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冬馬先生に強引に手首を掴まれ、連れて行かれたのは静まり返った準備室だった。
「せ、先生……?あの、急にどうしたんですか。あんな言い方、他の先生に失礼じゃ……」
私が抗議すると、冬馬先生はようやく手を離した。
けれど、壁際に追い詰められた私のすぐ横に手を突き、逃げ道を塞ぐ。
「お前は、自分がどれだけ無防備か自覚してないのか?」
「……え?」
「あいつは女癖が悪いことで有名だ。俺の事務員が、あんな軽薄な男の誘いにヘラヘラ付いていくなど、許可した覚えはない」
──俺の事務員。
またその言葉。
心臓がトクンと跳ねる。
怒っているのか、それとも……
けれど、彼の瞳にあるのはいつもの冷徹な光だけだった。
「いいか。お前の時間はすべて俺が買い上げている。仕事以外のことにリソースを割く暇があるなら、次の術前データの照合を済ませろ」
それだけ言い残して、先生はさっさとオペ室へ向かってしまった。
(……もう、なんなのあれ!あの先生も、ちょっと気遣いで誘ってくれただけだろうに)
顔が熱いのは、きっと怒っているせいだ。
そう自分に言い聞かせて、私は言われた通りデータの最終チェックに取り掛かった。
◆◇◆◇
だが、その日の夜
思わぬアクシデントが私を襲う。
午後に作成したばかりの難易度の高い心臓手術の資料に、重大な数値の齟齬が見つかったのだ。
(嘘……! ちゃんと確認したはずなのに!)
深夜、真っ暗な医局で私は青ざめていた。
翌朝のカンファレンスで使う資料だ。
もしこのまま提出していたら、手術の計画が狂い、患者さんの命を危険にさらしていたかもしれない。
手が震える。
修正しようにも、元データのアクセス権限が一部ロックされていて動かせない。
絶望に打ちひしがれていた、そのとき
「……何をしている。こんな時間に」
背後から響いたのは、聞き慣れた低く冷ややかな声。
振り返ると、そこには白衣を脱ぎ、ネクタイを少し緩めた姿の冬馬先生が立っていた。
「冬馬、先生…!すみません、私のミスです。データの数値が……っ」
消え入るような声で謝る私に、先生は黙って近づいてきた。
叱られる。
そう思って身をすくめたけれど、先生は私の椅子を少し横へずらすと、自らキーボードを叩き始めた。
「どけ。……ここか。このバイタルデータと術後シミュレーションが噛み合っていない」
先生の指先が、流れるような速さで画面上の数値を書き換えていく。
私はその横顔を、ただ呆然と見つめることしかできなかった。
「……先生、あの、申し訳ありません」
「……ミスはミスだ。だが、お前がこの数値の違和感に『自力で』気づいたことだけは評価してやる」
先生は修正を終えると、モニターから視線を外さずに、そっと私の震える指の上に自分の手を重ねた。
大きくて、清潔で。
数え切れないほどの命を救ってきた、魔法のような指先。
その熱が、冷え切っていた私の指先を包み込む。
「……怖いか?」
「え?」
「ミスをすれば患者が死ぬということだ。それがこの場所だ。俺の要求が厳しいのは、お前にその恐怖を知っておいてほしいからだ」
先生がゆっくりと顔をこちらに向ける。
眼鏡の奥の瞳が、至近距離で私を射抜いた。
「海老名。俺が、お前を専属に選んだ理由を教えてやろうか」
重なる手のひらに、さらに力がこもる。
ドクドクと、自分の心臓の音がうるさいくらいに響く中、先生の唇が私の耳元に寄せられた───。
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