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それから何十分、何時間が経過したかは分からない。
意識の底から僕を呼び戻したのは、規則正しい心地よい音だった。
まな板で食材を切っているようなトントンと言う音と
同時に鼻腔を刺激する、ジンギスカンらしき香ばしい匂いが寝室まで漂ってきた。
(しゅん…帰ってきたんだ…)
微睡みの中でそう思ったのと同時に、心臓が跳ね上がった。
目を見開き、慌てて飛び起きた。
枕元に置いていたスマホの時計を見ると、時刻は8時過ぎ。
敦が帰宅する目安の時間をすでに超えている。
ふと、あとから洗おうと思ってシンクに付けていたお皿を思い出した。
頭に冷水を浴びせられたような衝撃が走る。
少しだけ仮眠を取ってからリビングに戻るつもりだったのに、結局あのまま眠ってしまったんだ。
家事をするどころか、出迎えることすらできずに。
僕は急ぎ足でリビングに向かった。
すると、さらに濃厚なタレとお肉の匂いが一気に押し寄せてきた。
ジュージューという小気味いい音が部屋を満たしている。
「あっ、ひろ起きた?」
足音に気付いたのか、敦が振り返った。
そこには、いつもの穏やかな敦の姿があった。
「し、しゅん…えっと」
言葉がうまく出てこない。
敦はいつものエプロン姿で、フライパンとヘラを持って皿に盛り付けをしているところだった。
手際よく、湯気の立つ料理を大皿に移していく。
「おはよ、今ご飯できたとこだからさ。ひろ、お茶碗とかお箸出してもらえる?」
敦はいつもと変わらない笑顔を向けてくれる。
責めるような色など、その瞳にはひとかけらもない。
「う、うん」
僕は言われた通り食器棚に向かうと、敦と自分の茶碗を二皿と箸、コップを取り出した。
指先が少し震える。
そして炊飯器を開けてしゃもじでご飯をよそった。
ふわりと立つ白米の湯気が、冷え切った顔に触れる。
お互い用意が終わると、席に向かい合って座った。
「それじゃあ、いただきます」
一緒に手を合わせて食卓を囲む。
いつも通りの、温かい夕食の風景。
箸を持つ手が妙に重い。
喉の奥に何かが詰まっているようで、うまく呼吸ができない。
だって、僕、昼に食べた自分の皿洗ってない。
リビングに出てきたとき、シンクを一瞬見た。
でも見た感じ、流しにも、水切りカゴにも皿は置いてなかった。
綺麗に片付いていたのだ。
敦が洗ってくれたとしか考えられない。
仕事から疲れて帰ってきて、最初に目にしたのが恋人が放置した汚れた皿。
それを彼が黙って洗ってくれたのだと思うと
罪悪感が押し寄せてきて、嫌な汗が垂れてくる。
申し訳なさと恐怖で、胃のあたりがキリキリと痛み出した。
「ひろ?箸止まってるけど…食欲ない?」
#prtg
@ きみ以外なんて選ばないよ
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