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「さて……俺がなんでこんな長話をしたかわかるか?」
「わかると思います……。お父さんの奇術は、ビッタだったのですね」
「……ああ」
と大垣は口を開け、おしぼりで顔を拭った。
「そこは知ってても知りませんでしたと答えるのが筋じゃないのか?」
「オーナーの長話をちゃんと聞いていたことを証明したかったのです。ご容赦ください」
「有利に進めていた商談を、土壇場でくつがえされた気分だ」
「前の打者がサヨナラホームランを打って、ぼくの出番がなくなった気分ってことですね」
「そりゃ、チームが勝利したからいいじゃねぇか」
「そのホームランにより彼は一軍に昇格し、ぼくは二軍に残りました」
「……同情するぜ」
大垣は店員を呼び、父が好きだったという日本酒を注文した。
ふたりは酒が届くまでのあいだ、賑わう店内を言葉なく眺めた。
酒が届くとツトムが酌をし、ふたりはお猪口を合わせた。
「オーナー。結論を聞かせてください」
ツトムは日本酒をあおり、大垣もすぐに猪口を空にした。
「つまりだ。金もろくに稼げず、家で日常的に暴力を振るった親父は、いずれにしてもクズだ。しかしじつは手の震えやむきだしの暴力性が、ビッタのデメリットによるものだとしたら、同情の余地は多少なりとも存在する。
すでに死んじまって長い年月が経ったから真相はわからんが、後年になってビッタというものを知った俺は、親父を少しだけ許してやることにしたんだ。おふくろは90を超えていまだ健在、大往生だ」
大垣の母がまだ存命であることに、ツトムはなぜか胸を撫でおろした。
大垣はつづけた。
「ビッタが快適に暮らせるシェアハウス。それを作ったのは、いわば俺にとっての親孝行の一環だ。親父が生きてる時分には考えもしなかったが、この歳になってとつぜん孝行をしたくなってな。本来は還暦前に完成させるつもりだったんだが、世界情勢っていうデカい波のまえで、俺もちっとは苦労があってな。予定が少々遅れた」
「事情は理解しました。にしても、入居者への待遇があまりに良すぎませんか。労働もせずに給与を受け取れるなんて」
「あのな、親孝行ってのは、己が己の親のためにやるものだ。俺でも大垣修でもなく、ましてやシェアハウスの住人でもない部外者のおまえに、とやかく言われる筋合いはない」
資本主義論理とは別次元の話だ、と大垣はつけ加えた。
ツトムは大垣の言葉をゆっくりと噛みしめながら、シェアハウスで暮らす自分の姿を想像してみた。
多くの能力者に囲まれて暮らす日々は、ともに戦うチームメイトとの寮生活とどうちがうのだろうか。
いまのツトムにはうまく想像できなかった。
「ところで……。ビッタをもたない大垣オーナーが、一体どうやってお父さんがビッタであることに気づいたんですか。
海のない国に海という言葉がないように、ビッタをもたない人にとっては、そうした概念すら存在しないのではないでしょうか」
「そりゃ、美濃輪雄二が入社したからだ」
「美濃輪さん」
漆黒のスーツに固めたオールバック。
表情の変わらない鋭い目つきが頭に浮かぶ。
「雄二は入社した当初、一般業務に就いてたんだがな。俺の親父が奇術師だったのを知ると、詳しく話を聞かせてくれと社長室に押しかけてきた」
大垣はそう言ってテーブルをコンコンと叩いた。
「この店のちょうどこの場所でな。おまえに話したのとおなじ内容を伝えたよ」
「彼にこの場所は似合いませんね」
「俺に似合うからいいんだ」
「……続けてください」
「雄二は俺の親父の話を聞いた直後に、惜しげもなく自分の素性を明かした」
「能力者のオーラが見える能力をもっている」
「そう。この世にはビッタという存在がいて、大垣修も疑いなくそれに当てはまると言いやがった。あまりのバカげた言い分に、貴様どこの教団に所属してるんだと問うたが、知ってのとおりヤツの表情はまったく揺るがなかった」
「オーナーがそう考えるのは当然です」
「俺は基本的に、人を空気感だけで判断する人間でな。久しぶりにうさん臭いヤツが現れたと感じたぞ」
「しかも美濃輪さんのビッタは、たとえば手首から生クリームを吐きだすような、目に見えるようなものではない」
ツトムは神谷ひさしの、裂けた手首を思いだした。
能力というものは科学が正しいとされる現代においては、論理のはるか外側にあるものだ。
大垣の父が半裸で物体を移動させていなければ、シェアハウスも今日のこの出会いもあろうはずがなかった。
「雄二は数日後、ひとりの男を連れてきた。その男は俺に会うやいなや、俺の前で意気揚々とビッタを披露したんだ」
「どんなビッタだったんですか?」
「そりゃもう、とんでもなくくだらないビッタだ。でもな、そいつのくだらないビッタを眺めてたら、涙がとまらなくなっちまってな。幼いころに住んでたボロボロの家や、国全体が貧しかった少年時代の原風景が頭にありありとよみがえってきたんだ。
暴力に苦しめられるおふくろや、酔って怒り狂う親父の姿。いい思い出なんてひとつもなかったが、それでも懐かしくてたまらんかった。ほんとうの意味で俺が親父を許せたのは、そいつのクソほどつまらないビッタを目にしたときだったのかもしれん」
「それは、過去を美しく想起させるビッタですか」
「ふん、なかなかにロマンチックな発想だが、現実はそんなに美しいもんじゃねえ。
そいつのビッタがなんであるかはシェアハウスの規定上教えてやれんが、とにかくくだらないビッタだということだ」
「本人に会ったら直接見せてもらいます」
「ああ。でかい声でくだらねえと言ってやれ」
大垣とツトムは日本酒を口に運んで店内を眺めた。