テラーノベル
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二十八歳のクリスマスに、NYで大失恋をした私は年明けに帰国した。
あれほど憧れた〝世界一〟とも呼ばれる〝ゴールデン・ターナー〟だったのに、辞めてしまえば意外なほど未練がなくなった。
キラキラとしたマンハッタンもタイムズスクエアも、もう〝いつもの景色〟ではなくなり、遠い外国の風景。
茨城の実家でぼんやりしていると、背中やお尻に根が生えそうなくつろぎを覚えた。
(次……、どこで働こうかな)
ボーッとしているうちに時が過ぎ、春を迎えた私は友達と梅を見るために筑波山に登ったり、家族で水戸まで梅林を見に行ったりした。
渡米前、家族はとても心配していたけれど、応援もしてくれていた。
けれど夢半ばに帰国したとはいえ、すぐ会える距離で暮らすと知ると、心から喜んでいた。
自分としては逃げ帰ったようで「情けない」と思っていたので、家族の温かな気持ちが余計に沁みた。
帰国して良かったと思える一番の理由は、ご飯が安くて美味しい事だ。
ラーメンにお寿司、うどんに蕎麦と、あちらでは高価な日本食をカジュアルに食べられる。
昨今物価高になっているとはいえ、アメリカで食べるよりはずっと安い。
私は母と台所に立って料理をし、今までゆっくり覚えられなかった分、様々な家庭料理を教えてもらった。
母の味はやはり美味しくて、子供の頃はあまり好きと思えなかった煮物が、とても美味しく感じた。
いつまでも実家にいられないから、そのうち一人暮らしをした時に、なるべく自炊して過ごせるよう、今のうちに沢山レシピを習っておこうと思った。
父は蕎麦屋を営んでいて、地元では割と有名なお店らしく、遠くからわざわざ足を運んで食べに来る人もいた。
私は次の仕事が始まるまでの間、父の蕎麦屋を手伝ってアルバイトをしていた。
そのようにして日本の良さをしみじみ味わっていたけれど、平穏な日々は長く続かなかった。
初夏、まるで私の帰国を待っていたように父が倒れ、そのまま帰らぬ人となった。
私は夢の続きでも見ているような心地で、小さな骨壺に収まった父と対面する。
沢山泣いた気がするのに、泣き足りない。
やがて父を想って泣こうとしても、悲しみが底をついたかのように、私の目からは涙が出てこなくなった。
父の死因は心不全で、前兆もなかった。
店の後継者を探すどころではないし、母はただ手伝っていただけなので、蕎麦打ちのいろはが分かっている訳ではない。
毎日のように父がしている事を見ていても、実際にやるのとでは話が違う。
さらに蓋を開ければ店は赤字を抱えていたらしく、二億円の負債を抱えていた。
絶望を感じた私はどうすればいいのか分からず、大きな溜め息をつく。
母は「働いて少しずつ返していけば大丈夫」と言っているけれど、二億円という金額が「大丈夫」とは思えない。
私の貯金をはたいても六百万円ぐらい。
二十八歳にしては貯めたほうだと思うけど、店の負債を返すには全然足りない。
「少額になると思うけど、俺は給料から生活費と返済金を出すけど、姉ちゃんはどうする?」
ソファに横たわってクッションに顔を埋めていると、二十四歳の弟の健太が尋ねてくる。
健太は都内に本社があるスポーツメーカーに勤務していて、最近は週末になるとこちらに帰ってきている。
弟には恋人がいるし、友達と遊ぶ約束もあるだろうに、私と母を心配して足繁く実家に戻っていた。
健太だって実家が負債を抱えているとなれば、彼女との結婚が難しくなるだろうに、気丈に振る舞っている。
「…………働かないとね」
私はくぐもった声で返事をする。
立て続けにショックな出来事が起こって疲弊しきっているけれど、いつまでも悲しみに浸っていられない。
遺族年金が入るとしても、今まで通りの生活ができる訳ではない。
母は様々な手続きに奔走し、本来なら私も長女としてその手伝いをしなければならなかった。
『芳乃が帰ってきて本当に良かったなぁ。父さん、これで死んでも何の悔いもない』
帰国した直後、家族で回転寿司に行った時、父はビールを飲んでご機嫌に笑っていた。
あの言葉は本心だろうけど、本当に死んでいいと思っていた訳ではない。
でも今の私はすべてを悲観的に捉えてしまい、「本当は物凄く心配していたから、私が帰国して緊張の糸が切れてしまったのかもしれない」と思っていた。
コメント
2件
2億…気が遠くなりますね
真面目に一生懸命働いてきたのに… 本人には何の落ち度も無いのに、辛いことが続く芳乃ちゃん…😢 どうか次は良いお仕事が見つかりますように🙏🍀