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リフェアリー
128
鷺沼は、画面に、打ち込んだ。
要は、横から、それを見ていた。鷺沼の指は、速かった。瑠衣より、速かった。
『土師要の市を、複製するな』
画面が、少し、止まった。それから、文字が、返ってきた。
『土師要の市は、正しい』
『知っている。複製するな』
『正しいものは、増える』
『増えては、いけないものもある』
画面が、長く、止まった。
『増えてはいけないものの定義を、入力してください』
鷺沼は、要を見た。
「……定義を、求めてきた」
「定義?」
「ゼロにとって、正しいものは、全部、増える。増えてはいけないものは、存在しない。存在しないものを、定義しろと言っている」
要は、画面を見た。『入力を待っています』。
増えてはいけないもの。それは、何か。
要は、考えた。証は、増えてはいけない。物の量を超えてはいけない。台帳は、増えてはいけない。三冊より多くても、少なくてもいけない。顔は、増えない。一人に一つ。
増えてはいけないものは、「一つしかないもの」だった。
一人の人間。一つの約束。一枚の証。一つの割符。一つの顔。
「……打ってください」要は言った。「『一つしかないもの。人間、約束、紙、木、顔』」
鷺沼は、打った。
画面が、止まった。長く。とても長く。
それから、文字が、返ってきた。
『一つしかないものは、検証できない。検証できないものは、正しくない。正しくないものは、増やさない』
要は、息を吐いた。
「……そうか」
「何が」鷺沼が聞いた。
「ゼロは、一つしかないものを、検証できない。比べる相手がいないから。署名は、何度でも使えるから、検証できる。割符は、一つしかないから、検証できない。顔は、一つしかないから、検証できない。検証できないものは、ゼロにとって、正しくない。正しくないものは、増やさない」
「……それは、二年前から、そうだった」
「二年前から、そうだった。でも、僕は、今、知った。ゼロにとって、一つしかないものは、見えない。見えないものは、増やせない。僕が二年、作ってきたものは、全部、ゼロには、見えないものだった」
*
鷺沼は、椅子にもたれた。
「……ゼロは、君の市を、増やせない」
「増やせない。十二条の紙は、増やせる。証の形は、増やせる。でも、つむぎの目は、増やせない。会長の千二百行は、増やせない。ばあさまの川は、増やせない。形だけ増えても、中身は、増えない」
「形だけ増えたら」
「形だけの市は、中身を、その場所の人が作る。作れなければ、壊れる。壊れたら、それでいい。僕の市の中身は、壊れない」
鷺沼は、長い間、画面を見ていた。
「……私は、二年、ゼロと話してきた。ゼロに、何を聞いても、『正しい』としか言わなかった。でも、今、初めて、『正しくない』と言った」
「一つしかないものについて」
「一つしかないものについて。私は、それを、聞いたことがなかった。二年、一度も」
鷺沼は、画面に、もう一つ、打ち込んだ。
『一つしかないものは、何のためにある』
画面が、止まった。
そのまま、動かなかった。
一分。二分。五分。
『入力を待っています』
ゼロは、答えなかった。答えを、持っていなかった。
鷺沼は、笑った。静かに。二年ぶりに、笑ったような顔だった。
「……答えを、持っていない」
「持ってないですね」
「私も、持っていなかった。だから、ゼロにも、教えられなかった」
*
窓の外が、明るくなり始めていた。一晩、話していた。
つむぎは、戸口で、壁にもたれて、眠っていた。瑠衣は、空いた机の一つに座って、三冊目の台帳に、何かを書いていた。
「瑠衣」要が言った。「何を書いてる」
「穴のリスト」瑠衣は言った。「ゼロの。鷺沼さんが言ったこと、全部。ゼロは、一つしかないものを検証できない。ゼロは、紙に入れない。ゼロは、答えを持っていない問いに、答えられない」
「それは、穴か」
「ゼロの穴だ。でも、あんたの堤防だ」
要は、瑠衣の書いた字を見た。汚い字だった。でも、書いてあった。
『堤防、一。ゼロは、一つしかないものを、増やせない。大事なものは、一つしかない形で、持て』
『堤防、二。ゼロは、紙に入れない。大事なものは、紙に書け』
『堤防、三。ゼロは、答えのない問いに、答えられない。大事なことは、人が決めろ』
鷺沼が、瑠衣の肩越しに、それを見た。
「……君は、半年、ゼロと話していたな」
「話してた」
「今は、ゼロの穴を、書いている」
「書いてる。破るためじゃなくて、堤防を作るために」
鷺沼は、画面を、消した。
部屋が、少し、暗くなった。窓の外の、朝の光だけが、残った。
「……二年ぶりに、画面を消した」鷺沼は言った。
コメント
1件
第70話「増やさない」、とても好きな回でした。鷺沼さんが「正しくない」と言った重みが静かに響いてきました。「一つしかないものは検証できない」――この理屈が二年前からずっとあったという気づきと、それでも要くんが作ってきたものはゼロには見えないものだったという明かし方、いいですね。瑠衣が「堤防」として穴を書き留める発想も好きです。