区役所で令和のパネルを手に写真を撮ったあと、焼き鳥屋で焼き鳥と酒をご馳走になったのどかは、今、友だちと冷蔵庫を抱え、夜道を歩いていた。
「ほんとに五千円でいいの? この冷蔵庫」
まだ新しいじゃん、と風子は言う。
アパートから引っ越すことになったので、いらなくなった家具などを安く友だちに分けているのだ。
冷蔵庫もタダであげると言ったのだが、
「いやそれ、お礼がめんどくさいから、お金とって」
と言われて、五千円になった。
女二人で抱えられないこともない中型の冷蔵庫だ。
「ねえ、あんた、ほんとに会社やめんの?
社長に謝りなよ~」
と風子は言う。
同期で入社して、一緒に楽しく酒を呑み、職場の愚痴を言い合い、旅行に行ってはダラダラした。
そんな仲間のひとりが消えるのが寂しいのだろう。
他の同期がやめたとき、自分もそう思ったからだ。
「綾太に謝るなんて絶対嫌だし。
そもそも、なにを謝るの?
私、なんにもしてないのに、いきなり、
『もうお前の顔も見たくない。
クビだっ』
って言われたのよ」
「なにその、私怨しかなさそうな解雇通告……」
幼なじみって厄介ね、と言われる。
「あんた、酔って、ツッコミ入れるとき、派手に頭殴ったとかじゃないの?」
今更そんなことで、クビにしないと思うが……。
そんなの今までにも散々やっている。
なんなんだろうな~と思いながら、闇夜に紛れて冷蔵庫を運んでいると、ウォーキング中の人に出会い、ぎょっとされた。
不審に思われないよう、
「こんばんはー」
と挨拶する。
その人が遠ざかったあとで、風子が呟いた。
「あー、今、絶対、私たち夜逃げの人だと思われたよー。
10連休なのに。
新元号になったのに、なにやってんの? 私たち」
「いやあ~、元号変わろうが、年が明けようが。
いきなり人間変わったりしないからね~」
うう、持ちにくくて指が痛い、と思いながら、のどかはそう言った。
近所だから運ぶの楽勝だと思っていたが、全然楽勝ではない。
「暗闇でお兄ちゃんの新車磨いてたとき以来のギョッとされ方だったよ、今の」
と言って、
「あんた普段、なにやってんの……」
と言われてしまう。
「でもさー、なんでアパートまで解約したの。
収入が途絶えるから?
仕事選ばなきゃ、次の就職決まるまで、そんなにかかんないんじゃないの?
幾らなんでも退職金はくれるでしょうし、社長。
引っ越し費用の方が大変じゃない?」
「連休終わってみないとわからないけど。
退職金出してくれるのは、綾太じゃなくて、人事と経理だから、大丈夫だろうけどね」
だが、アパートを更新しなかったのは、クビになったせいではない。
……結婚したからだ。
酔っていたので、うろ覚えだが。
婚姻届を出しに行く途中で、ぐへへへと言いながら、更新しないと大家さんに言ったらしいので、恐らくそうだろう。
だが、この友に、まだ結婚したことを言ってはいなかった。
いつ離婚するかわからないからだ。
「いや、いい古民家を破格の値段で紹介してくれた人が居てね」
と引っ越しの理由らしきものを述べると、
「古民家!」
とすぐに風子は反応する。
「いいねえ、古民家っ。
流行りだもんね、今っ」
いや、たぶん、貴女が妄想した古民家とはかなりかけ離れてると思いますけどね……と思いながらも、友人の夢を壊しては悪い気がして言わなかった。
まあ、そのうち、招待したら、すぐにバレるが。
「今度、遊びに行かせてね。
いいなあ、一軒家かあ」
「あ、うん」
と曖昧に返事をしたあとで、気づく。
「いやでもさ。
ひとりで住んでるんじゃないんだよ」
「え? 一軒家なんでしょ?」
「大きな一軒家なんで、半分に分けてあるの。
半分は違う人が住んでるんだ」
「ええっ?
なにそれ、大丈夫なのっ?」
「うん。
鍵がついてるから、隣との境に」
「そうなんだー。
で、隣の人、どんな人?」
少し先に、灯りのついたスナックの看板がある。
その側のポリバケツの上にふさふさの猫が寝ているのを見ながら、のどかは言った。
「知らない。
見たことないから。
一応、引っ越し蕎麦は玄関に置いておいたんだけどね」
道の駅とかで売ってるような乾燥したダシ付きのやつだが。
「どんな人なのか、大家さんも知らないみたいだし」
「……なんで大家さんが知らないのよ」
「不動産屋さんが管理してるから、よく知らないって」
「不動産屋さんに訊けばいいじゃない」
「だって、不動産屋さん知らないもん」
「あんた、誰に借りたのよ、家……」
いや、だからその大家さんに借りたのだ。
成瀬貴弘という大家さんに。
「どうしても俺と一緒に住まないというのか」
あのあと、焼き鳥屋で貴弘に言われた。
「はあ、仮の妻なので」
「……じゃあ、何処か部屋を借りてやる」
よく冷えた日本酒を呑みながら、貴弘が言う。
カウンターに座ったので、目の前で焼き鳥が焼かれていた。
ああ、この脂が炭火に落ちる音とタレと脂の焦げた匂いがたまらん、と思いながら、のどかは言った。
「安い部屋がいいんですけどね。
お金ないので」
「お前が払わなくていいだろう。
俺が夫だ。
俺が払う」
「いやいや、そんなご迷惑をおかけするわけには……。
自分で払いますよ」
ともめたあと、
「じゃあ、俺の所有している、見たこともない古い家があるんだが。
そこに住んでみるか、家賃安いし」
と貴弘が言い出したのだ。
その問題の古民家だ。
所有者が見たことない家ってなんなんだと思ったが。
成人したとき、ひいおじいさんから祝いにもらった不動産のうちのひとつらしく。
手続きも人任せだったので、よく知らないらしい。
「不動産屋には話を通しておく」
と言われ、次の日、会社で、鍵と住所を渡された。
だから、正確には借りたわけではなく、人の入っていない半分のスペースを持ち主である貴弘が使う、という形になるわけなのだが。
相応の家賃は払うつもりだった。
一緒に引っ越しの下見に行って、その家を見た貴弘は、
「……これで一万円とか、ぼったくりだろう。
二千円くらいでいいんじゃないか? 家賃」
と言っていたが――。
いよいよ見えてきた風子のアパートを見上げたとき、風子が、
「駄目、限界。
一回下ろそうか」
と言ったので、すぐに同意し、道の端に下ろす。
ふうーと二人で冷蔵庫に手をつき、休憩した。
「でもさ、いいの?
一軒家ならいるじゃん、冷蔵庫」
「それが、今度の家、家具がついてるんだよねー」
へー、そうなんだーと言った風子だったが。
「なんかお茶碗とかも全部残ってるんだけど、さすがにそれは使わないかなー」
と言うと、
「……ねえ、その家大丈夫?」
と言ってくる。
実は前に誰が住んでいたのとか。
何故、家具も茶碗も残っているのかとか。
貴弘も知らないのだ。
なにせ、ひいおじいさんに、ドサっとまとめてもらった不動産のうちのひとつだから……。
「……前の住人、夜逃げしたんじゃないの?」
「さあー?
あっ、そういえば、家具もだけど、猫もついてるみたいなんだよね、その家」
「……なんだって?」
と風子が訊き返してくる。
「家具と猫がついてるみたいなの。
まあ、猫は家につくって言うもんね」
「微妙に意味が違う気がするけど……」
そう風子が言ったとき、行き違えないくらいの狭い道なのに車が入ってきて、二人と冷蔵庫はカッとライトに照らされた。
道向こうを楽しげに話しながらウォーキングしていた老夫婦が、路上に置かれた冷蔵庫とのどかたちに気づき、二度見する。
「やばい、逃げようっ」
と風子が慌てて冷蔵庫を抱えようとした。
「待ってっ。
急いで逃げたら、ますます挙動不審な人になるよっ」
「夜道を冷蔵庫抱えて歩いてたら、どのみち不審者よっ」
「じゃあ、昼間にすればよかったんじゃんっ」
「それはそれで、すごい注目浴びるでしょうよっ」
ほら、持ってっ、と急かされ、二人は冷蔵庫を抱えて夜道を急いだ。
のどかのアパートから風子のアパートへ行くのには、距離は短いが、商店街を通ったり、登校路を通ったりする。
確かに、昼間だったら、みんなが振り返り見ただろう。
「電気屋さんか運送屋さんの制服、借りてくればよかったねー」
「何処からよ。
そして、誰からよ……」
と風子に言われているうちにアパートに着いていた。
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