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片町の古民家風居酒屋。
山吹色の暖簾をくぐると、店内はすでに賑やかだった。
ビールジョッキが泡を立て、日本酒で頰を赤らめた客たちが小鉢に箸を付け、炭火焼きの煙が天井に立ち込めている。
壁には「本日のおススメ」の献立表がセロハンテープでペタペタ貼られていた。
「へい、ラッシャーい!」
「あのー!」
「へい!」
「三共保険の!」
「二階の座敷、どうぞ!」
「はーい! ありがとう!」
寿はとにかく明るく人懐っこい。
私は自分から誰かに話しかけることはほとんどなく、こういう賑やかな場所も苦手だ。
失恋した私を気遣ってくれた寿には悪いが、頃合いを見て早めに抜けようと思っていた。
それでも今日は寿のアドバイスに従い、開襟の白いブラウスに黒いジャストウエスト、細かい生成りの水玉模様の七部袖、ふくらはぎ丈のレーヨン混ワンピースを選んだ。
母親には「あれ、会社帰りにどこ行くの? 珍しいね」と二度見された。
「おぉ、良いじゃん!」
「そう?」
「野暮ったい制服じゃ魅力半減よ」
「そういう寿は……気合い入ってるね」
「大人の魅力よ」
「歳下狙いなの?」
「最高年齢は50代前半、下は新卒でもドーンと来いよ!」
寿は白いレーヨン混シャツにブランドのスカーフ、ボディラインがはっきり出る黒いミニスカートに赤いハイヒール、いつもの赤い口紅だった。
「肉食獣みたいね」
「何とでもお言い」
「そのストライクゾーンの広さで、なんで寿に彼氏ができないのか不思議」
「瑠璃は座ってるだけで彼氏ができるんだから、それこそ不思議よ」
「そうかな」
「この草食動物が! ハムハムと食い荒らしおって!」
寿は拳を握り、私のこめかみをグリグリと回した。
力加減を知らないのか、本気で腹が立っているのかは不明だが、かなり痛かった。
ただ、このテンポが今の私には救いだった。
ギシギシと音を立てて黒い木の階段を上ると、右手には幅広い和室。
掘り炬燵式の長いテーブルに大皿の料理がすでに並んでいた。
少し遅れて参加した営業部の面々は空いている席に点々と座り、私は人混みを避けて一番端の座布団に腰を下ろした。
「初めまして」
「あ、はい。営業の満島です」
「よろしくね」
「はい、これで全員ですかー!」
「お姉さん、生ジョッキ二十個、お願いしまーす!」
「はーい!」
若手の男性社員が階段を降りてビールを運ぶのを手伝っている。
程なくして全員にジョッキが配られ、寿の音頭で「今夜の出会いに!」と一斉に掲げられた。「かんぱーい!」両隣や斜向かいの社員たちが笑顔でジョッキを合わせ、勤務後の至福の一杯に喉を鳴らす。
(寿、あんたに彼氏ができない理由が分かったわ)
寿はその世話好きが仇となり、主催者側に徹している。
今も周囲のジョッキが空になっていないか確認し、伝票に注文を書きながら店員に声をかけ、奔走している姿がテーブルの向こうに見えた。
私は周囲に顔見知りがおらず、温くなったビールジョッキをチビチビと飲みながら時間を潰していた。
営業部の男性社員たちは私と建の交際を知っているので誰も声をかけてこなかったが、知らない事業部や広報部の男性社員が一人、二人と話しかけてきた。
「初めまして、ええと……」
「満島です」
「満島、何さん?」
「あ、瑠璃です。営業の満島瑠璃です」
彼らにとってはただの「へのへのもへじ」さんでしかなく、会話は長続きしなかった。
男性社員たちも限られた時間で出会いを求めているので、反応の薄い私の周りからは潮のように引いていった。
「ちょっと」
腕を組んだ寿が私の隣に膝を突き、枝豆を口に放り込みながら殻を小皿に捨てた。
その顔は実に不本意そうだった。
「な、なに?」
「瑠璃、あんた何、潮干狩りしてんのよ。男、誰も居ないじゃない」
「だ、だって……話すことなんてないし」
「奈良とは普通に会話してたんでしょ?」
「んー、返事はしてた、かな?」
「返事ぃ?」
枝豆を摘む手が止まった。
「うん、建の話を聞いていたっていうか」
「ちょいちょいちょい、初耳だわ」
「聞かれてないもん」
「何、あんた奈良と会話のキャッチボールなしで、身体はバンバンストライク決めてたってこと!?」
「し、しっ! やめてよ!」
寿は呆れた顔で私の隣に腰を落ち着けた。
「瑠璃には気の毒だけどさ、そりゃ他に女できるわ」
「ひどっ。傷口に塩塗る」
「あのさ、金八先生も言ってたけどさ」
「古い」
「うるさい! 武田鉄矢先生が言うには『人と人わぁ、支える』みたいな? あれ? 違ってたかな? そーゆーのが必要なの!」
「分かってるんだけど」
「甘い! 甘い甘い甘ーい! これだから草食動物は!」
寿は私の両肩に手を置き、ポンポンと二度叩いた。
「瑠璃、今度は泣いて縋れるような恋をするのよ!」
「はぁ」
「分かったか! はい、お返事!」
「寿、あんた酔ってるわね」
目は完全に座っている。
「寿、あんた今夜も彼氏はできないわよ」
ガラガラガラガラ。
山吹色の暖簾をくぐる男性。
「へい、ラッシャーい!」
「三共保険の」
「あ、二階っす! お飲み物は!?」
「あ、じゃ、烏龍茶で」
「へい、烏龍茶一丁! お二階!」
黒い革靴を下駄箱に入れ、濃グレーのスラックス、紺色の靴下がギシギシと黒い木の階段を上る。
和室に入ると、皆すでに出来上がっている様子だった。
私の姿に気づいて立ち上がろうとする男性社員がいたので、左手でその動きを制した。
退社してまで気遣う必要はない。
存分に楽しんでくれ。
(座る場所は……)
向かって右側、テーブルの一番端にいくつか空席があった。
しかしその傍らでは、顔を真っ赤にした営業部の村瀬が斜向かいの女性に説教を垂れている。
癖の悪い絡み酒か。
あの席は避けた方がいいかも――と思った矢先、村瀬が私の視線に気づき、振り向きざまに大きく両手を振った。
「係長! こっち、こっち空いてます! どぞー!」
「……あ」
そこには瑠璃さんが座っていた。
酒を飲んでもいないのに、心臓が跳ね上がった。
次回の村瀬の勤務評価は☆を一つ多く付与しよう。
「村瀬さん、顔、かなり赤いですよ?」
「異性間交流会ですから楽しんでます!」
「交流会?」
「そうです!」
「異性……間……交流?」
「その通りです! ご存知なかったんですか?」
「いや、上半期の慰労会だと思って来たのだが……」
(聞いていないぞ)
「まぁまぁ、どっちでも良いじゃないですか」
「ま、まぁ」
「飲み物はどうなさいます? 駆けつけ一杯で生ビールですか?」
「いや、車で来たので烏龍茶を」
「注文しますね」
「いや、先ほど――」
「お待たせしましたー、烏龍茶でーす」
目の前のテーブルに、水滴の滴る二杯の烏龍茶ジョッキが置かれた。
「注文は一杯……」
「あ、申し訳ありません。じゃあお下げしますね」
「……あ、私、飲みます」
瑠璃さんがおずおずと左手を挙げた。
やはり物静かで、動作の一つひとつが可愛らしい。
左手?
思わず二度見した左手の薬指には、あの瑠璃色の指輪がなかった。
視線が絡み合う。
「あ、あの、係長、何か……?」
「いえ、なんでも」
すると村瀬が瑠璃さんの飲みかけのビールジョッキを手に、乾杯のポーズを取った。
そして私に烏龍茶のジョッキを持てとクイクイと手を差し出す。
戸惑う瑠璃さんの指を持ってジョッキを握らせる。
「はい、係長と瑠璃にかんぱーい!」
「か、乾杯?」
「こ……寿、何言ってるのよ」
「いやいやいや、あとは若いお二人でどぞー!」
「若いって、私は君たちより10歳年上なんだが」
「気にしない、気にしない、ではおサラバでございます」
村瀬は私の左肩をポンポンと叩いて、向こうの集団へ合流した。
私と瑠璃さんは、一番端の薄暗い座布団の上に取り残されてしまった。
一枚板の長テーブルの向こう側では、幾つもの集まりができ、何度も乾杯を繰り返し、親睦を深めている。
さらに奥の暗がりでは、女性社員が男性社員の肩にしなだれかかり、囁き合う姿もあった。
その異性間交流会の全貌が見渡せる位置に座った私と瑠璃さんは、やや目のやり場に困っていた。
「み、みなさん積極的ですね」
「そ、そうです、ね」
微妙な間。
「る、いや、満島さんはこの会がコンパだと知って参加したの?」
「はい。寿……村瀬さんに誘われて来ました」
「奈良くんが嫉妬しそうだね」
「……!」
瑠璃さんのジョッキを持つ手の動きが止まり、身体が一瞬強張った。
その変化に気づいた私は慌てて詫びた。
「申し訳ない、プライベートなことに踏み入るつもりはなかった。すまない」
「え、いえ。大丈夫です」
そう言いながらも、ダウンライトの影になった瑠璃さんの横顔は暗かった。
「週末、富山に行くと聞いていたから、つい」
「あ、有給、ありがとうございました」
「いや、働く社員の権利だから」
「はい」
「満島さん、有給はしっかり消化しないと。まだたくさん残っているでしょう?」
「はい」
「どこか旅行にでも。海外……あ、国内旅行、温泉もいいね」
「温泉、お好きなんですか?」
「ん、山中、山代、辰口、川北、中宮、犀川、湯涌」
「すごい」
「あとは七尾かな。石川県内の温泉は行き尽くした感じだね」
「そうですか、良いなぁ、温泉」
「年寄りくさいだろ?」
「そんな事、無いです」
「今は富山か福井あたりで探してるんだけどね」
「……富山」
富山という言葉が出るたび、瑠璃さんは視線をテーブルに落とし、寂しげな顔をした。
左の薬指から消えた指輪と、何らかの関係があるのかもしれない。
意地が悪いとは思いつつ、私は敢えて口にした。
「満島さん」
「はい?」
「ちょっと気になったんだけど、無いね」
「無い、無い?」
「指輪。シルバーの青い石の指輪」
「あ……」
「奈良から貰ったんだろう?」
「あぁ、指輪、はい」
「今は外しているの?」
瑠璃さんは軽くなった薬指をそっと撫でた。
それを横目に、私は烏龍茶のジョッキを口に付け、ぐいっと飲み干した。
カランと氷が底に落ちる音がした。
「満島さん」
「はい」
「飲み会、苦手なんじゃない?」
「はい、もう帰ろうかなって思ってました」
「そんな感じはした」
「そうですか?」
「退屈そうな顔をしてたよ」
「分かっちゃいました?」
「うん」
その時、瑠璃さんが額に強い視線を感じて顔を上げると、寿が「グッ!」と親指を立てていた。
瑠璃さんがそれを真似て指を立てると、寿はにやりと笑い、階段の方を指差しながら私に向かって手を左右に振った。
「?」
「満島さん、私、車なんです。送って行きます」
「へ!?」
「先に降りていてください。すぐに行きます」
「は、はい?」
黒木からの突然の申し出に戸惑い、座布団が尻に張り付いたままの瑠璃を見かねたのか、寿がズカズカと歩いてきた。
「はい、若人は帰った、帰った!」
「え、寿、なに言ってるのよ」
「係長、男性5,000円、女性3,000円ですよ」
「ちょ、寿!」
黒木は寿に一万円札を手渡し、「釣りは要らない」と言って黒い木の階段を降りて行った。
何がなんだか分からない瑠璃に、寿がニヤリと笑ってショルダーバッグを胸に押し付けた。
「瑠璃」
「な、何よ」
「建なんかよりずーっとあんたにお似合いよ」
「え」
「保証つき。明日、ちゃんと報告しなさいよ」
「報告って……」
「ほら、行った、行った!」
瑠璃は否応なしに、黒木の待つ居酒屋の出入り口へと向かうこととなった。