固い地面、懐かしい匂いに空気に私は目を開く。
「ここは……?」
階段の踊り場。
見覚えのあるその踊り場に、色に私は身体を起こした。
(え、ここって……)
自分の姿は、エトワールのままだったが、確かにここは現実世界の、前世私が通っていた高校だった。
白瑛大学付属高校。
それが私の通っていた学校の名前だ。有名私立高校で、成績優秀者しか入学できないエリート校だった。
だが、その高校に通っていたのは二年、三年ほど前の話だ。
「どういうこと?」
私は、今自分がどこにいて、どういう状況なのか理解できずにいた。
本当に現実なのか、はたまた幻なのか。現実だったとして、私の姿がエトワールのままだということも可笑しい。
そんな風に悩んでいると、誰かが階段から降りてくる音が聞えた。私は咄嗟に踊り場の端の方に移動するが、その人物を見て目を丸くするしかなかった。
「は、遥輝……?」
それは、私の元彼にして現リースである朝霧遥輝だった。まだ幼さが残るというか、高校の服を着ているところを見ると、ここは過去の世界と言うことになるだろう。
だが彼は私の呟きに気づいていないように私をスルーして階段を降りていく。
こんな目立つ容姿をしているのに、気づかないなんてあり得ないだろうと、まさか不審者だと思われているのかと私は遥輝に手を伸ばしたが、私の手は彼をすり抜けてしまった。彼に触れられなかったのだ。
「ほんと、どういうこと……?」
さらに頭が痛くなった。
ここは、現実世界で高校時代、過去の世界だと言うこと。
もしかして、遥輝の過去を見せられているのだろうかと、二次元でありがちな事を思い浮かべ、ひとまず納得することにした。
私は彼に見えていないのを知りつつも、彼の後をこそこそとつけることにした。
(な、何やってんだろう……)
先ほどまでの殺伐とした空気から解放された事もあり、私は完全に気が抜けていた。
分からないことが多すぎて、油断なんてしちゃいけないと分かっているのに、何故だか大丈夫だと思えてしまうのだ。
「そういえば、あの弁当箱って……」
遥輝が少し大事そうに抱えていた弁当箱に私は見覚えがあった。
この世界が、私達が高校何年生の時のものかと考えていたが、あの弁当箱を見て、まだ淡々と何処を見ているのか分からないつまらなそうな瞳を見て、時間軸が二年生ごろのことだと私は推測した。私と遥輝が付合いだしたのは二年生の終わりごろ、冬頃だったから。制服はまだ春物なので、ちょうど遥輝と初めて顔を合わせたときのことだろう。
リースが、遥輝がこれを見せているのだとしたら、遥輝の過去を見せられているのだとしたら、きっとそこからなんじゃないかと思った。
彼の後をこそこそつけながら、彼が校舎裏に歩いて行くのが見え、私は物陰からこっそり彼の様子を伺った。
「遅かったな、遥輝」
「食べずに待っていたのか?」
「お前先に食べると怒るじゃん」
「別に怒りはしない」
校舎裏には一人の生徒がおり、その彼にも見覚えがあった。
遥輝の親友でいつも彼の隣にいる日比谷灯華さんだった。
彼は、弁当を広げていたが、端を膝の上に置いて弁当には手をつけていないようだった。遥輝の言葉通り彼を待っていたらしい。遥輝は小さく頷いて彼の横に腰を下ろした。
「どうしたんだよ。その弁当。お前今日、パンじゃなかったか?」
「どうして知っているんだ……はあ、これは交換した」
「交換? 誰と」
「誰でも良いだろ」
と、遥輝は素っ気なく帰す。
まだこの時は私のこと何とも思っていなかっただろうし、私だって、遥輝の持っていた菓子パンが推しとコラボしていたからそればかりに気をとられていて、彼が女子の憧れの的である朝霧遥輝なんて気づくこともできなかった。
遥輝の態度にやれやれと言った感じに首を振りながら、興味津々といった感じに灯華さんは遥輝の持っていた弁当を見ていた。
「その弁当箱可愛いな、もしかして女子から?」
「だから、お前には関係無いだろ」
「女子嫌いのお前が……まさか、彼女ができたとか!?」
目をキラキラさせながら言う灯華さんの表情に、私は吹き出しそうになった。
灯華さんとはあまり話したことがなかったからどんな人かは分からないけれど、遥輝が気を許せる唯一の相手という感じで見ていて凄く微笑ましかった。私とリュシオル……蛍みたいな関係なんだろうと思う。
遥輝は、終始面倒くさそうに灯華さんの話を流そうとしていたが、灯華さんは教えろよーと彼の脇腹をつついていた。
「知らない」
「は?」
「名前、知らないんだ。俺の持っていたパンが欲しいから交換しろっていってきた」
「女子?」
「ああ」
遥輝は短く答える。
誰に対してもあんな感じなのかと、親友にも冷たい……いいや、元々こういう性格かと彼を見ていた。遥輝は何処か不思議そうに弁当箱を見つめていた。私も後々彼に弁当箱をあげたことに後悔……ではないが、もし渡していなかったらとも考えてしまう。あれがきっかけで、遥輝の中に私が入り込むことになったのだから、もしあそこで出会っていなかったら、弁当を交換していなかったら、また別の未来があったのかも知れないとも思う。
運命とか信じないはだから。
「名前知らないって、ほんとお前女子に興味ないよな」
「ああ、そうだな。だが、そいつも俺より俺の持っていたパンの方が気になったようだ。弁当を交換してまで俺のパンが欲しかったらしい」
「どんなパンだったんだよ」
「さあ、あまり覚えていないな。昨日コンビニで残っていたものを買っただけだからな。だが、何かキャラ? みたいなのがプリントされていた気がする」
「あー」
と、灯華さんは何か分かったように声を上げた。
それを聞き逃さなかった遥輝は、何か知っているのか? と灯華さんの方を見た。
「うーん、俺もよく知らねえけど、もしかして天馬さんじゃないか?」
「天馬? 下の名前は」
「……食いつくのかよ」
「教えろ」
灯華さんは呆れた様子だったが、仕方がないとでもいう風にため息をつくと、口を開いた。
それだけ彼にとって、遥輝にとって、聞きたい情報だったのだろう。といっても、私のことなのだが。
何故灯華さんが私のことを知っていたのだとかそこもよく分からないし、私はクラスでは目立たない方だと思っていたのだが。
(ん……いや、でも昼休みにソシャゲとかやってたし、テストの点数はわりといい方だったし……)
それ以外は目立っていなかったと思う。そもそも二年生までは遥輝だけではなく灯華さんともクラスが違ったし。
「お前がそこまで真剣になるの初めて見たわ」
「……違う。これはただ、弁当箱を返さないといけないからな。名前もクラスも分からないんじゃ仕方ないだろう。このまま俺がそいつの弁当箱を持っているのもあれだし」
(言い訳すご……いや、分かるけども)
まだ本当にこの時は私に気なんてなかっただろうし、遥輝の言うことは最もなんだけれど、その後のことを考えるとこの時から矢っ張り既に興味があったのではないかと思ってしまう。
灯華さんもニヤニヤと笑みを浮かべている。確かに、遥輝が女子嫌いなのは私も知っているし、そんな遥輝が女子に興味を示したとなればやはり気になって仕方ないだろう。
「早くいえ」
「はいはい。三組の天馬巡さんだとおもう」
「何故分かる?」
「コンビニでキャラクターがプリントアウトされたパン、今確か何かのゲームとコラボしてるらしいから、それを自分の弁当を交換してでも欲しいって思うのは、二次元オタクの天馬巡さんしかいないと思って」
名推理。と思いつつ、なんでそんなに詳しいのかとか、二年生の頃から私ってそんな風に周りから思われていたのかと思うと恥ずかしいというか悲しい気持ちになってしまった。
灯華さんの言っていることが全て当たっているのがまた……うん。
だが、遥輝はそうかと一言呟く。
「顔は覚えているのか?」
「ああ、わりと小柄だったし他の女子と比べて髪の毛を決めている様子も化粧をしている感じでもなかったからな」
「つまり、地味と」
「そこまで言っていない」
灯華さん酷い。と私は彼に心の中で石を投げつつ、確かに遥輝の言ったとおりだし灯華さんの言ったとおりで、私は髪の毛が跳ねていても気にしなかったし、化粧もしていなかったから遥輝に言い寄る女子と比べて地味だったと思う。そんなのに時間はかけてられなかったから。
灯華さんはそれだけ分かれば、弁当箱返せるな。と言って合掌し弁当を食べ始めた。遥輝も少し戸惑いつつ私の作った弁当を開ける。あの時、遥輝に渡した弁当はどんなんだったかと私は物陰からそそそっとでて確認する。変なもの入れていなかったはずだが……と、変えられない過去だが気になって覗いてみた。
卵焼きに、ウインナー、ハンバーグ、ミニトマト、ほうれん草のおひたし、そして上段は白米を敷き詰めその上からのりたまをかけている普通の弁当だった。男子が食べるには少し量が足りない気がしたが、そんなこと考えている余裕はあの頃の私にはなかった。これといって変わったものは入っていない。
(普通だと思うんだけどなぁ……)
遥輝はじっと弁当を見つめ、箸を持ち上げるとまずは卵焼きを食べた。
「美味いな」
「天馬さん、料理出来る風には見えないけどなー」
(さっきから、失礼ね!)
本人が見ているとも知らず(といっても過去の事だけど)、失礼なことばかり言う灯華さんに私は腹が立った。
だが、そんな言葉など耳に入っていない様子で遥輝は黙々と私が作った弁当を完食してくれたのだ。それが嬉しくて私はつい口元が緩んでしまった。
(食べてくれたんだ。残さず……)
あの頃の私は、本当にそれどころじゃなくて推しのパンをゲットしたことを蛍に話していたぐらいで、弁当を交換したことなど全く忘れていた。だから、その次の日弁当箱が帰ってくるまで、私は彼の存在をすっかり忘れていた。
でも、こうしてちゃんと残さず食べてくれたと言うことが分かって、心なしか嬉しくなった。今になって思えば美味しくなくて捨てられていたんじゃ……とも思ったけれど、彼は美味しそうに食べてくれていたのだ。恋人になってからも、私の作る料理は美味しそうに食べてくれていたけれど、この時から……そう考えると矢っ張り嬉しかった。
「お前、嬉しそうだな」
「そうか?」
「すげえ、頬ゆるいぞ」
と、遥輝を指摘する灯華さん。
確かに遥輝の頬は緩んでいたが、それはいつも私に見せる表情だったため、変わらないのではないかと思ったが、この時の遥輝はかなりの仏頂面だったらしい。
遥輝は、弁当箱の蓋を閉めると、隠すように口元を手で覆った。
「にやけてんのか?」
「いや……また彼女と会う口実ができたからな」
「お前……」
「何だその目は」
と、呆れたような視線を向ける灯華さんに遥輝は彼を睨み付けた。灯華さんは何でもありませんと視線を逸らしていたが、遥輝はまだ不満一杯といった感じに彼を見ていた。
まだこの時は、本当に私に気なんてなかったはずなのにどうして嬉しそうな顔をしていたのかよく分からなかった。ただ、彼が先ほど言った「自分に興味ない私に」の言葉が本当であれば、自分に興味ない私に興味が湧いたというのもあり得るのかも知れない。遥輝のことはよく分からないから。
「……天馬巡か。また話せるのが楽しみだな」
「はあ、ほんとお前そういう所だぞ」
と、今度は灯華さんの方がため息をつく。
純粋に嬉しそうな遥輝の顔を見て、あんな顔して私のこと思っていてくれたんだと改めて思い、私は胸がキュッと締め付けられた。
そうして、昼休みは終わり午後の授業が始まるチャイムが鳴り響いた。
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