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く、区切りががががが
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「必要な犠牲か…」
期待はしていなかった。出来れば臨時収入、否では信頼の自由落下。憂鬱な時ほど夜の静けさは癒しを与えてくれる。帰宅途中に桜井からの電話を切った後、なかなか歩き出す気になれない雨はファミレスにでも入ろうかと逡巡した。
懐は痛いが明日のシフトも入っている。四徹どころか五徹に達するのではないかと心配になってくるが、スキルの恩恵でいくら眠らなくても健康に影響が出ることはない。しかし、精神はすり減っていく。明日への励みがほしくなってエスプレッソを一杯注文した雨は嘆息して家計簿をつけ始めた。時刻は午後11時を回り、こんな夜遅くにも営業しているファミレスだが在るところにはあるのだと最初は現代の長時間営業に驚いた。
客足の途絶えた店内は静かだった。一人でここを利用する雨は居心地の悪さを覚えるがゆっくりとエスプレッソをしみじみ味わい、老齢の店主に会計をしてもらって店を出た。
金に困っているわけじゃない。人間の悪辣さを体験するのは今回が初でもない。しかしどうしてか一気に脱力感を感じた。貯金には余裕があるため明後日の晴との出掛け に心配はない。
「憂慮すべきは賃金の引き下げかな」
さすがに杞憂だろうが、ダンジョン庁の普通とは思えない横暴さを目の当たりにしたらあれが意思なき獣に思えて仕方ない。ボーッとしながら人気のない夜道を歩いていく。晴はもう寝ただろうか、夜更かしは肌の天敵だと得意気に言っていたから寝ているのだろうな。力なく微笑した雨はアパートの階段を上り、自室のドアを開いた。
電機は消してあり、布団が二つ敷かれ片方が膨らんでいた。枕元には雨が作った木彫りの福良雀が置かれてあった。雨は荷物を置いて着替えると音が出ないようにちょろちょろと少ない水量の洗面所で手を洗い、布団に潜り込んだ。
翌日、放課後のパート中天原から電話がかかってきた雨は戦闘中でも気にせずに通話に出た。
「はいこちら小野崎」
「もしもし?なんか恐ろしい悲鳴と爆発音が聞こえてくるんだが?」
「…天原さん、世の中知らないほうが精神的に良い事もありますよ」
「地獄絵図は誰も知らないからこそ畏れられるのと同じか」
「まあ、音だけなら確かに想像を引き立てらあれるかもしれませんね」
振り返った瞬間に目の先三センチもない距離にクラウンディアーの鬼気迫る顔面が近づいていため、瞬時に桐箱から二本の針を射出した。その間も会話を続けている。目の前で眩い爆発が起きても雨は気にせずに続けるが、時々天原に心配される。爆発音の聞こえる頻度が一秒内に連続しているものだから天原は下層とはどんな環境なのか空恐ろしくなった。
天原の危惧はその通りで、仄暗い石造りの通路の中は阿鼻叫喚の嵐だった。そこら中に爆散した鹿、巨大ダンゴムシ、青い鷹や口が異常に裂けた鮫の赤々とした肉塊と飛散した血しぶきが通路内を凄惨な現場にしていた。雨の周囲は常に青い光を纏った針が飛び交っており人間の認識能力を超えた速度で瞬時に接近する鹿や鷹を爆発させていた。
遠距離から蜃気楼をまとい赤熱した魚鱗が津波のように雨を飲み込まんとしても針の量と質量が膨大に膨れ上がるとそれらすべてを押し返して、撃ってきたであろうマグロが巨大化して口から赤い吐息を吐き出すようになったような姿のアダントグエルを逆に飲み込んだ。刺さった端から爆発していく針故に原型など残りもしない。
「それでやっぱ15万の危険手当は出ませんでした」
「そうか、済まない」
「いいですよ天原さんが謝る事じゃないですから。でも厚生労働省でもそこら辺解決できませんでしたか」
「そうだな、俺も上に掛け合ったが残念そうに首を横に振られるばかりでどうしようもなかった。ダンジョン庁は独立した機関であり、近年の財政立て直しの貢献はあれのワンマン活躍によって成ってるから…あと数年はダンジョン庁の影響力は下がることはない」
バアアアン、ひと際大きな爆発音が通路内に轟いた。
「お、おい?」
「大丈夫です。単なる集中爆破ですから。ああ、やっぱ苛つきが収まりません。こんな理不尽な仕事やってたらいつの間にか悟りを開くと思います」
「後1年の辛抱だ。辛いだろうが我慢してくれ」
「…私、このパートのこと詳しく晴に説明できてないんですよね」
「…済まない」
「謝罪と報い。天原さんはこんな時、どっちが欲しいですか?」
「……」
「冗談です。お子さんに晴がよろしく言っていたと伝えてください」
長い沈黙があった。もう既に敵モンスターの波状攻撃は終わって周囲は静かなものだ。はあ、らしくないな。こんなにイライラして誰かに当たるなんて。内心で反省していた雨の耳を悲痛な声が打った。
「…ありがとう」
何も言わずに電話を切った雨はぐちゃぐちゃになった鮮やかな肉塊と血の海を眺めて深いため息をついた。持って帰れるほど小さいやつあったら集めとこ。そうつぶやいてからっていたリュックを地面に置いて探索し始めた。そろそろ終わろうかと思っていた時だった、下層の入り口の方面から一人の人間が近づいてきていることに気づいた。荷物を詰め終わって服に付いた血を洗浄してくれる小さな銀のベルを胸ポケットから取り出すと無造作に鳴らした。ちぃりーんとベルが鳴るとカッターシャツに付いた血が砂のようにサアアと吹き飛ばされていった。音に気づいた人物が雨の目の前まで走ってくると、雨は目を見開いて驚いてしまった。
「あの、小野崎さんですよね。先日はありがとうございました」
澄んだ声で声をかけてきたのは、前に助けたことがあったダンジョン配信者の瑞野優だ。雨が目を丸くして固まっていることも気にせずに瑞野は話しかけてくる。
「それでですね、あの後どうなったかどうしても聞きたくて、無謀を承知でここに来たんです。あれ?小野崎さん大丈夫ですか。」
やっと瑞野が下層に潜ってきた事に得心した雨は渋い顔をして何と答えたものかと逡巡した。確かにあの翌日はクラスメイトに詰め寄られたが、彼らは元々私がダンジョン警備員であることを知っていたからかそこまで騒ぎにはならなかった。下層探索者だったのかと驚かれたが、前にも中層ダンジョン配信者の動画に移りこんだことがあったためこちらも大きな話題にはならなかった。寧ろ生の“考える少女”甘方千紗はどうだったと聞かれるほうが多かった。雨の顔色がよくないことに気がついた瑞野は目を閉じて考えている雨の頬にそっと手を当てて自分の顔を近づけた。
「何やってるの?」
「小野崎さんやっぱり顔色悪いですよ。ちょっと休みません?て言うかここ惨《むご》過ぎませんか、魚の頭とか目玉が飛び出してるじゃないですか。一回出ましょう」
「あ、ちょっと」
「仕事より体調ですよ小野崎さん」
戸惑う雨の手を引っ張ってグイグイと進んでゆく大きな三つ編みを後ろに流した瑞野の顔は殊の外生き生きとしていた。雨のことが一応心配ではあるものの、落ち着いて話せる時間ができたのは瑞野にとって僥倖なことであった。
まあ、いいか。そろそろ帰るころだったし。手を引かれる雨は自身より背の低い瑞野のつむじを眺めながら螺旋階段を上っていった。集中が切れてくると体の節々が痛くなってきて、頑張りすぎたかなあとここ数日のパート勤務時間を数えだした。
ダンジョン入り口前で瑞野は止まると振り返って雨を近くの巨石に座らせた。服も肌も傷ついていない雨にとっては別にそこまで気にしなくてもいいのにと止めたくなるが、せっかくの好意を無碍にするのも憚られた。口にしかけた言葉は胸のうちにとどめてひとまず聞いてみることにした。
「なぜそんなに構うの?」
すると彼女は自分のリュックをまさぐりながらこちらを向いて眉を下げて苦笑した。困ったような、なんでそんなことを聞くんだといわんばかりの彼女の笑顔に私はますます申し訳なくなった。
「命の恩人が倒れそうだったんですよ。そりゃあ仕事中でも力づくで休ませますよ」
「…そっか」
「む、納得してませんね。あ、あったあった」
そう言って私の前に差し出してきたのは水筒に入った水とサンドイッチだった。
「小野崎さんにはまず栄養が足りません、お昼から食べてないんじゃないんですか?」
「…ありがとう」
生温い水でのどを潤してサンドイッチを食《は》んだ。シャキシャキとした水気の強いキャベツとツナが久しぶりの味だったのですぐに食べ終えてしまった。確かに夜勤労働の時は基本的に夕食は食べないが、それが顔色一つで見抜けてしまうだろうか?いや私もスキルでいろんな事が分かるからおかしな事では無いのかもしれない。
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