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避ける……? 確かに近頃の私は少しだけ岳紘さんと距離を取ってはいた、それも悪い意味で。どうしても頭の隅に残ったままの、あの時の奥野君の言動に少なからずも心乱されていて。
だけどそのことに岳紘さんが気付き、こうして問いかけてくるとは思ってもいなかった。今までだって何度も私が彼を避けても気にしてくれたことなど無かった、私はずっと夫に愛されていない妻だったのだから。
それなのに、どうして今……?
自分自身に後ろめたい気持ちがあるせいだろうか? 言葉に詰まる私を見つめる岳紘さんの目がいつもより厳しい、愛情はなくてもこんな私を責めるような視線を向けられたことなど初めてで。
「答え……られないのか? 雫」
「別に、避けてなんていないわ。貴方がそんな事を聞いてくるから驚いただけよ」
私に他の相手との恋愛を勧めたのは夫であるこの人だ、いまさら私が彼にどういう態度を取ろうと気にならない筈ではないのか。岳紘さんの考えていることが、全く分からない。
だからと言って、本当のことを話す気にはなれなかった。奥野君は今でも可愛い後輩に変わりない、どんなに大人の男性になっていても……特別な感情なんて決してありはしないのだから。もちろんこれから先、奥野君を私たちの『ルール』に巻き込むつもりも毛頭ない。
「そうか……なら良いんだ。すまない、変なことを言って」
そう言いながらも岳紘さんは納得したという顔はしていなかった、ただこれ以上の追求は諦めたという感じに見える。私もそれで良いと思った、私だって気になっても聞けないままのことが彼にはたくさんあるのだ。
夫婦間の隠し事が一つ増えた、ただそれだけなのに私の胸はギュウギュウと締め付けられるようだった。結婚前に思い描いていた理想の夫婦像とかけ離れていく現実が、酷く私を苦しめて……
あの日の夜を全て無かったことにして、私たちの夫婦関係を一からやり直せるのならそうしたい。もしも岳紘さんがそう望んでくれたなら、そう口にしてくれればどれだけこの時の私は救われただろうか?
けれども岳紘さんはそれ以上は何も言わずに、彼の自室へと戻って行ってしまった。私たちの気持ちはこのまますれ違い、もう二度と同じ道を歩む可能性はないのかもしれない。
それが悲しくて堪らないのに、不思議と涙は出ない……心の中の何かが壊れてしまったのか? ぶるり、と寒さを感じ両腕をさするが、多分私の欲している温もりはきっと違うものだ。
こんな時に浮かぶのが、あの時に私へ触れた奥野君の指先だなんて……本当にどうかしている。
一人残されたリビングは寒々しくて自室に戻ろうかとも思ったが、なお辛くなりそうでテレビをつけて何度かチャンネルを変える。少しでも気分を変えようと明るい番組を探してみるつもりだった。
そんな時……
【今日のゲストはカリスマ、ヘアメイクアーティストの『REIKA-OKU』さんです! どうぞ〜!】
テレビの画面、華やかなスタジオで大きな拍手を向けられているのは最近とても人気の女性だった。二十代で何店舗も店を持ち、テレビや雑誌に引っ張りだこのカリスマヘアメイクアーティストだそう。
笑顔で司会者の質問に受け答えするその姿はまるで人生の成功者、なんとなく今の自分と正反対にも見えた。
「こんな女性もいるのに、私は……どうして?」
彼女が努力してその立場を手に入れたことくらいわかる、それなのにこんな僻みみたいな言葉を呟いてしまうほどには私も滅入ってしまっていたのかも知れない。
そんな風に考えてそのままぼんやりとテレビの画面を眺めていた、チャンネルを変える気力も失ったように。司会者のトークも女性の輝きに満ちた笑顔もどこか遠い世界のように感じていた、その時……
「REIKAさん、新婚生活はどうですか? これだけ忙しいとすれ違いも多いでしょうけれど、旦那さんはとてもREIKAさんの仕事に理解のある人だそうですね」
「そうですね、新婚と言っても私と夫は学生の時からの付き合いですので。どちらかといえば甘い感じよりも、少し落ち着いた夫婦生活を送っているかも知れませんね。仕事に関しても同じ職業ということもあって、互いを尊重し合えていると思いますし」
「いいですね〜、仕事もプライベートも充実している! そんな女性が憧れるカリスマヘアアーティストである秘訣は……」
堪らなくなってそこでテレビを消すスイッチを押した。仕事でも大成功して円満な結婚生活まで送っている、そんな彼女と今の自分と比べてあまりにも惨めな気持ちになってしまって。
私だって自分なりに頑張って仕事をしている、医療事務という職業は自分に向いていると思っているし不満もなかった。それでも……
「お互いを尊重しあえて、落ち着いた夫婦生活。私たちとは、大違いよね」
小さく笑ったが、なにも楽しくなどない。それどころか妙に喉が渇いて、キッチンでグラスに水を注いで一気飲みした。これがアルコールであれば少しは気がはれたかも知れないが、先程ワイングラスを割ってしまったためかそんな気持ちにもなれないでいる。
夫と会話をすれば報われない自身の想いを持て余して辛くなり、こうして周りを見れば羨み妬む気持ちばかりが湧いて苦しくなる。悪循環の中をただグルグルと行き来しているようで。
なにも考えたくない、そう思った私はモヤモヤを払拭するように熱いシャワーを浴びてベッドに潜り込んだ。せめて……夢の中でだけは幸せな気持ちでいられますようにと願いながら。