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こんな感じで、妊娠からさらに2か月が過ぎた。
結果からいうのであれば、私の子供はこの世に生を受けることはなかった。
わかりやすく言うのであれば、流産した。
一瞬だけ固まった。どうしていいか分からなかった。
サペンタを呼べば、「…流産です」と一言私に告げて、その瞬間に、だらんと崩れ落ちる体をできる限り支えてくれた。
ただ、涙が止まらなかった。
泣きすぎて、泣きすぎて体が動かなくなって、這いつくばってもそれでも大きな声を出してみっともなく泣いた。
頭が痛くなって、過呼吸になって、息が途切れ途切れで、肺が破裂しそうになろうと、
水分が足りなくなって目から涙が途切れても、叫びすぎて喉が痛くなろうと、股から血が出ても泣いた。
ここからどうしたらいいかわからず、サペンタに泣きついても
「……母体が若いですもんね。しょうがないです。
あなた様は悪くありません。こんな年齢で妊娠させた旦那様が悪いです」
どうしたらいい、じゃなかった。もう、どうしようもなかった。時は戻らない。思い描いていた、幸せな将来だって来ない。
それでもあきらめきれなくて、「ここからどうにかならないの」と小さな亡骸を持って聞いてみても、「どうにも、私にはできません」と返される。
口に入れて治癒力を強化しようとしても、何も起きず、スキルが発動する感覚もなかった。
ただの死体もどきに、強化するもクソも、何もなかった。無力感が全身を襲った。
その様子を見たサペンタが呟いた。
「どうにか、できるなら、してあげたいです。私も、言いにくかったんですけれど、ずっと楽しみにしてたので。
……今度こそ、お姉ちゃんになれると思ったんですけどね」
その言葉が、ひどく自分勝手に聞こえた。自分の幸せだけを優先している気がして、無性に腹が立った。
そう、ちょっとした言葉で、別に、怒るべきではないはずだったのに、
私には、それが無視できないほどに、悲しかった。辛かった。それが免罪符にならないことさえ分からなかった。
悲しみがそのまま、サペンタへの怒りに行ってしまった。
私はその怒りを言葉にすることもできず、「黙れ」と一言、ヘロヘロのできる限りの力でビンタして、
そのまま木箱のベッドに寝転がって、顔を固い板に押し付けて鼻をすすりながらどうすればよかったのか、考えたくもないのに考えて自己嫌悪に陥って、
サペンタにビンタしたことに頭が行って、なんてことをしてしまった、サペンタは悪くないのに、
一人ぼっちになってしまうと後悔をして、
希望が無くなって、何もしたくないと絶望して、
このまま死にたいと思って、コボルトにやったように心臓だけを強化して自殺しようとした。
またしても発動はしなかった。スキルには最低限の安全機能が備わっているようだった。
薄い布団を鼻水でぐちゃぐちゃにして、洗濯するサペンタのことも考えないで、吐いて、疲れて、汚物にまみれたまま泥になって眠った。
――
花瓶を壊したことがある。その日の夢を見た。
普通の陶器で、そこまで高価な、豪華なものでは無かったと思うが、とにかく割ってしまった。
お父様は出かけていて、メイドも近くにいなかった。誰かが「ここの花瓶は?」と指摘されるようなことがなければ、気づかれることはなかった。
どうしよう、どうしようと思って、とりあえず、指を切りながらも片づけて、自室に戻ろうとしたときに、
私の後ろから聞こえてきたのだ。「ここの花瓶を知りませんか?」と、長らく私の実家に勤めていたメイドが私に質問したのだ。全く違うはずなのに、サペンタの声に似ていた。
走って逃げることしかできなかった。心臓がバクバクするのを手で押さえて感じながら、どうしよう、どうしようと再び思って、布団に包まって、お父様に怒られる明日、希望のない明日から逃れようとした。
瞬きするたびに、世界が終わっていることを願った。自分の子供がいない世界なんて消えてしまえばいい、と思った。
息をするたびに、お父様の帰りが遅れることを願った。妊娠がもっと遅れていれば、と思った。
唾をのむたびに、花瓶が治っていることを願った。子供がちゃんと生まれていれば、と思った。
そして脈絡なく私が割れた花瓶に胸を刺されて死んだ。
終わり。
――
思い浮かぶ限り最悪の目覚めだった。心臓が、空いている。ふーっと体が地につかなくて、それでいて、重さが体を乗って。
そんな感覚がしながら汚れた体と共に目覚めた。
「体を拭いてください、私は旦那様に報告に行ってきます」と書かれた板と、雑巾と水が入った桶があった。
それでも、寝る前に比べて心は落ち着いていた。落ち着いたらダメに決まっている、少なくとも私はそう思ったのに、
それでも落ち着いていた。自分が嫌になったけれど、それでも眠る前よりも、心が僅かに軽いのが嫌だった。
嫌なことすら嫌だった。
体からは異臭がしていた。体を拭かなくては、という当たり前のことで頭が少し冴えて、体を拭くことにした。
体を拭くというのは、必然的に自分の体を見ることになる。
そこにあるのはちゃんと、子供を産めなかった体である。苦しい。死にたい、と再び思った。こんな体なんていらない、とすっと思った。
自傷行為に至るのも早かった。
忌々しく見えた左手の肌を口で嚙み、血がそこから溢れて、だばっとした鉄臭い液がそのあたりに溢れた。
そうだ、死のうとして、できなくて寝たんだった。このまま血が溢れれば死ぬだろう。
だばだばとあふれる血を眺めて、これで楽になれるな、と思った。
死の恐怖もあった。だけれど、それ以上に絶望していた。
人が自殺するときは、きっとこういうときなんだろう。
死ぬのが怖いけれど死にたい、これが強くなった時。そう、人に言わなくても死にたいと思うとき。
でも、せめてサペンタには看取ってほしいと思った。最後に死ぬのが、誰一人いないのは凄く、空しいことだと思った。
誰かの哲学本で読んだことがある。「人は死ぬ為に生きるのだ」と。
それならば、死ぬ時を充実させなければならないのだ。
サペンタだけはせめて呼びに行こうと、溢れる血でちょっとずつ貧血になりながら本館前まで向かった。
サペンタは本館前に立ってぼーっとしていた。うわごとのように「どうして」と呟きながら。
それを見て、死にたいと思っていた自分がバカというか、なんでこんなことしているのかわからなくなった。理由はわからない。
感情が地震のように大きく揺れているのを感じている。1秒前の自分が、常に愚かに思える。
それでも、思い立ったことに動くべきだと思って、治癒力を強化して肌にかさぶたを作った。
「……その、サペンタ。ごめんなさい」
サペンタはそれでも、ぼーっと突っ立っていた。
許してくれないのが嫌だった。我儘ではなく、願いとして、うまく言葉にできないが、お願いとして嫌だった。
「許してください。見放さないでください。
友達でいてほしいです。家族じゃなくていいです、近くにいてほしいです。
ちょっとでいいので、話を聞いてください、口を開いてください、こちらを、どんな目でもいいので見て下さい。
やっぱり許さなくていいです、せめて、私を見てください」
サペンタがこちらを見た。顔を歪めてこちらを見ている。
けれど許すでも、許さないでもなく、サペンタは別のことを言った。
「……父さ、お父さま、いや、旦那様に、犯されたんです」
それは禁忌だった。近親相姦。私の脳を粉々に砕くだけで足りず、私をかきまわし惑わせ、固めつくした。
サペンタは歪めた顔から水が垂れていた。
そう、泣いていた。少なくとも私が見たことのないほど、サペンタは精神的に、弱くなっていた。
「助けてよ、ホキサ……」
それは、長らく呼ばれていなかった私の名前だった。
一瞬だけ意味が分からなかった、ただ、それは確かに、私の真名だった。
胸を撃ち抜かれたような感覚がした。脳が、揺れた感覚がした。
助けなければ、と反射的に思った。