姬愛が本を手に取ると、背後の人物がゆっくりと近づいてきた。
「……その本、珍しいね」
低く、けれど柔らかい声だった。姬愛はびくりと肩をすくめる。
振り返ると、黒いコートに身を包んだ少年が立っていた。
瞳は澄んでいて、まるでこちらの心のわずかな揺れも見透かすようだ。
「……あなた、誰?」
姬愛は警戒しながらも、声を少しだけ柔らかくした。
「ただの通りすがり。珍しい本があったから、気になってね」
少年は微笑みもせず、けれど冷たくもない表情で答える。
姬愛は本をぎゅっと抱え直した。
普段なら、他人と関わることは避ける。けれど、この少年の存在は、どこか違った。
彼の視線は押しつけがましくなく、しかし確かに自分に向けられている。
「……ふーん」
言葉はそっけなく、感情は表に出さない。
でも、姬愛の胸の奥では小さな何かがざわついた。
少年は少し間を置き、話を続けた。
「君、こういう服、好きなんだね」
姬愛の派手なロリータ服を指差す。
「うん……まあ、自分の好きだから」
姬愛は軽く肩をすくめ、視線を外す。
少年はそのまま頷き、少し微笑むような仕草をした。
「そういうの、悪くないと思うよ」
その一言は、姬愛にとっては不意打ちだった。
普段なら、冷たい視線や囁きで傷つくことはあっても、誰かに認められることはほとんどない。
でも、今の少年はただ、静かに自分を受け止めてくれている――そんな気がした。
姬愛は少しだけ本を開き、ページをめくる。
少年はその横で、同じようにページを覗き込みながら、何も言わずにただそこに立っていた。
時間がゆっくりと流れる。
姬愛は心の中で、自分でも気づかないうちに少しずつ警戒を解いていた。
孤独でいることはまだ心地よい。けれど、この一瞬だけは、孤独を忘れてもいいような気がした。
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