あばば、あばばばば
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「小野崎さんは一週間で何日下層の警備員してるの?」
私が目を閉じて岩の上で横になっていると頭付近に座る瑞野さんが唐突にそう聞いてきた。私は目を開けることなく腰に下げた桐箱に触れた。
「あ、口調戻った」
「今それはいいでしょ」
「…週に3日、でも時間外労働がほぼ毎日定められてるから実質休みなし」
「ほ、本当に?労働基準法に違反してるよねそれ。一昨日のダンジョンブレイクも警備員の活躍で被害が最小限になったって報道されてたけどあの穴の針、あれって小野崎さんのでしょ。深夜まで呼び出しとかあったり」
「当然のように寝てても呼び出される。まったく、私がすっぽかしたりしない事に甘んじてるよ」
瑞野さんが昏い顔してるのが手に取るように分かる。スキルの恩恵って神経鋭くしすぎじゃない?常在戦場の心構えで毎日を過ごさなければならないなんて。目を閉じていても完全には休むことすらできないことに絶望し始めた雨は、寝ていても意味のない行為だと悟った。おもむろに起き上がった雨は膝に顎を置いて瑞野の方を見つめた。
「ねえ、小野崎さん」
「何?」
「そのパートなんで続けてるの?」
「将来的な素材の取引相手になることを契約してるからね。今は素材も無償で提供してるし、残業手当も出ないし危険手当も上がらない。けど、未来を見据えてるなら辛酸もマグマも飲み込めるよ」
「そっか」
私は残念そうに俯いた瑞野さんにクスリと口角を上げて励ますように声を出した。体に限界はない。悪影響は残り続けるがそれでも日常生活に支障はないのだから心配する必要はない。
「瑞野さんは心配性だね」
「えっえっ」
彼女の絹のような髪を優しく撫でてあげると頬を赤くして、どうしてか腕で口と鼻を隠してしまった。定まらない目線は上をゆらゆらとさまよっては時折私と目があってもすぐに泳いでしまう。本当にそんな反応をされたのは久しぶりだった。出会って二回目と言うのにこんなにも距離感が近くなった人は初めてかもしれない。
「そんな風に顔を赤くされると困ってしまうよ」
「…小野崎さんのせいだよ」
「ふふ、そうだね。…しばらくこうしていても良い」
「それ、私のセリフだったので取らないでよ小野崎さん」
穏やかな心地のいい時間、律義に名前を呼んでくれるのは何故か。5徹で少しずつ思考が鈍っていた雨には合理的な理由が思い浮かばなかった。身体的な疲労ならスキルでいくらでも回復できるからかそれを怠っていた雨は、意識の限界を迎えた者特有のおかしな思考へ飛んで行く状態に陥った。
「…ねえ、瑞野さん?」
「え?なんですか」
媚びるような声の雨のとろんとした目に驚いた瑞野はピクリと肩を震わせた。
「優さんと呼んでもいい?」
「あ、はい」
しかしそこは心身共に紳士の雨、無欲にもそんな事を言ったのは単純に瑞野さんと呼ぶのが面倒になったからであった!呆気に取られた瑞野はもっと物理的に距離を詰めてくるものだと思っていたために、雨の怪しい雰囲気では絶対に口にしない言葉に咄嗟にそれを受け入れてしまった。もし雨の問いかけが一緒に寝てもらってもという言葉だったとしても彼女は喜んでする気だったのだが。
「ありがとう」
そう言って目を閉じた雨はすうすうと寝息を立て始めた。急展開に次ぐ急展開に追いつけなくなっていた瑞野は、ひとまず雨が寝たことに感謝した。水に入れていた睡眠薬が下層探索者に効くかどうかは正直なところ不安だったが一応は有効であることに安堵した。
生気のない顔の雨に助けられた後は彼のことを調べていたが、連日夜勤労働を続けていることを知るともしもの時のために睡眠薬を用意した。案の定雨は眠り、少なくとも十二時間は起きることはないだろう。
「今だけは休んで…雨さん」
被救助者の感謝は偉大と言うが、瑞野はそれをはるかに超えいていた。もはや執着といっていいそれは、単純に危機に陥っていたところを助けられたからではない。自身の太ももに乗せた雨の頭をなでながら彼を見つめる。深謀の昏い目は痛ましげでありながらも愛しさをにじませていた。
欲望の視線や感触に敏感な雨は、眠りが深く沈んでいたからかその粘りつくような視線に起きることはなかった。幸いと思っていいのか、幸運にも瑞野は意図せず望んだ時間を手に入れることができた。
「雨さん、雨さん、雨さん」
イントネーションの違いを楽しむ彼女は優しく微笑み、華奢な手で雨を撫で続けた。人は来ない、雨と瑞野のスキルがうまくかみ合って人除けの効果を発揮していた。瑞野だけでも十分だったのに雨によってそれがさらに補強されていた。
明日は休日、誰も気にすることなく翌日を迎えた。雨のタイムカードは八時間を超えると自動で落とされるので誰も彼がその後どう行動したかなど知る由もなかった。
「あれ、私寝てた?」
パチッと目を覚ますと、目の前に大きな子を描くものが二つ、その奥にこちらを見つめるキラキラとした少女の顔。まず雨が疑問に思ったのはなぜ自分が寝ていたかであった。
「…優さん、水に睡眠薬入れたね」
不自然に寝てしまう原因など限られる。起き上がった雨はガシガシと頭を掻きながらあきれた目を瑞野に向けた。動機も目的もすぐに思い至った雨はそこまでして私を眠らせたかったかと瑞野の行動力に驚嘆した。
「えへへ、やっぱりばれたか」
「当たり前、下層探索者を舐めないように。はあ、今の時刻はっと…2時?ああ昼か。5徹にしては思ったより短いな」
今日は休日だったはず、特に予定もないからいいけど晴が心配してるだろうな。帰ったらできるだけ構ってやろ。
「優さんこの後暇?」
「えっお誘い?いいよ今日は私も暇だったから」
「どうせまだ足のしびれが残ってるんでしょ。一回家に来て、おもてなしするから」
膝枕までしてもらって何も返さないのも不義理だと感じた雨は、一度帰宅するついでに瑞野に何か作れないかと考えた。街中を歩いているのに注目されることがない彼女は何かしらのスキルを使っているのだろう。巨大なリュックを背負って繁華街を歩いても違和感のなくなった現代、時代の順応とはつくづく恐ろしいと戦慄する。帰宅すると室内をうろうろして落ち着かない晴に事情を説明して、いつもどうり銀と金のベルを鳴らして体と部屋を清潔にする。
「で、こちら一応私の妹の晴です」
「はい、その一応って」
「私達孤児院育ちで幼いころから一緒にいたもので去年ここに住み始めてからは、同じ名字にしてもらうようダンジョン庁の担当官の方に頼んだらなぜか通った。つまり義理」
「超法規的措置」
「それがいいほうにも悪いほうにも働くからね」
すると二人は、あーっと遠くを眺めるように同意した。晴はまだ緊張しているようで、パジャマから着替えて外行きの服を着ているのにしわができるほどスカートを握っていた。ちゃぶ台越しに対面した二人はどちらから自己紹介に入るのか迷っていた。
「あの、私は小野崎晴って言います。それでどうして雨兄はこんな人気配信者を連れてきたの?」
「それはね、この前雨さんに助けてもらって昨日偶々ダンジョンで出会ったからだよ」
晴が中学生であり、体の成長が遅いということを教えられていたために、初対面でもそこまでショックを受けなかった瑞野だったがここにきて強引に話に入った。
「昨日?雨兄なにしてたの?」
「寝てた」
「ッ嘘」
信じられないといった様子で瑞野に驚愕の目を向ける晴はひどく取り乱した。家でも眠ることが少なかった雨を見てきた晴にしてみれば家以外で眠る雨の異常事態のほどが分かった。
「睡眠薬で」
「…瑞野さん出ていってください」
「まあ待ちなって、ほら、私ほとんど寝てなかったでしょ。だから瑞野さんが睡眠薬使ってくれたおかげで眠ることができたんだから良しとしようよ」
「でもどうせ盛られたんでしょ。昨日帰ってこなって来なかったのはそういうことだよね」
否定できない。痛いところを突かれたと渋い表情を浮かべる雨に対して、晴はキッと眉を下げて困ったような瑞野を睨み付けた。口を結んで大きな目を細める晴は背後に黒いオーラを出してウェーブのかかった艶やかな髪を揺らしていた。
「あの時点で雨さんを眠らせないと健康障害を起こすと思ったんです」
申し訳なさそうにそう言う瑞野に対して怒りの収まらない晴は正座から立ち上がろうとして隣に座る雨に淡々と肩を抑えられる。
「雨兄にそんな気遣いは必要なかった。知ってるでしょ、ソロのハイランナーの人間を逸脱した所業の数々を。疲れなんてスキルで回復できたのになんでわざわざ睡眠薬まで使って…」
「眠らなくても体は問題ない。けど心は?」
「ッッツ!」
「晴ちゃんこそ分かってたんじゃない?雨さんの限界」
今度こそ晴は顔をゆがめて瑞野からそらした。雨としても晴が実力行使に出てしまっては自分が止める羽目になるので助かったと安心した。晴とてそれは見えていたが結局のところ自前のスキルで回復してしまう雨には何も言えなかった。精神的な限界が来たとしても晴に頼ってくれるなら問題はなかった。それがこんな形でその役目を奪われたからこそ怒りを抑えることができない。
晴の考えていることが分かっている雨は、そっと彼女の手を握った。驚いて雨を見つめる晴から真剣な目をそらさない雨は内心を吐露した。
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