テラーノベル
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[結構です]
表情を強張らせて断った時、タイミング良くエレベーターがフロアに到着した。
[私、辞めるので、じゃあ]
私はマーティンに短く挨拶をし、ゴンドラに乗り込んでボタンを押す。
[芳乃!]
彼はなおも何か言おうとしたけれど、私はそれを無視した。
「……うぅ……っ、う……っ」
嗚咽を漏らした私は、ゴンドラの壁に寄りかかる。
涙が流れないよう上を見ると、鏡のような天井に自分が映っているのが見えた。
平凡な顔立ちの、ごく普通の日本人女性。
高身長でもないし、レティのようにハイブランドの服やジュエリーを着こなす事もできない。
NYのホテルでは、くっきりとしたメイクをするよう求められた。
初めは厚化粧をしているみたいで慣れなかったけれど、ウィルがルージュをくれたから、濃い色のリップを好むようになった。
このホテルで得たささやかな思い出も、すべて踏みにじられた。
「……似合わない……」
柳のような印象の顔をしているのに、唇だけ浮いているように思え、滑稽で情けない。
――私はレティのような、ゴージャスな女性にはなれない。
瞬きをすると、ツゥ……ッと涙が頬を伝っていく。
私の恋は終わった。
きっとこれ以上NYにいても、前向きに再就職先を見つける事はできない。
多分、恋だって二度とできない。
「……帰ろう」
懐かしい日本を思い出した私は、感傷に駆られてポツリと呟いた。
**
その半年後。
「ん……っ、んぅ、――――う、……む」
私は東京都内の高級マンションのリビングで、男性に押し倒されて唇を奪われていた。
「……っは……」
顔を離し、興奮した目で見つめてくるのは私の雇用主だ。
彼は自身の唇を舐めてブランド物のネクタイの結び目に指を掛けると、オーダーメイドのスーツのジャケットを脱いでソファの背に掛ける。
「『お帰りなさい』は言ってくれないのか?」
「おっ……、お帰り、…………なさい」
Tシャツにスキニー姿の私は、赤いエプロンをつけて料理を作っていた途中だった。
チャイムが鳴って応対すると、この男性――神楽坂暁人さんが「ただいま」と言って家に入り、私をソファに押し倒してきたのだ。
「暁人さん、困ります。私、ご飯を作っていた途中だったのに……」
私は二十八歳で、暁人さんは二十五歳。
それなのに彼は私の雇用主で、億はするマンションの持ち主だ。
「ごめん。どうしても芳野がほしくて。……美味しそうな匂いだね。今日のメニューは?」
文句を言われて初めて、暁人さんはやっと料理に興味を示してキッチンを見る。
「この間、魚が食べたいって言ってたから、鰈の煮付けを作って、あとはきんぴらごぼうにほうれん草のお浸しです」
「ザ・和食だね。好きだよ」
ニコッと笑うと年相応に可愛い笑顔になるので、「ずるい」と思ってしまう。
彼は長身な上、ジムで鍛えているので立っているだけでも洗練された雰囲気があり、存在感がある。だから年齢よりずっと大人びて見えた。
私は彼と同じ職場で勤務しているけれど、同僚や他部署の女性たちが『神楽坂さんって格好いいよね』と噂しているのを耳にしていた。
彼と同棲しているって知られたら、どうなるんだろう……。考えるだけで怖い。
そこまで考えたところで、ハッと料理中だったのを思い出した。
「とにかく、料理の途中なのでイチャイチャは駄目です!」
グッと暁人さんの肩を押すと、彼は捨てられた仔犬のような目で私を見てくる。
(なんて顔をするの~!)
百八十五センチメートル以上はある長身なのに、犬みたいに甘えっ子で困る。
けれど私は心を鬼にして言った。
「もうそろそろご飯ですから、着替えてきてください。お風呂の用意も済んでいるので、そちらを先に済ませたいのならどうぞ」
事務的に伝えると、彼は「分かったよ」と残念そうに言って立ち上がった。
私は自室に向かう彼を見て少し残念な気持ちになり、そんな自分は勝手な女だと呆れる。
勘違いしそうになるけど、暁人さんは絶対に好きになっちゃいけない人だ。
――なぜなら、彼の左手の薬指には、指輪が嵌まっているからだ。
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コメント
5件
歳下肉食ワンコ( ・∀・)イイ!!
酷い裏切りに遭い、傷ついて帰国した芳乃ちゃんだけれど😢 さて、新生活を共に始めたお相手はいったい…⁉️