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繁華街から少し離れた、静かな路地裏に立っていると、やがて遠くから、見覚えのあるたくましい風貌の男が近づいてきた。
何年ぶりだろうか。この人と、兄の組織との抗争をきっかけに、私の方から距離をとってしまっていた人だ。
彼との馴れ初めは、私がこの街に着いたばかりの頃。仕事の途中、時々顔を合わせているうちに親しくなり、やがて人目を忍んで二度、三度と会う回数を重ねるようになっていた。
「随分久しぶりですね。突然呼び出してしまったにも関わらず、わざわざ来てくださって、本当にありがとうございます。」
「そんなに堅くなるな。長いこと会っていなかったんだ。久しぶりに顔を見に来るくらい、当たり前だろ …って、それよりどうしたんだ、その腕。」
「あっ、これは…。訳は後でお話しします。」
ああ、この人は本当に、強くて優しい。仁侠者の性だろうか、情にもろいところもあるが、真面目で他人想いなのだ。
ましてや、こんな私にまで、昔と変わらずたくましい笑顔を向けてくれるのだから…。
「実は今日呼び出したのは、ちょっとお伝えしたいことがあって。」
「そうか。少しこの辺に座るか?」
そう言うと彼は、もう夕日が差し込んできたビルの裏の、コンクリートの階段に腰を下ろした。私も彼から少し離れて、隣に座る。
「実は…」
私は今までの間におきた全てのことを彼に打ち明けると、最後に彼の耳元に少しだけ顔を近づけ、他の誰にも聞かれないようにそっと、この街、すなわち裏社会を去る旨を伝えた。
全てを聞き終えると、彼は心なしか、ほんの一瞬少し寂しそうな表情を見せてから、
「そうか…。災難だったな、その腕の怪我。」
とだけ言った。
「いつか、二刀流のお手合わせをしていただきたかったのに、残念です。」
私はなんとか笑い話で締めくくろうと、ぎこちない笑顔をつくった。
二人の間に、ほんの少しだけ、沈黙が流れた。
「…。今日は来てくださって、ありがとうございました。これからも、お気をつけて。」
気を取り直すと、私は穏やかにこう切り出した。繁華街に明かりが灯り始める。これから彼も忙しくなる時間だ。夜のこの街では、いつ、何が起こるか分からない。最後に会ってから今までに起きたことはもう全て話した。これ以上、彼を引き留めるわけにはいかない。
「そうか、もうこんな時間か…。まあ、お前もこれから上手くやれ。」
「…はい。」
「もう、ここには戻ってくるんじゃねぇぞ。」
そう言って、私達は笑顔で別れる。
今更ほんとうの名前を明かさなくとも、彼はとうに知っているだろう。
私が、かつて彼に汚い手を使って傷を負わせた男の妹であることを。
そうである以上、もうこれ以上顔を合わせることはできない。それでも最後に、どうしても言っておきたい言葉があった。
「あの、待って!待って…ください。」
「おう?」
「お腹の傷…本当に申し訳ありませんでした!」
私は兄に代わって深々と頭を下げる。
そして最後にこう付け加えた。
「私の…私の左袖には、何も入っていませんから!」
それを聞いた彼は歯を見せてたくましく微笑むと、分かってるよ、と言わんばかりに私の右肩を、励ますように軽く叩いた。
-裏社会で最後に言葉を交わしたのが、本当に、この人でよかった…。
遠ざかるたくましい後ろ姿を見つめながら自分に言い聞かせると、私は彼の行く方とは反対側へ、小走りに歩き出した。