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「勇信さん……。あなたはいったい何人?」
菊田星花の口から飛び出したのは、勇信にとってあまりに衝撃的な言葉だった
勇信(プラスマイナス)はあまりの驚きに、すぐには反応できなかった。ただ表情を隠して高い天井を見つめるだけだった。
腕時計や壁にかかる時計、そして携帯電話を取り出して時間を確認した。予想していたのとはまったく違う現在が、ここにはあった。
「何人てどういうことだ? 抽象的すぎて意味がよくわからないな」
プラスマイナスは一旦時間稼ぎに走った。
菊田星花はただ静かに座っている。
彼女はパニック障害を発症して以来、感情をあまり表に出さなくなった。
いつも穏やかに話し、ときには乾いたように表情を変えない。努力して作りあげた性質が、すでに彼女にとっての普通となっていた。
「具体的に話したいけど、これを説明するにはもっと抽象的になりそうなの」
星花が少し悩みながら放った言葉に、プラスマイナスは安堵のため息をついた。
少なくとも具体的な何かをつかんではないことがわかったからだ。
「ひとつひとつゆっくりと説明してくれ。そうでなければ星花の抽象的な言葉の中から、うまく輪郭を捉えられないだろうから」
プラスマイナスは再び携帯電話を確認した。
他の勇信たちとの通信はしっかりとつながっている。
「わかったわ。頭の中で少し整理するから待ってね」
星花はじっと席に座ったまま考えはじめた。
「トイレに行ってくる……」
「どうぞ」
プラスマイナスは席を立ち、トイレに入った。
洗面台の鏡を見ながらこれから起こることを想像してみる。
「落ち着け……。こっちが思ってるような話じゃないはずだ。俺が複数いるなどという爆弾を星花がもっているはずがない。安心しろ、大丈夫だ」
心を落ち着かせて席に戻ると、菊田星花が指を使って毛先をくるくると回していた。
「相変わらずだな、その癖。どうしてそんなに悩んでるんだ? 何か強く思うところがあるのか?」
「あるに決まってるじゃない。勇信さん、自分が今日何を言ったか胸に手を当てて考えてみてよ」
「まあ、そうだな……。とにかくそれはそれとして、ちゃんと説明してくれないか。俺が何人いるって聞いたのは、どういうことだ」
「さっきも言ったけど、とても主観的で抽象的な話になるわ。うまく紐解いて理解してもらえるかな」
「やってみる」
「うん」
菊田星花は小さくうなずき、周りを一度確認してから話しはじめた。
「私は発病してからある才能を開花させたわ。人を色で区分できるようになったの。正確に言うなら、人がもつそれぞれの色が見えるようになった。ある人は赤で覆われているし、またある人は薄い青に囲まれてるといった風にね」
「色のついたオーラみたいなものが見えるって意味か?」
「ええ、まさにその通りよ。赤い人はいつ見ても赤いし、青い人はいつ見ても青い。人の顔が簡単には変わらないように、色彩はいつだって同じよ。
あっちを見てくれるかな。あの店員さんは少しオレンジがかった色を帯びているわ。この前ここにきたときもそうだったし、今日も同じ」
「なのに俺は違うってわけか?」
「ええ、勇信さんだけは会うたびに色が違った。それも最近になって急に」
「正確にはいつから?」
「これに関しては抽象的じゃない答えがあるわ。勇太お兄ちゃんの事故があったあとからよ」
兄の勇太が死亡した直後に、勇信は増殖をはじめた。
ジョーからはじまり、今では9人の勇信がこの世に存在する。
「葬儀が終わって数日後に、うちを訪ねてきたな。その日の俺は、いつもと違う色を帯びてたってことかな?」
菊田星花の話はあまりにも非科学的であったが、真意をついているようにも思えた。
ただし勇信が物理的に増えたという事実までには至っていないようで、プラスマイナスはどうにか平静を保つことができた。
「うん、違ったわ。どんよりと濁った茶色をしていた」
――あのとき星花を相手にしたのは誰だったか。
当時まだキャプテンだったプラスマイナスは、トレーニングルームに隠れて携帯電話で会話を聞いていた。
「その次に会ったときも、また違う色だったのかい?」
星花の父である警察庁長官官・菊田盛一郎と一緒に食事をした日だ。
出席したのはたしかポジティブマン。
「黄色よ。すごく明るく肯定的な黄色」
「何だ? どうしてそんなに具体的なんだ」
「色にだって表情はあるわ。人間ほどじゃないけど、愛犬が見せるくらいの表情がね。間違いなくあの日は明るい黄色を帯びていたわ。メモをとってるから間違いない」
星花は携帯電話を見つめながら話した。
「濁った茶色から、明るい黄色か。勇太兄さんの件で星花の心理状態も不安定だったから、そんな風に見えたんじゃないのか?」
菊田星花は小さくため息をついた。
「人がもつ色が見えるようになってから、もう何年も経ってるのよ。自分の能力の特色や範疇くらいは、完全に把握しているわ」
「なるほど。他人の色は変わらないのに、俺だけが会うたびに変わっていたと。それも兄のニュースが流れてから急にそうなったってわけだな」
「ええ、あまりに明らかな変化よ。だから勇信さんのことを心から心配したわ」
「どうしてだ? 色が変わったらどうなる?」
プラスマイナスは緊張からが強く手を握った。
まだ確信はないにせよ、仮に星花の能力が本当ならばいつかは真実にたどり着くだろう。
そうなると――。
「色が変わる人なんて、勇信さんを除いては誰もいない。だからたぶん勇信さんは――」
星花はそれ以上の言葉をためらった。
「噓なくすべて話してくれ」
「勇信さんは多分――」