帝都の近くにある小さな森。主要な交易路や街道から外れたその場所には資源や魔物もなく冒険者すら近寄らない静かな場所。そこに大きな建物が存在していた。
石造りの四角い建物に、大きな発電機が備え付けられたそこは帝国政府によって保護されている転生者にして狂気のマッドサイエンティスト、ハンス=ハースペクターの研究所である。
彼はそこで隠されつつ日夜様々な研究に没頭していた。どれも非人道的なものばかりであり、素材は政府から定期的に提供されていた。
その一室で、年端も行かぬ幼い少女を文字通り解体しながら笑みを浮かべる白髪頭の青年が居た。彼こそがハンス=ハースペクター。地球では数多の非人道的な実験を繰り返し、処刑された人類史上最悪の狂人である。
「ううむ、いくら解剖しても中身は一緒。全く異なる世界で異なる進化を遂げたにも拘わらず人間としての構造は瓜二つ。非常に興味深いです」
「外道ね。今度の犠牲者はどんな娘かしら」
後ろから掛けられた冷ややかな言葉に笑みを深めながら彼は振り向く。
「役人曰く、借金苦で親に売り飛ばされた貴族令嬢だとか。いやはや、世も末ですな」
「貴方みたいな存在が居ることの方が害悪よ。今すぐ死ね」
そこに居たのは、手製の車椅子に腰かけた女性であった。燃えるような紅い髪を腰まで伸ばしてた美人であるが、その姿は痛々しい。
黒い眼帯に隠された右目。左腕は肩諸とも損失しており、右足も膝から下を損失。更に服に隠されているが身体中に大小様々な傷跡が残されている。
「残念ながら、まだまだ死に至るわけには参りません。いや、死そのものは歓迎すべきものですが、貴女の身体を蘇生させる必要がありますからね」
「その為にたくさんの子供を死に追いやってると思うと、自決したくなるわね」
「それは困ります。貴女を失えば私は自重しなくなりますよ?宜しいのですか?」
「ふんっ……」
事実、九年前にこの女性を保護してハンス=ハースペクターは実験の頻度を大幅に下げたのである。その結果非人道的な、実験による被害者は確実に減少した。少なくとも桁が変わる程度には。
「それでも実験を止めるつもりはないのよね?」
「ええ、私の世界の人間との相違点が無いことを確信するまでは?まだまだサンプルが足りませんからねぇ」
「どうせなら死んでも良いような外道とかで実験しなさいよ。子供ばっかり選んで。心底軽蔑するわ」
「これは手厳しい。しかし、子供の適応力の高さはどうしても魅力的に感じるのです。こればかりは愛する貴女の願いと言えど止められませんな」
ハンスの言葉に顔をしかめる女性。
「何度も言うけれど、私は人妻よ。子供も二人居るわ。ついでに言えば四十手前でこんな身体よ。何処が良いんだか」
「とてもそのような年齢には見えませんな。二十代前半で通じるほどの若さを保っております。二人も出産したのに体型は崩れておらず、欠損した部位についても私が何とかしましょう。更に付き加えるならば人妻ではありませんよ?既にご主人は失くなっているのですから」
平然と言うハンスに女性は不愉快という感情を全面に押し出した。
「黙りなさい、貴方からの賛辞なんて虫酸が走る。こんな身体じゃなかったら、今すぐ捻り潰してやるところよ」
「それは楽しみですな?命を奪うと言うことは、相手の全てを奪い去るということです。貴女の中でも永遠を得られるならば、是非とも貴女に殺されたいものです」
狂気に満ちた笑みを深めるハンス。それを見て女性は深いため息を吐く。
「はぁ……その子の名前は?」
「さて?そこのテーブルに資料があったような気がします。いや失礼、確認する前にシメてしまいましたので」
女性は右手で器用に車椅子を操作して、資料を取り膝の上に乗せる。
「実験にしか興味がないって訳ね。どこまで辱しめれば気が済むのかしら」
「科学の発展には犠牲が付き物です。私としても心苦しいのですよ?」
「どの口が言うか、この外道。そして、そんな外道に生かされてる自分が情けないわ」
「ふむ、気高い貴女が自決しない理由は未だに気になりますが」
「こんなところで死ぬわけにはいかないのよ。貴方みたいな外道に生かされているのだとしても、生き延びなきゃいけないの」
「ほほう、命への執着ですか。それは素晴らしいことです。全ての生命にとって普遍の本能だ」
「もういい、私は休むわ」
これ以上の会話は無用と判断した女性は出口へと車椅子を向ける。
「後程お部屋にお食事を運びますね。楽しい昼食、今から胸が高鳴りますよ!」
「私からすれば最悪の昼食よ」
そのまま女性は資料を膝に乗せたまま器用に部屋を出る。
「いやはや、魅力的な女性だ。彼女を保護できた幸運に感謝しないといけません。もちろん、引き合わせていただいた貴方にも最大限の感謝を捧げますよ?」
視線の先には、いつの間にか筋肉質の男が立っていた。
「不手際が起きただけだ。あの女は無傷で捕らえるように命じた筈なのに、役立たず共め。再生させられるのだろうな?九年待っているぞ」
「お待たせしております。しかし、彼女の“器”となる素体には万全を期さねばなりません。今少しお時間を頂きたいのです」
ハンスの謝罪に男は頭を振る。
「貴様の腕を疑っているわけではない。だがいつまでもあの女を、奥様を隠しておけるわけではない。実は生かしていると公爵に知られれば、この上なく面倒なことになるのでな」
「承知しておりますとも。素体の完成は間近です。あと一年以内には何らかの成果をお見せできますよ」
「一年だな?期限は確実に守れ」
「必ず護らせていただきますよ、エドワード様」
一方自室に戻った女性は、そのまま机へ向かい、引き出しを開けて中にあるたくさんの名前が記された羊皮紙を取り出す。そして羽ペンを使い、資料に掛かれていた名前を書き足す。
それは全てこの九年で犠牲になった子供達の名前であった。
「ごめんなさい……こんなことをしても何の意味もないのは分かっているけれど……貴女達が確かに存在した証は、私が守るわ」
女性は涙を流しながら呟き、そしてテーブルに突っ伏す。
「こんな私を、あの娘達は許してくれるかしら……?たくさんの子供を見殺しにしても生き延びようとしてる、こんな最低な母親を……それでも……また会いたい……」
突っ伏したまま女性は涙を流しながら名前を口にする。
「シャーリィ……レイミ……」
女性の名はヴィーラ=アーキハクト。帝国一の規格外と称えられた彼女は深傷を負って囚われている。屈辱と自己嫌悪に苛まれながらも彼女は生き続ける。
あの日全てを失いながらも生き延びているであろう、愛する娘達との再会を夢見て。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!