第13話:リング遺品
そのリングは、古びた木箱の中に静かに横たわっていた。
真鍮製の土台に、淡い紅玉色の石。
中央に細い金の線で「結」の字が刻まれている。
リングの内側には、年月で擦れた二人の名前――
「ユウジ」「ヨシエ」
そのリングは、もう片方の持ち主を失っていた。
ヨシエ・82歳。
白い髪を後ろで一つにまとめ、墨色の和柄のカーディガンを羽織っている。
細い眼鏡の奥の目は少しかすみがかっているが、視線はどこか遠くを見ていた。
彼女の夫、ユウジは昨年、静かに息を引き取った。
「この箱、開けるの、今日が初めてなんだよ」
ヨシエは息子夫婦の手を借りながら、夫の遺品整理を進めていた。
思い出の品が並ぶ中、彼女の手は自然にその木箱へと伸びていた。
「……まだ、光ってる」
彼女はリングをそっと持ち上げた。
紅玉の石が、ほんのりとあたたかい光を灯していた。
このリングは、ペアリンクと呼ばれるものだった。
相手と同じ刻印を共有し、魔力を共鳴させるリング。
かつては結婚指輪としても人気で、今も一部の世代に愛されている。
ヨシエとユウジが買ったのは、まだ魔法リングが一般に普及し始めた頃。
使える魔法は「体調共有」や「気分の通知」程度だったが、それがとても新鮮だった。
「若いころね、ユウジの体温が上がると、この石もほんのり熱くなるのよ。
風邪を引いたときとか、すぐわかったの」
リングを指にはめると、まるで遠くのどこかで鼓動が返ってくるような感覚があった。
ヨシエは迷いながら、部屋の隅にある家庭用アシストリング台を起動した。
かつては夫婦で使っていた、家事・音声記録補助のリング制御台だ。
「ユウジの最後のログ、まだあるかな……」
しばらくして、端末が静かに反応した。
画面に表示されたのは、数ヶ月前の記録。
「今日も庭で風が気持ちいい。 ヨシエは、今日は眠ってばかりだったな。 でも、リングがまだあったかいから、安心した」
ヨシエは、そっと画面を閉じた。
「……バカね。私のほうが、あんたのぬくもりに安心してたのに」
その夜、ヨシエは眠る前に、ユウジのリングを自分の左手薬指に重ねた。
石は、ふたたび静かに光った。
温度も、音も、魔法の力も、もうほとんど残っていないはずだったのに。
翌朝、ヨシエはリビングの机に、小さなメモと一緒にリングを置いた。
「このリング、今は光らないけど、 ふたり分の“やさしさ”がまだ入ってます。 どこかの誰かが、また誰かと使ってくれますように。」
魔法リングは、ただの装備ではない。
それは、記憶であり、ぬくもりであり――
誰かと“つながった証”なのだ。
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