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私のSNSは近江との日々で埋め尽くされた。
二人でシャンパンを掲げる指先、意味深な右手の指輪、手を繋いだ夕日に伸びる影。キャプションも、――二人の未来に乾杯、とこの出会いを心から喜んでいた。
100万人のフォロワーからは『素敵!』『おめでとう!』とコメントが寄せられ、私は幸せに満たされていた。投稿するたび、胸が温かくなる。
近江はいつも優しくて、私のペースに合わせてくれる。デートは毎回違う場所で、でも必ず私の好きな赤い何かを入れてくれる。赤ワイン、赤いバラ、赤い夕焼け。雪絵は、それを見ていた。最初は黙ってスマホを覗き込み、「幸せそうね、紅子」とだけ言った。
でも、日が経つにつれ、姉の瞳が少しずつ曇っていくのがわかった。白い薔薇を摘む指が、以前より強く、花びらをちぎるように。
ある夜、私は新しい投稿をアップした直後、リビングに戻った。
雪絵はソファに座り、私のスマホを手に持っていた。画面には、私と近江のツーショット。
彼が私の肩を抱き、私が頰を寄せている写真。
「紅子……本当に、この人でいいの?」
私は姉の隣に座り、静かに頷いた。
「うん。龍彦さんは、嘘をつかない人だよ。雪絵が調べたでしょ? 何も出てこなかったって」
雪絵はスマホをテーブルに置いた。
「出てこなかったのは、今のところだけ。男は、いつか変わる。父親みたいに」
私は姉の手を取った。
「雪絵……私、初めて本気で誰かを好きになった。信じたいの」
雪絵は私の手を握り返した。でも、その力は少し強すぎて、痛いくらいだった。
「だったら、最後まで見届ける。私が、紅子の幸せを守るから」
その言葉に、私は少しだけ寒気を感じた。――守る、って、どういう意味?
翌日、近江からメッセージが来た。『雪絵さんも一緒に、週末旅行はどうかな?紅子さんの大事な人だから、ちゃんと話したい』私はすぐに雪絵に見せた。姉は一瞬、目を細めてから、ゆっくりと微笑んだ。
「いいわ。行きましょう」
週末の旅行は、近江龍彦の提案で箱根の老舗旅館に決まった。温泉付きの離れ、専用露天風呂、夕朝食とも部屋食。
「ゆっくり話したいから」と彼は言ったが、雪絵はそれを「逃げ場のない密室」と解釈した。
金曜の夕方、私たちは近江の運転する車で出発した。後部座席に雪絵と並び、私は窓の外の夜景を見ながら、ルームミラーで彼の横顔を盗み見る。雪絵は無言でスマホを操作し続け、時折私の手を握って「大丈夫?」と目で訊く。
旅館に着くと、部屋は予想以上に贅沢だった。広々とした和室に、ガラス張りの露天風呂。テラスからは箱根の山並みと、満天の星が見える。
夕食は部屋に運ばれてきた会席料理。近江は浴衣姿で、私たちに酒を注ぎながら、穏やかに話し始めた。
「雪絵さん、紅子さんのこと、いつも守ってくれてるんですね。本当に、感謝してます」
雪絵は微笑みながら、静かに返す。
「姉妹ですから、当然です。近江さんは、紅子を幸せにできますか?」
近江は私の目を見て、真剣に答えた。
「できます。紅子さんが望むなら、一生守ります」
22
私は頰が熱くなるのを感じた。
雪絵はグラスを傾けながら、静かに観察している。食後、近江が提案した。
「露天風呂、広いから3人で入りませんか?もちろん、水着で」
雪絵が即座に頷いた。
「いいわね。もっと、近江さんの本音が聞きたいし」
夜の露天風呂。湯気が立ち込め、星が降るような空の下。
私は赤いビキニ、雪絵は白いワンピース水着、近江は黒のボードショーツ。湯に浸かりながら、会話は深くなっていった。近江は自分の過去を語り始めた。両親の離婚、父親の浮気、母親がどれだけ傷ついたか。「だから、絶対に人を裏切るようなことはしたくない」と。雪絵の瞳が、わずかに揺れた。
――私たちと同じ傷を、持っている。
私は近江の手を湯の中でそっと握った。彼は握り返し、優しく微笑んだ。雪絵は静かに、私たちを見つめていた。その夜、寝る前。近江は別の部屋に案内された。私と雪絵は、同じ布団に並んで横になる。暗闇の中で、雪絵が囁いた。
「紅子……彼、嘘はついてないみたい」
私は息を呑んだ。
「うん……」
雪絵は私の髪を梳きながら、続けた。「でも、私たちの掟は……」私は姉の手を握った。「雪絵。もう、狩りは終わりにしたい」長い沈黙の後、雪絵が小さく息を吐いた。「……わかった。紅子が幸せなら、それでいい」私は姉を抱きしめた。
初めて、雪絵の肩が小さく震えているのを感じた。
翌朝、朝食の席で近江が言った。「二人とも、ありがとう。これからも、家族みたいに仲良くしたい」雪絵は微笑み、初めて――本当の笑顔で頷いた。