、熱くて濃厚なキス。兄貴の舌が俺の舌に絡み、喉の奥まで伝っていく感覚に、快感すら感じる。

それは、チョコレートよりもずっと甘くて、とろけるような味がした。

龍本「…ふぅ」

伊武「!…!…」

数分ほど経った頃、夢のような時間は終わった。

龍本「少しだけチョコの味はしたな。…でも、8割がたお前の味しかしなかったわ」

兄貴は困ったように微笑した。

龍本「…悪ぃ、しんどくねぇか?」

伊武「はぁ……、はぁ……」

兄貴の助けを借りて、俺はどうにか落ち着いた。

龍本「ただ…、またお前がうじうじしてたら、同じことするかもな」

伊武「…本当ですか?」

龍本「ん?」

冗談のつもりだったのだろう。俺の言葉に兄貴は意外そうな顔をした。

伊武「また…してくれますか」

寒さか、それとも別のものか、俺は耳も頬も赤く染まっていた。

龍本「…おう」

俺があまりにも嬉しそうにするからだろう。兄貴は「やっぱり、こいつには敵わねぇな」とでも言うように、俺の方を見て笑った。

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