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治療が終わった、と医師に言われた日。
「日常生活には、ほぼ支障はありません」
その「ほぼ」が、
僕にはやけに現実的で、ありがたかった。
最初に気づいたのは、
若井の声が「当たり前」になっていたことだった。
朝の改札前。
「元貴、今日何時からだっけ」
ちゃんと聞こえた。
反射的に答えようとして、
僕は一瞬、立ち止まる。
(……聞こえてる)
嬉しさより先に、
戸惑いが来た。
「……1時」
若井は気づかない。
気づかなくていい。
それが、
「戻った」ってことなんだと思った。
完全じゃない瞬間も、確かにある。
人混み。
疲れているとき。
感情が強く揺れたとき。
「え、ごめん、今なんて?」
そう言うと、若井は一瞬だけ笑う。
「はいはい」
前みたいに、
ゆっくり、はっきり言い直す。
そのやりとりが、
僕は嫌いじゃなかった。
ある夜、
二人でベランダに出た。
街の音が、遠くで混ざり合っている。
「ねぇ」
若井が言う。
「初めてちゃんと
俺の声聞こえたとき、 覚えてる?」
僕は、頷いた。
「あの病院の廊下
……泣きそうな顔してた」
「してない」
「してた」
二人で笑う。
その笑い声が、
ちゃんと、耳に届く。
僕は、少しだけ真面目な顔になった。
「正直さ」
「戻らないかもって思ってた」
若井は、黙って聞いている。
「聞こえない世界に、慣れすぎて
戻るの、怖かった」
若井は、しばらく考えてから言った。
「俺は、 どっちの元貴も、同じだったけどね」
僕は、息を吸った。
「……僕さ」
過去が、ふっと胸をかすめる。
いじめ。
無視された空気。
音が消えた瞬間。
「聞こえなくなって、傷ついた。」
「でも」
若井を見る。
「それ以上に、守られた」
若井は、照れたように目を逸らした。
「別に、特別なことしてない」
「してたよ」
僕は、静かに言う。
「世界から切り離されそうなとき
ちゃんと、繋いでくれた」
沈黙。
でもそれは、
不安の沈黙じゃなかった。
若井が、僕の手を握る。
「音が戻ってもさ、 俺、離れる気ないから」
僕は、少し笑った。
「……知ってる」
後遺症は、完全には消えない。
たまに、
理由もなく胸がざわつく。
昔の静けさが、
急に思い出される夜もある。
でも、今は。
「大丈夫?」
その声が、聞こえる。
「うん」
自分の声も、ちゃんと出せる。
僕は思う。
この病気は、
確かに多くを奪った。
でも同時に、
何が本当に届くのかを、教えてくれた。
音だけじゃない。
言葉だけじゃない。
選び続けること。
そばにいること。
それが、
ちゃんと聞こえること。
帰り道。
夕焼けの中、
若井がいつもの調子で言う。
「元貴」
「ん?」
「……好きだよ」
僕は、一瞬だけ聞き返す。
「え?」
若井は、笑って、もう一度言う。
「好き」
今度は、
はっきり聞こえた。
僕は、胸の奥で、静かに息をついた。
「僕も好き」
その声は、
ちゃんと、世界に届いていた。
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「無音病」
これにて本編完結となります!
最後まで読んでくださり
本当にありがとうございました。
涼ちゃんsideの話を番外編で
少しだけ書いていますので
よければそちらもお読みください!
コメント
2件
良かったー!! 元貴 後遺症残っても 若井の声が聞こえて 会話が出来て 元貴も若井も幸せになった💕 涼ちゃんも嬉しいだろうな🫠 もう泣いちゃいましたよ🥹 また何回も読み直そうと思います。