こんな時でも弁護士目線で状況判断
する自分が嫌だった―――
証拠物品その1――
キッチンのシンクにべっとり口紅のついた
マグカップ
これは二人が付き合って1年目の記念に買った
ジバンシーのペアカップだ
そして私はこんな品の無い
真っ赤な口紅なんかは絶対につけない
「赤坂弘美」は今自分の視界から入ってくる
不愉快な情報を認めまいと心の中で必死で
戦っていた
そりゃぁ最近2年付き合った杉本健樹の態度は
少し気にはなっていた 彼は弘美といる時は
愛想が悪くて弘美の顔を見るより
スマホを見る時間の方がその
3倍はあると思っていた
それは仕事が続かない健樹が
会計事務所に転職したばかりで
仕事に奮闘しているせいだと思っていた
証拠物品その2――
リビングの床に黒いレースのTバック型パンティが放られていた、それを弘美はキッチンにあった菜箸でつまみあげマジマジと見つめた
まさか・・・・・
彼が信じられない
でも確かめなければいけない
なんてこと
先ほどからうめき声が聞こえてくる
彼の寝室に足音を立てずに向かった
今日は思ったより裁判が早く終わったので
健樹と裁判の勝利を一緒にお祝いしようと
彼の家にやってきたのだ
数時間前に送ったLINEは既読がつかなかった・・・
でもこの時間は健樹は仕事で奮闘しているのだから
メッセージに気付かなくてもしかたがない
きっと読んだらすぐ連絡してくれるはず
だからスーパーで買い物をして
彼の家を掃除して夕食も作るつもりで来た
合鍵をにぎりしめ殺風景な彼の部屋を
少し飾ろうと花束まで買った
それなのに今自分はみじめな気持ちで
彼のベットで彼が見知らぬ女と
やっている光景を目の当たりにしている
ちなみに二人は弘美に背を向け
バックの体位でつるんでいた
二人は弘美が入ってきたにも気づかず
夢中で行為を続けていた
ベッドは激しく軋み
健樹のむき出しのおしりが勝ち誇ったように
激しく前へ後ろへ動く
二人はすっかり興奮し
女も健樹も雄叫びを上げていた
まるで盛りのついた猿のようだった
心のどこかでプツンと何かが切れ
目の前が真っ赤になった
気が付くと弘美は買ってきた花束で
健樹の後頭部を思い切り殴りつけていた
何度も何度も真っ赤な花びらはまるで
ファイナルステージ
のようにひらひらと宙を舞った
なんともすばらしかった
女が悲鳴をあげ、健樹は誤解だと
なにやら慌てている
ヒステリーを起こす女と健樹を最後に
同時に花束で思い切り殴りつけてから
さっそうと部屋を出た
その足で弘美は
親友でもあり雇い主である同じ女性弁護士の
羽野上奈々の家に駆けこんだ
冷凍食品コレクターの奈々がふるさと納税で
取り寄せた秋田産のホッケをあてに
奈々の家のワインのほとんどを弘美があけ
弁護士さながらのウィットの聞いたジョークで
健樹と女をさんざん罵倒した
そして一息ついた所で
涙がとめどもなく溢れてきた
あんまり涙が止まらないので水分補給に
これまた沢山ワインを飲んだ
奈々は優しく弘美を慰めた
健樹にはずっと献身的に尽くしてきた
彼が何度も転職して収入が安定しない時は
弘美が彼の家の家賃を立て替えた
お金も貸した
彼を応援し
融通を効かせ
女らしい思いやりを見せようと
精一杯努力してきた
これまで男達を委縮させた
威嚇的な態度も極力手加減し
強気の発言も控えていた
今度こそうまくいってほしかった
結婚したかった
幸せになりたかった
必死で頑張ったのにその代償がこれだ
だまされた、またしても
自分は本当に男運がない
なにかの星の生まれ合わせなのだろうか
その日弘美は酔い
ヒステリーチックになり
「もう二度と男は信じない」と泣いた
奈々は家の酒がなくなると
コンビニでビールと焼酎を買ってきた
そして知り合いの韓国人から教わったと
韓国風の酒の飲み方を勧めた
それは焼酎とビールを混ぜてストローで
飲むというものだった
こういう時の弘美の対処法は
奈々はよく心得ている
さっさと酔い潰してしまう気だ
名案だ
弘美は思った
彼女とは高校時代からの親友だ
あの時は偏差値55以上の優秀な
生徒しかいないAクラスの二人はクラスメイト
勉強を教えあい大学の法律科も同じ所を受けた
そして同じ弁護士の奈々の父の援助を受けて
奈々が経営する弁護士事務所で
働いているうちに人におせっかいを
やくのが好きな自分の性分は弁護士が
天職だと自覚し始めていた
仕事はやりがいがある
それでも弘美は健樹のために
寿退社も考えていた
家庭に入り子供を育てたかった
しかしその夢は浮気という形で終止符を打った
出来る限り彼には償ってもらうつもりだ
今から浮気で精神的苦痛による
慰謝料請求の書類制作の事を考えると
楽しいくらいだ
なんだ・・・・・・
あたし結構平気じゃん・・・・・
弘美はその夜頭が空っぽになるまで飲んだ
次の明日への活力が湧くように
空っぽになればまたそこに何かを
入れられるようになるのを知っているからだ
さんざん酔った次の日はせめて威厳の
かけらぐらいは持とうと弘美は誓った
健樹のことを乗り越えて自分の
人生を進んでいこうと
それにこと男性に関しては
二度と自分の本能に従うまいと心に決めた
もともと弘美はイケメンに弱かった
今まで付き合った男性もすべて顔に惹かれた
付け加えれば顔が良くて根性が腐っている
男が好きなのだ
そんな男を自分が更正させるという
恋愛ドラマのヒロインみたいな
願望が昔から抱いていた
しかしクズはどこまでいってもクズだ
女なんかで性根が変わるわけがない
信じていた婚約者が自分を
裏切って他の女に走った――
傷つき疲れ切った心がたどれる道は
ふたつしかない
悲しみに屈して命を絶つか
乗り越えて生きて行くかだ
弘美は後者を選んだ
そして弘美は一人で生きて行く決意と共に
小さな2LDKのマンションを自分名義で購入した
35年ローンがキャリアに生きるという
決意だった・・・・・・
―半年後―
大阪は梅田駅の巨大なターミナルステーションに隣接している40階建てのビルの地下駐車場に、車を入れた途端、告訴側の相手の弁護士から電話がかかってきた
電話に出た弘美はしばらく相手に
しゃべらせていたが
いつ攻撃するかタイミングを見計らっていた
相手は自分のクライアントの正当な権利を主張した
あつかましい女・・・・・
弘美は心の中で悪態をついた
わずか30万円を払うだけで
提訴を免れるなんて
幸運だと相手の側の弁護士は言った
このままではせっかくテイクアウトした
スタバのソイラテのミルクフォーム増しが
まずくなる
弘美は荷物を抱えながら反撃に出ようとした
その時ちょうど目の前のエレベーターが開き
電波が途切れませんようにと願いながら
エレベーターに乗り込んだ
「ええ お宅の主張はよくわかりました
ですがこちらのクライアントは示談など
毛頭考えてはいませんよ」
弘美はいかにもプロらしい口調で答えた
「こっちはそんな端金で手を打つつもりはないの、そっちが賠償金を要求するのはうちのクライアントがお宅のクライアントに、職場で発した不適切な言葉をちょっと耳にしただけでしょう?」
その時エレベーターの扉が開き
年配の夫婦がゆっくりと入ってきた
弘美は礼儀正しく会釈をし
隅により電話の会話を続けた
「セクシャルハラスメントで、お宅のクライアントの女性が100万の賠償金を、成立させるつもりなら、せめておっぱいをわし掴みにされたとか、おしりを撫でまわされたとかじゃなきゃ弱いわよ」
弘美は目の端で老夫婦がフリーズしたのを確認した
男性の老人はいかにも紳士らしく
何も聞かなかった風にし
年配の女性 ―70歳以上― は自分の夫と
弘美を目を見開いて交互に何度も見返した
しかし電話の相手は再び弘美にまくしたてた
「正直言ってあなたの論拠には納得できないわ」
弘美も相手を遮った
「そちらが根拠にしていることはたまたま
起こったいくつかの些細な出来事だけでしょう
ここで問題になっていることは些細な出来事に
100万の損害賠償を起こしておきながら
今になって30万の示談金で手を切ると
言われているのよ」
ここで冷静に大声を出すのではなく
笑いを含んだ声で言った
こうした言い方のほうが相手をいっそう怒らせると弘美は経験から知っていた
これ以上時間を無駄にするつもりもなかった
いくつかの考えを簡単に述べて
弘美は自分の立場を説明した
「いいですか?この件はうちのクライアントの売名行為や脅しと同じよ、うちのクライアントは、法に触れるような事は何一つしてないわ、れを私が陪審員に100パーセント証明できるはずだという事ももうお互いにわかっているでしょう?どうして示談にしなきゃいけないの」
「そうなの?」
年配の女性が目を輝かせて言った
男性の老人はあいかわらず
聞こえていないふりをしている
いかにも昭和の男らしく寡黙だ
「これ以上あなたの馬鹿げた和解案を
話し合う必要はないわ
次にあなたのクライアントがうちの依頼主が
ぺ〇スを露出したとかなんとか言ってきたら
また電話してきてちょうだい
まぁそれもコテンパンに叩き潰しますけどね
それでは裁判所で会いましょう 」
弘美はため息をついて電話を切った
スマホをブリーフケースに滑り込ませ
申し訳なさそうな微笑みを老夫婦にむける
弘美はホホホと小さく笑ってみせた
「申し訳ありません
ペ〇スなんて言葉を使ってしまって」
「気にしないで!良い話をきかせてもらったわ」
乗り合わせた老夫婦は男性の方は
いかにもけしからんとばかりに咳を一つした
年配の女性の方は頬を赤らませて
楽しそうにこう言った
「今の時代 あなたのような女性が必要よ」
ちょうどその時ピンポンと甲高い音がし
エレベーターが老夫婦の降りる階に
到着したことを告げた
弘美は軽く会釈してエレベーターが
閉まるのを見つめた
そして彼女の待っている法律事務所が
ある階へと昇って行った
弘美の出向先の羽野上常勝弁護士事務所は
事務所というには似つかわしくないほどの
洗練されたオフィスビルの最高階から
下3フロアを異次元のように占めていた
朝の規則正しい雑音や
効率よく動く機会が発している音を聞くたび
強大な権力と成功が発しているエネルギー
がここにはあると弘美は思っていた
弘美にとって豪華な装飾が施された
自分の本雇い主の奈々の父のオフィスは
クライアントや他の弁護士に
感銘を与えようとデザインされた権威の
象徴というだけではなかった
月曜早朝の今弘美がここに立っているのは
理由がある
自分の雇い主である幼馴染の奈々が父の
弁護事務所のセクシャルハラスメントの
案件を弘美に委託してきたのだ
元々父の羽野上常勝弁護事務所は企業告訴
などを取り扱う案件ばかりの事務所だが
今回は大物起業家のごくまれな個人的な
父を頼ってのセクシャルハラスメントの案件
だったため
奈々の父の羽野上弁護士が
娘の事務所の力量を図るためか
奈々に仕事を委託してきたのだ
そこで白羽の矢を向けられたのは
奈々の事務所でセクシャルハラスメント案件で
数々の勝利を収めている弘美だった
なので奈々の父から委託されたこの案件を
取り扱う弘美がしばらくの間
羽野上常勝弁護事務所に外部弁護士
(オブ・カウンセル)として
出向してほしいということだった
そして弘美は大好きな雇い主である奈々の
頼みなので快く新しい依頼を引き受けたし
もちろん奈々を失望させるつもりもなかった
「おはよう!美香ちゃん!
なにか伝言はある? 」
その朝この事務所にきてから
毎日の日課になったあてがわれた自分の
オフィスの前の小さなスペースでPCの
キーボードを叩く秘書の美香に弘美は声をかけた
美香はハッとして姿勢を正した
「おっおはようございますっっ!
赤坂弁護士っっ!今日も素敵ですね! 」
クス・・
「ここに来た時から言ってるけど
弘美でいいわよ 」
秘書の美香は憧れのまなざしを
弘美にむけて慌てて言った
「いいえ!いいえ!赤坂弁護士!あなたを下のお名前で呼ぶなんてもっての他です!、あのボス弁の娘さんの事務所からいらして下さっている優秀なあなたを・・・・
それと毎月掲載されているコラムも読んでいます!
私・・本当にあなたと一緒に仕事ができてとても嬉しいんです!、それにあなたのファッションセンス・・・」
今や美香は興奮してアイドルを見るような
目つきで弘美を見ながら
早口でまくし立てる
「ハイハイ!わかったから
それで何か伝言は? 」
最初に顔合わせした時からこの調子の
美香を可愛く思いながらも
すこし「大丈夫かしら?」と心配もしている
弘美は半面笑いながら聞いた
「すいません!私ったらつい・・・
ええっと・・・・
伝言なら一つあります
本日あなたのご都合がつき次第
自分のオフィスで会いたいと
加々美弁護士の秘書から連絡がありました」
まぁ?加々美弁護士が?
めずらしいわね・・・
加々美弁護士は芸能人や有名人の個人的な
告訴問題を扱う弁護士で
弘美がここに来た時に
いろいろ面倒を見てくれた
いわゆる上司的な存在だが
特に最近は彼とは会う機会がなかったのだが・・・
「何かの案件についてとか言ってた?」
「いいえ!赤坂弁護士!」
弘美は美香に渡された書類を見ながら
自分のオフィスのドアをあけて
美香に言った
「加々美弁護士の秘書に伝えて
5分後にはそちらに行きますと 」
:*゚..:。:.
弘美は自分のオフィスより1階上の超重役が
在籍するフロアの加々美弁護士の半分開かれた
オフィスのドアの前に立ち
その素晴らしい部屋に見惚れていた
贅沢な角部屋のオフィスに
どっしりとした桜材のデスク・・・
クリーム色のふかふかの絨毯・・・・
いかにも加々美弁護士のオフィスは有名人や
芸能人を迎え入れるにふさわしい調度品が
美しく飾られていた
弘美はスーツのしわを伸ばし
加々美弁護士のオフィスに入っていった
彼は一番奥のデスクのパソコンから
顔を上げ弘美にむかって微笑んだ
「赤坂君か!さぁ入ってくれ 」
弘美は加々美のデスク前に置かれた椅子に
腰を落とした
抜け目ない弁護士に必ず施されているように、来客用の椅子は加々美の椅子よりも10センチほど低く彼が相手を見下ろすような形になっている
「最近は忙しいかい?
裁判準備は順調かな? 」
弘美はにっこりわらった
「ええ だいたいは終わりました」
加々美は物わかりの良い父親のような
表情をして言った
「それはよいことだ!
私の見たところ君は夜遅くまで働いて
担当の案件に全力を注いでくれていると評判だよ
私も君を担当にできて本当に誇らしいよ」
「おそれいります
今朝セクハラで訴えている
彼女らの弁護士の一人が和解について
話し合おうと電話してきました」
弘美は少し謙遜した態度で小さくうなずいた
加々美は抜け目のない狐のような顔つきで
弘美を品定めしていた
「ほう・・・君は何て答えたんだね?」
弘美はすこし恥ずかしそうに首を傾げた
「こちらには
示談に関心がないことをお伝えしました」
加々美はクスクス笑いながら言った
「大変結構だ
最新情報の報告を絶えずしてほしい
君の訴訟案件はわくわくするな 」
加々美は身を乗り出して弘美を見つめた
そして少し間を置きこれから話す
内容の重要性を高めた
弘美が出会ってきたやり手の弁護士同様
加々美もまるで陪審員の前にいるかの
ような大げさな振る舞いをした
「実を言えば・・・・
君に助言を仰ぎたい一件があるんだ 」
慎重に加々美は弘美を見つめて言った
「君の専売特許のセクシャルハラスメントの
1件のために君をシンクレア法律事務所から
借りただけなのはわかっている
だがこちらの方も誰でもという
案件ではなくてね・・・ 」
弘美は加々美の話に興味がわいた
誰でもいいわけではないとは
どういうことだろう
「率直におっしゃってくだされば
こちらも心を砕いて対応いたします 」
弘美も興味があるけれど
今の自分の忙しさを割いてまでの
案件とまではいかない姿勢を示した
弁護士同士の暗黙の駆け引きが始まった
そして弘美はそれをもっとも得意としていた
加々美は自分のあごをさすりながら言った
「これはとても興味深い状況なんだが・・・・
いや・・・奉仕というか・・
好意というか・・・ 」
「どんな好意ですか? 」
やっぱりね・・・・
弘美は加々美が次に発する言葉はだいたい想像がついた。「好意」とはたとえば誰か知り合いか、あるいは身内がやらかした犯罪行為を弁護するあたりが、俗に言うこの界隈での「好意」とよく表現するものだ
「私のパートナーの一人の依頼なんだが
彼とは長い付き合いでね
芸能界のフェラーリともいわれている人物で
彼が私に好意を期待して懇願してきたんだが・・・」
ふぅん・・・・
弘美は自然と目が細くなるのを必死に
我慢して興味あるふりをした
大手の芸能マネージャーが未成年に
手を出した後始末とか?
弘美はこの一瞬で頭の回転を速くした
でも次の加々美の言葉には耳を疑った
「君も知ってるだろうが
あの日本を代表する俳優が沢山所属している
スターライト事務所のマネージャーと僕は
芸能面でもパートナーとして深い仲でね
それで今度そこの俳優が法廷ミステリー映画の
役をするらしんだが、
そのリアルを追求する俳優の彼が我々弁護士に
役の指南を願ってきたんだよ」
えっへんと加々美は劇的な
効果を上げようと一旦間を置いた
「つまりリアルを追求する俳優が
法廷で本物の弁護士がどう行動するか、
どんな立ち振る舞いをするか、
どの位置に立つか・・・・
まぁそんなことを指導してもらいんだそうだ」
弘美は目を細めるのを我慢するのをやめて
本当に目を細めた
裁判まであと2週間しかないのに
俳優のお守りをしろと?
この界隈では誰もが芸能人でそれも
とびきりの有名人に夢中だと思っている
弘美の思いっきりの細目をみた
加々美がさらににじり寄ったそして
「俺たちは仲間だぜ」と言わんばかりの
態度で言った
「正直この仕事を他の弁護士に
やらせるつもりはないんだ
これがうまくいけば新しいクライアントを
掘り起こせる絶好の機会ともいえるしな 」
この依頼には莫大な報酬がついているのだろう、いわばこちらがその俳優にいかに良くしてあげるかで、(今後は芸能界のもめごとは加々美に言え)的なネットよりもすごい口コミが手に入るというわけだ
加々美は弁護士だが今や何でも屋に
なろうとしている
それも芸能界の飛び切り裕福層相手にだ
「でも・・・・
加々美弁護士・・・・
その俳優が男性ならばどうして女の私に?
同じ同性同士の方がよろしいのではないでしょうか?」
弘美はいかにも不思議だというそぶりを見せながら、はなからこの話はナンセンスでどうにか加々美にあきらめさせる方法を考えていた
「なにを言うんだね!赤坂君!
私は男女問わず仕事面では
その人の能力で判断している
男女差別は人類の敵だ
いいかい?
この弁護事務所では君ほど優秀な訴訟担当の
アソシエイトは私はいないと思っている
クライアントには私は惜しみなく最高のものを
差し出したい
君は仕事を選り好みして手を抜くタイプかい?」
弘美はため息をついて言った
「いいえ」
この出向先に自分はチームのためによく働く
人材だと思わせたかった
そしてそのために今まで努力してきた
これはどうやら逃げられないみたいね・・・・
弘美は今携わっているセクハラ案件を十分考慮して、週一回その俳優と自分のスケジュールが合う時にに弁護士の法廷の指南をするという取り決めをした
もちろん報酬も1時間1万八千円という値段で手を打った
もっとも加々美の懐にはその倍以上の報酬が手に入るだろうけど、そこは触れずにおいた
「あの・・・加々美弁護士・・・
最後に聞かせてください
その俳優とは誰ですか?
私の知ってる人ですか? 」
加々美はもうすでに報酬の事を考えているのだろう
デスクのパソコンの画面から
目を離さずに言った
顔つきが狐さながらの風貌になっている
「知ってるも何も
彼を知らない人間は日本人じゃないな 」
加々美はパソコンから目を離し
弘美を見てにやりとした
「櫻崎拓哉だよ 」
:*゚..:。:.
「櫻崎拓哉」
10年前・・・・
アイドルボーイズグループ 「シャイン」の
メインボーカル兼パフォーマーとして
6年活躍した後グループの解散と共に
俳優業に転向して唯一成功した一人・・・・
彼が出演した数々の恋愛月9ドラマは
次々と高視聴率新記録を塗り替え
彼が主演の映画の代表作は日本で
初めてアカデミー賞主演男優賞を
3年連続で受賞するなどして
アジア最高の美形
抱かれたい男10週連続ランキング1位
苦も無く発散しているセクシーさ
そんな彼の外見にもよらず
とても気取らず気さくな性格は
多くのアジア女性を虜にした
弘美は廊下を渡りながら
思わず何かを抱きしめずには
いられない衝動にかられ
持っている鞄を胸に強く抱きしめた
そういえば・・・・・
高校時代に彼のクリアファイルを
学校に持って行ってたわ・・・・
思い出すと少し頬が赤くなった
まだ幼い高校生時代落ちこぼれCクラスと
いわれて何の楽しみもなかった弘美にとって
櫻崎拓哉の存在こそが毎日の活力だった
彼の出演するテレビ番組はすべて録画し
彼の歌声に毎日うっとりと聞き惚れ
彼のダンスの振り付けを一生懸命真似したものだ
彼のグループが解散するときに行われた
コンサートはわざわざおこずかいを
はたいて東京ドームまで参戦し
彼の解散エンディングコメントに号泣したものだ
アイドルグループ解散後も
彼の出演する映画は全部見ていた
そして社会人になって誰もが経験する
リアルに生活が忙しくなって
リアルの男性ともそれなりに恋をし
弁護士という職業にもついて現実を見て
これが大人になるということなのか
弘美もご多分に漏れずアイドルや
映画スターなどにのぼせ上がっていた
思春期を無事卒業したのだった
最近では彼の印象もめっきり自分の中では
忘れ去られていたこの時期
突然やってきた信じられない現実
まさにドラマのようだ
なんと彼は今週末に弘美のオフィスに
現れるというのだ
そして弘美のもっとも得意とする
法廷で戦うシーンのレクチャーを
わざわざ受けに来るという・・・・
少しカフェインを入れて落ち着いた方が
いいのかもしれない
弘美は13階にあるアソシエイトが
休憩したりミーティングするラウンジに寄った
「赤坂弁護士!!
こっち!こっちです! 」
秘書の美香が興奮して弘美に見えるように
手をぶんぶん降っている
そこにはラウンジにある大きなテレビ画面の周りに
美香をはじめ数人の秘書が集まっていた
いくら休憩時間といえまったく
今この弁護事務所は機能しているのだろうか
美香が激しくこっちへ来いと身振りをするものだから弘美も何をみているだろうと自然と秘書が群がっている巨大なテレビ画面にひきよせられた
画面では軽快な音楽と共にある番組が
始まろうとしていた
「皆様ごきげんよう貞子の部屋です
今夜のゲストはあの日本一セクシーな俳優
櫻崎拓哉さんです!
拍手でお迎えください 」
スタジオの拍手音に合わせ美香が拍手した
しかし弘美にじろりと睨まれ、すぐに恥ずかしそうに拍手をやめた
カメラがとらえた拓哉は途方もなく魅力的だった
しゃれたスタイルのセンター分け
軽くパーマがかかった黒髪
輝くぱっちりとした茶色の瞳
自信に満ちたきらめき
そしてトレードマークとなった
少年のような笑顔
邪魔になるほどの長い脚
彼はこの数年間でアイドルとして少年の
瑞々しさから成熟した立派な
男性になっていた
しかしなぜか今日弘美は画面越しの彼を
見ても妙な感じがしていた
今までは本物の人間と感じられていなかった
幻想の人物がいきなり身近に感じられた
彼はつくりの良い長椅子のソファーに
リラックスして長い脚を投げ出して
楽しそうに会話をしていた
司会のこれまた有名なタレントの
大柳貞子がインタビューをうっとりとした目で
続ける
「それで櫻崎さんは3年連続日本アカデミー賞
主演男優賞を獲得されてあなたの代表作品
「Danger(ボディーガード)」で
凄腕のspを演じられましたが
ご苦労された事などはありましたか?」
司会者に対して拓哉はご自慢の少年のような
屈託のない笑顔を披露して言った
「苦労というか・・・・・
あの時の撮影は冬だったので
スタッフ一同みんなとても凍える思いをしてました
僕なんかよりスタッフの皆さんが大変そうで・・・
何も出来ない自分に少し腹を立てていました 」
「あら でも聞いた所によりますと
あなたは外で作業している100人のスタッフに
作り立てのラーメンをご馳走しようと
ラーメン屋台をあなたのポケットマネーで
派遣したんですって?」
司会者の意表をつかれた質問に
くつろいだ様子の拓哉はすこし恥ずかしそうに言った
「当然のことをしたまでです
誰のおごりとか・・・・
そんなんじゃなく・・ただ・・・
スタッフや監督のみんなと美味しいものを
食べたかっただけなんですよ・・・
撮影に入ると僕らは全員一つのファミリーですから」
ほう~・・・
「優しいのねぇ~・・・・ 」
テレビを見ている秘書の一人がポツリとつぶやいた
司会者は身じろぎし
いよいよ今回のメインとなる質問を
挑むように足を組み替えて言った
「ファミリーといえば
今度の法廷ミステリー映画のキャストも
最後まであなたと他事務所の
有望株の俳優さんの下沢亮さんとで
競っていたとか・・・
もし今後彼と共演することになったらやはり
ライバルではなくファミリーとして迎えますか?」
拓哉は相変わらず微笑みを浮かべたまま
手首に回した腕時計に目線をやった
「もちろんです!
彼はとてもよい役者だと聞きました
機会があればぜひ共演したいものだと
常々考えています
その時はきっとファミリーと呼ぶでしょう」
司会者はまったく表情を変えず優雅な拓哉から
何も引き出せないのではとあきらめたように見えたが
いよいよ最後の切り札を出した
「これは大変申し上げにくい話題ですけど・・・
今テレビの前にかぶりつきになって見てる
あなたのファンを代表してお聞きしますね
悪く思わないで下さいこれが私の仕事なんです
あなたは今お付き合いしている女性はいますか?」
拓哉は声をあげて笑った
「あなた達はみんな同じですね
いつもその話題を僕に振る 」
司会者はにやりと笑った
「高視聴率をとるために私どもは
日夜努力しています
あなたの今までの女性関係のお噂はとても
華やかで興味があるんですよ
あなたは今までスーパーモデルや
日本でも指折りの美しい女優さんと
お付き合いをされてきましたね
現代の光源氏といわれるほど・・・ 」
拓哉はなんとも言えない魅力をふりましいて
司会者に微笑んだ
否定とも肯定とも思えない表情だ
この評価について拓哉側は何も付け加える気が
ないのは明らかだった
司会者はもの言いたげに
上目遣いで拓哉を見上げた
「お尋ねしたいことはこういうことです
あなたは星の数ほどの女性と
逢瀬を重ねてきましたね
そして一つの役どころが終わるように
女性とも早い時期に終止符をうってしまう・・・
教えてください
あなたにとって女性とは何ですか? 」
「難しい所よね・・・・」
「答えによっては世の女性を敵に回すわよ」
「ああ~・・・たくやぁ~~ 」
口ぐちにテレビの前で秘書達がざわついた
思わず弘美も静かにしてっと言いそうになった
「男女関係は素晴らしい脚本と出会うような
ものだと僕は感じています
ひとたび読んで惹かれてしまえば
それは僕の中で活気づき・・・
情熱が生まれ・・・
そして見事に演じ切れば
また新しい脚本に目が行く・・・
どの脚本も今そのひと時
自分を輝かせるのにとても必要なもので
そしてそのどの作品にも僕は感謝しています」
弘美の前に座っていた美香は
身を乗り出して小声でつぶやいた
「あたしも彼の作品のひとつになりたいわぁ~」
「どの作品にも感謝してるですって・・・」
「一夫多妻制を彼に通用するように法律を変える
運動があったら署名するわ・・・」
「彼なら全員の女性を幸せに間違いなくするでしょうね」
このテレビの前にかじりついてる秘書たちは
今の拓哉の言葉に完全にメロメロになっている
弘美はなんとなく考えていた
彼に感謝される女性って・・・・・
弘美は週末彼がここに来た時にクールに彼に
法廷の指導をしている自分を想像してみた
そして自分のパーツの中で最も自信のある
脚が綺麗に見えるスリットが入った
タイトスカートを翻らせて
彼に指導している自分・・・・
なんならあっちの指導も・・・
ああ・・・
ダメダメ・・・
あっちの指導なんてどうして私ができる?
私は浮気された女なのよもしかしたら
あっちの部分でもなにか欠点が
あったのかもしれない・・・・
自分が見逃しているだけで・・・
数か月前・・・
婚約者と破局して以来
忙しすぎて男性の事なんか考えたことがない弘美も
さすがに最後に脱毛サロンに行ったのは
いつだったか思い出そうとしていた
近いうちに予約を取らないといけない
そんなことをぼーっと考えている自分に
数人の秘書たちの目が向けられているのを
殺気のように感じた
「な・・・何かしら・・・
みんな・・私をそんな目で見て 」
弘美とその数人の秘書が口を揃えて言った
「それで?櫻崎拓哉はいつ来るんですか?」
弘美はぐるりと目を回した
以前から感じてたのだが秘書の情報共有の速さは光の速度を超えるものかもしれない
:*゚..:。:.
12月の中頃の日差しは
日が落ちるのがめっきり早くなり
6時になる頃にはあたりは真っ暗だった
弘美はデスクの時計をみて大きくため息をついた
「彼は・・・・・
遅いですね・・・・ 」
美香が心配そうに言いながら入ってきた
今日弘美のオフィスに来るはずの櫻崎拓哉が
まだ現れないのだった
今週忙しい合間をぬって弘美は
全身脱毛と美容院に通い拓哉と
初顔合わせをする時用に
新しいスーツを新調した
今日の弘美のいで立ちはブルーグレーのタイトスーツにインナーはピンクのシャツ少し襟ぐりの空いた大胆だが、清楚さも兼ね備えた、やり手の弁護士に見えるように最善を尽くした
そしてストッキングは編みタイツだが、編み目がごく小さいので上品で脚が細く美しく映えるものにした
美香は出勤して弘美の姿を見るなり
vogueに出てくるようなキャリアウーマンだと
ほめちぎった
「彼は何時に来るとか言ってた?」
美香が悲しそうに言った
「それがなんとも・・・
彼のマネージャーさんから本日オフィスに伺うって・・・
そしてなんだか威圧的で
彼はとても忙しいから決して煩わせるような
真似はしないでほしいって・・・・ 」
「今は私が煩わされてるけどね
今日は帰りましょう今から来られても
まともな指導はできないでしょうから
あなたも今日は帰っていいわよ
お疲れ様・・・ 」
「ハイ・・・・もしかしたら
私が明日と聞き間違えて
しまったのかもしれません」
シュンとした美香をなんとか
慰めて弘美はその日は家に帰った
翌日はほとんどの弁護士が休日なのにも関わらず弘美は出勤し、もし櫻崎拓哉が現れた時のために一日中オフィスにいた
その日はパステルグリーンのスーツに身を包み
インスタグラムでフォローしている
イギリスの女性弁護士の
ファッションを見習い
オーバーネックの白のブラウスについている
リボンをさりげなく首元で結んでいた
髪は軽くカールはしているが
若干イギリスの女学生っぽいスタイルかも
しれないがそういう幼めのいで立ちに
ウィットの聞いた切り口で彼を
はやしたてるのも楽しいかもと思った
そして彼がレクチャー中に実際に法廷を見学したいと言った時のために、あらかじめ弘美は顔見知りの法廷管理人に連絡を取り、実際に法廷現場を見学させてあげられる手配もしていた
法廷管理人は喜んで休日でも櫻崎拓哉のためなら見学させてあげてもいいと言った
その際移動はもちろん自分の車だろうと、昨日遅くまでかかって洗車までした
しかしその日も弘美は櫻崎拓哉のせいで
まったく無意味な時間をオフィスで費やした
夕方も6時になると後1分たりとも
櫻崎拓哉のために
人生を無駄にするまいと
オフィスの鍵を勢いよく閉めた
日曜日は土曜出勤のツケで雑用三昧だった
買い物に走ったり人が生きていくためにしなければいけないことを片づけた、コンビニで支払いを済まし、トイレットペーパ―を抱えてショッピングモールを歩いている時、横の家電量販店の大きなテレビ画面に目が行った
そこには櫻崎拓哉が写っていた
「みなさま!こんにちは!
サンデーアフタヌーンのリポーター
清水薫がお送りしています
私はなんと今!
沖縄のゴールデン・ビレッジホテルから
生中継をしています!」
興奮したリポーターが早口でマイクを持って
カメラに向かってまくし立てていた
「ここで!
なんとこの沖縄で一足早いバカンスを
満喫している櫻崎拓哉さんをつかまえました!
櫻崎さんは先週の金曜日からこちらに
宿泊している模様です
誰と来ているのか気になりますね!
さっそくインタビューしてみましょう 」
弘美はそこに立ち尽くしたまま
信じられない思いで画面をただじっと見ていた
今まさに画面にゴールデン・ビレッジホテルの
回転ドアから出てきた拓哉に
リポーターとカメラが突進した
拓哉は黒のデザイナーズシャツにシャネルの
サングラスをかけていた
「こんにちは!櫻崎さん!
サンデーアフタヌーンです!
沖縄はどうですか?
何をされましたか?
休暇ですか?
どなたと来てるんですか? 」
熊のような勢いでリポーターは拓哉にマイクを
突き出した
ほんの一瞬拓哉は迷惑そうな表情をした
だがすぐさまカメラとリポーターに
完璧な歯並びの微笑みを向けた
「ええ・・・
先週の金曜日から来ています
沖縄は僕の大好きなリゾート地ですし
いつ来ても素敵な所です 」
にっこり微笑んだ彼の真っ白い歯が輝き、後ろの海ととても素敵なコントラストを生んでいた、今すぐ旅行会社のCMのオファーが来てもおかしくないぐらいだ
「お尋ねしないわけにはいかないのですが
今回の旅行はどなたといらしているのですか?」
リポーターの顔が興奮で頬に赤みがさしている
拓哉はやや居心地が悪そうにそこに立っていた
早くも後ろには見物客が大勢押し寄せて
みんなスマホを片手に拓哉を撮っていた
拓哉は振り返り遠くにいる
男性に身振りをしめした
・・・あの人がどうやらマネージャーかしら・・・
弘美は思った
画面の拓哉は肩をすくめて言った
「残念ながら今回はスクープになるような
ネタはないですね
マネージャーと二人土壇場で決まった
ヤロー同志の思い付つき旅です
一日中海に浸かってのんびりして
ソーキそばを食べただけですよ 」
弘美は口をアルファベットのОの形に開け
思わず手に持っていたトイレットペーパーを
どすんと落とした
そしてそのまま画面を凝視した
――土壇場で決まった
ヤロー同志の旅ですって?――
そのせいで弘美は週末ずっと
働かなければならなくなったのに
そういえば浮気をされた元婚約者の健樹も
別れる最後の月などは週末
やれ飲み会だ慰安旅行だと家をよく開けていた
その時は決まって
――ヤロー同志の飲み会――
という単語を出していた
男同士の時間なんだから彼女は入れない
なので彼が飲みに行ってる時は
物わかりの良い彼女は
連絡するものではないという
暗黙のルールみたいなものを
弘美は頑なに守っていた
どんなに寂しくても声が聞きたくても
良い彼女を一生懸命演じていた弘美は
翌日彼から連絡が来るのをじっと待っていた
しかし彼はその時弘美を欺いて
他の女とよろしくやっていたのだ
今ならよくわかる
ヤロー同志の旅行や飲み会などは
存在しないものだということを
さぞかし櫻崎拓哉の陰には沢山の女がいる事だろう
ああ・・・ダメ・・・
こんな場所でおきちゃダメ・・・・
健樹と別れてから何度か弘美は原因不明の
立ち眩みや激しい動機に襲われるようになっていた
それは突然所かまわず現れる
今この瞬間がそうだった
スッと頭から血の気が引いた・・・
そして次には動機が激しくなり冷汗が出てくる
医者は弘美を自律神経が一時乱れた時に
そうなるだろうと診察した
弘美はヨロヨロと近くにあった小休止するための小さなベンチに腰かけて呼吸を整えた
―男なんてみんな同じだ・・・
ましてや芸能人なんて誠意の欠片もないらしい―
弘美は画面の今回の映画に向けて
見どころを一生懸命話している拓哉に
唾を吐きかけてやりたい気持ちを抑えて
一言ボソッとつぶやいた
「あなたの映画なんか失敗すればいいのよ・・・」